大阪地方裁判所 平成3年(わ)2717号 判決 1999年9月09日
主文
被告人河村良彦を懲役七年に、被告人伊藤寿永光を懲役一〇年に処する。
被告人らに対し、未決勾留日数中各一八〇日を、それぞれその刑に算入する。
被告人伊藤寿永光から、押収してある買付証明書一通(平成四年押第五二号の213)の偽造部分を没収する。
訴訟費用は、別紙訴訟費用負担一覧表記載のとおり、各被告人の負担とする。
理由
(認定した事実)
以下、人名については、初出時を除き、混同のおそれがない限り、姓のみによって表示し、また、会社名についても、初出時を除き、「株式会社」の表示を省略することがある。
第一 被告人らの経歴及びイトマン株式会社の概要
一 被告人らの経歴等
1 被告人河村良彦は、昭和五〇年五月、株式会社住友銀行取締役から転じて、当時、経営危機に瀕していた伊藤萬株式会社(本店所在地は、大阪市中央区本町三丁目六番二号。以下「イトマン」という。)副社長となり、同年一二月には代表取締役社長に就任して、その再建に取り組み、同社の業務に占める繊維部門の割合を順次減少させ、食糧部門、建設不動産部門のほかグループ企業によるファイナンス業務等にも力を注いで多角化を進めるとともに、在庫の圧縮、人員合理化、関連会社の整理等を進め、昭和五三年には同社を黒字転換させて配当を復活させ、平成三年一月二五日に開催された取締役会において代表取締役社長を解任されるまで、約一五年余の長きにわたりその地位にあって同社の業務全般を掌理していたものである。
ところで、被告人河村は、昭和五三年に復配にこぎつけて「イトマン中興の祖」といわれるようになったが、イトマンの売上高は、昭和五九年を境に漸減ないし伸び悩みの傾向にあったうえ、経営多角化による新規事業への進出の過程で、一度ならず、一〇〇億円単位の巨額の損失を被り、特に、全額出資の子会社イトマンファイナンス株式会社を通じて不動産業者に資金を融資し、東京都内南青山の土地の地上げをさせていたが、土地買収が難行し、昭和六二年、右融資金と引換えに買収済みの土地を引き取ったものの、地上げ完了の見込みもないまま、それまでの投下資金約八五〇億円が固定化するなどして、経営を圧迫する要因となっていた。このような経営状況にあって、被告人河村は、社長在任期間も既に相当長期に及んでいたことから、メインバンクの住友銀行から後任社長を送り込まれ、社長を退任せざるを得なくなることを痛く危惧し、同行の意向をはねのけてイトマン社長の地位を保持するためには、何としてでも、自己の最大の実績である昭和五三年以来の毎期連続の増収増益を維持しなければならないと思い定め、主として不動産融資案件関連での企画料・融資斡旋手数料等の名目で見せかけの経常利益を計上してでも、公表予想経常利益額を達成しようとの思いから、当面の決算対策用の利益計上の材料捜しに躍起となっていた。
2 被告人伊藤寿永光は、昭和五二年、不動産業等を目的とする株式会社協和綜合開発研究所(昭和五七年七月以降の本店所在地は、東京都中央区八重洲二丁目一番四号。以下「協和」という。)を設立してその代表取締役社長に就任し、結婚式場、賃貸ビル及び駐車場等を経営する一方、銀座の土地の地上げに着手し、また、関ゴルフ場や瑞浪ゴルフ場の開発事業等を手掛け、昭和六二年四月決算期までは比較的順調に推移していたが、株の仕手戦で名を馳せたコスモポリタングループの池田保次に対し、同人が実質的に支配する東京証券取引所一部上場の雅叙園観光株式会社の連帯保証で約二七〇億円を融資していたところ、昭和六二年一〇月のいわゆるブラックマンデーの株式大暴落により打撃を受けた池田が、雅叙園観光振出の手形を簿外で乱発した末、失踪したことから、巨額の貸付金が焦げ付いて資金繰りに窮するようになり、銀座の土地等の資産を処分して借入金の圧縮を図ることにしたが、その一方で、コスモポリタングループに対する債権を少しでも回収しようとして、池田の後を継いで雅叙園観光の経営に当たっていた野村栄中こと許永中からその経営を引き継ぐとともに、大阪府民信用組合(以下「府民信組」という。)から、多額の無担保融資を受けて、雅叙園観光の簿外債務等の処理に当たるも、府民信組から融資を打ち切られるに至って更に資金繰りに窮することとなった。
かかる折りの平成元年八月、被告人伊藤は、被告人河村と大阪市内の料亭「たに川」で面談する機会を持ち、以来、両者は急速に接近し、被告人河村の主導で被告人伊藤の不動産開発案件がイトマンの事業案件として取り上げられるとともに、被告人河村から不動産のプロと見込まれた被告人伊藤は、平成二年二月一日付けで、イトマン理事を委嘱されて社長室直轄の企画監理本部本部長(以下「企画監理本部長」という。)に、同年六月二八日には同社(常務)取締役にも就任し、併せて、イトマンの子会社として同月二九日設立された絵画事業等を目的とする株式会社エムアイギャラリーの代表取締役に就任して、同年一一月八日までイトマンが行う不動産開発事業の企画、監理及び融資に関する業務等を統括していた。
3 加藤吉邦は、昭和五七年、住友銀行から出向してイトマンに入社し、昭和六二年一二月には、同社取締役名古屋支店長に就任して、平成二年一二月一日まで引き続き同支店の業務全般を掌理し、被告人河村の忠実な腹心としての役割を果たしていたものであるが、その間、平成元年三月に設立された名古屋伊藤萬不動産株式会社の代表取締役に就任するとともに、同年六月にイトマン代表取締役常務、平成二年六月には同社代表取締役専務へと昇進し、また、企画監理本部発足後の同年四月一日には、企画開発名古屋第一本部長、同第二本部長、企画監理本部副本部長の兼務を委嘱され、併せて、同年六月二九日エムアイギャラリーの代表取締役に就任して、イトマンが行う不動産開発事業の企画、監理及び融資に関する業務等を執行していた。
二 イトマンの概要
1 イトマンは、明治一六年、大阪南本町心斎橋筋において、初代伊藤萬助が洋反物商を開業したときに始まり、大正七年に株式会社伊藤萬商店として設立され、その後、昭和一八年に伊藤萬株式会社、平成三年一月一日にイトマン株式会社と各商号変更された中堅総合商社であり、繊維製品・食糧・農産物・各種機械その他物品の輸出入及び売買業、宅地工業用地等の造成及び開発、不動産の売買・賃貸借、スポーツ施設等の経営、宝石・美術品及び古物売買業などを事業目的とし、大阪、東京両証券取引所に上場していた。
2 被告人河村が社長に就任した昭和五〇年以降の同社の資本金及び売上高の推移を見ると、まず、資本金は、昭和五五年の約二四億円から昭和六〇年の約八〇億円まで漸増の傾向にあったが、その後、転換社債、新株引受権付社債の発行等のエクイティファイナンスの実施により急増し、昭和六三年三月末に約一七二億円、平成元年三月末に約二三二億円、平成二年三月末には約四六七億円、同年一〇月末には約五三四億円と増加の一途をたどり(平成三年三月現在の発行済株式総数は二億九六四万株)、他方、売上高は、昭和五九年の約五六二八億円をピークに、昭和六二年が約四四七七億円と漸減傾向にあったが、その後、平成元年は約五二一八億円、平成二年は約六三八三億円(総合商社中の一一位)と回復に転じていた。また、各期の経常利益は、公表決算によると、毎年前年比二割ないし三割の割合で続伸して、昭和六〇年三月期決算の約五一億円から平成元年三月期決算では一一〇億円となり、平成二年三月期決算は一三七億六四〇〇万円を計上していた。
第二 被告人両名に対する瑞浪案件(平成三年(わ)第二九九四号の特別背任事件)
(犯行に至る経緯等)
1 協和では、昭和六一年三月ころから昭和六二年八月ころまでの間、銀一商業協同組合(以下「銀一」という。)所有にかかる東京都中央区銀座一丁目七番所在の四〇〇坪余りの土地につき、組合員の持つ出資証券を買い取って銀一自体を買収する方法により地上げを遂げ、隣接地の買収や交換も行って、昭和六三年一一月ころまでに、銀一(同年二月、被告人伊藤が理事長に就任)名義で同所所在の六筆の土地(登記簿上の地積合計一三四四・四〇平方メートル、以下「銀座物件」という。)を支配下におさめるとともに、岐阜県内において「関ゴルフ場」と「瑞浪ゴルフ場」の二か所のゴルフ場開発を計画し、関ゴルフ場は関市内の約三〇万坪の土地(約二〇万坪は協和所有、残る約一〇万坪は借地)に一八ホールのゴルフ場を建設するもので、昭和六三年一月に同県知事の開発行為の許可を得て、間もなく造成工事に着手し、また、瑞浪ゴルフ場は瑞浪市稲津町と土岐市にまたがる約三〇万坪の土地(大部分が借地)に一八ホールのゴルフ場を建設するもので、昭和六二年八月に土地開発事業事前協議結果通知を受けて、昭和六三年中に開発行為許可等の申請を行うなどして不動産開発事業を拡大させていた。しかしながら、銀座物件の取得に要した総費用は約二八五億円にのぼり、被告人伊藤は、銀座物件を担保にするなどして、いずれもノンバンクのファーストクレジット株式会社から三三六億三三〇〇万円、株式会社アルファから一〇〇億円、芙蓉総合リース株式会社から二三〇億円をそれぞれ借り入れ、出資証券の取得費用や協和の資金繰り等に使っていたが、銀座物件は転売も有効利用もできないまま、巨額の投下資金が金利負担を増大させながら固定化したことに加えて、平成元年二月から協和において雅叙園観光の簿外債務の処理を行っていたところ、同年七月二六日ころを最後に、府民信組からの融資が打ち切られたため、ますます資金繰りに窮するようになっていた。
2 他方、被告人河村は、前記のとおり、イトマシ社長の地位を保持するためには、何としてでも公表予想経常利益額を達成しなければならないとの思いから、利益計上の材料捜しに腐心していたところ、住友銀行栄町支店長大野斌代の紹介で、平成元年八月三日ころ、大阪の料亭「たに川」で、被告人伊藤と初めて会い、加藤や大野とともに会食したが、折から高金利時代を迎え、地上げ屋の不動産業者への単なるファイナンス業務では利益が薄く、これに対して、ゴルフ場等の開発プロジェクトであれば、当初は融資を行い、最終的にプロジェクトごと買い取ってイトマンで会員権の販売等を行えば、融資時点で多額の企画料が取れるうえ、リスクはあるが将来大きな利益が出る可能性もあるなどと考えていたことから、加藤らを通じて、多数のプロジェクトを手掛けていると聞いていた被告人伊藤に対し、イトマンの資金提供の下に共同事業としてやっていくことを提案した。被告人伊藤は、被告人河村が不動産開発案件に多大な関心を示したことから、自己の開発案件をイトマンに持ち込んで、同社から多額の資金を引き出し、協和等の借入金の返済をするとともに、雅叙園観光の簿外債務の処理資金等に充てようと考えるに至った。
3 被告人河村は、同年九月下旬ころ、加藤とともに被告人伊藤と会った際、同被告人から銀座物件の状況や同物件関連の協和等の借入金額について説明を受け、前記のとおり、銀座物件を担保にするなどして、出資証券買収費用四〇〇億円のほか雅叙園観光や協和の資金繰りに二六〇億円を借り入れており、合計約六六〇億円の債務があること、ファーストクレジットからの借入金約三三〇億円の返済期限は同年一一月であること、芙蓉総合リースからも青木建設の保証で二三〇億円を借り入れていること、銀座物件にビルを建てれば、建築費三七億円くらいで、保証金一〇〇億円、家賃年間二一億円くらいの収入が見込まれること、銀座物件をダイエーグループを率いる中内功が買うという引き合いがあることなどの話を聞くやイトマンが将来事業として取り組む場合の採算性等について全く調査、検討することなく、銀座物件関連での協和等の右債務全額を肩代りすることを決めた。
4 被告人河村は、同年一〇月中旬から下旬にかけて、被告人伊藤及び加藤と銀座物件について話し合い、銀一名義によるファーストクレジットとアルファからの借入金は、同年一一月中にイトマンから返済資金を貸し付けて肩代りすること、協和の芙蓉総合リースからの借入金二三〇億円については、将来瑞浪ゴルフ場への融資名目で、金利分を含め二三四億円を出金して返済に充て、その後、瑞浪名目で出金された協和の債務は、イトマンと被告人伊藤が銀座物件で事業を営むため共同出資して設立する新会社に振り替えること、瑞浪ゴルフ場の関係でも企画料を取ることなどを指示した。
5 右指示を受けて、加藤は、同年一〇月三〇日、イトマンから子会社の名古屋伊藤萬不動産株式会社を介して協和に四六五億円(すなわち、ファーストクレジットとアルファへの返済資金に一〇か月分の金利を上乗せした金額)を融資する件につき、限度決裁の申請を上げる一方、同年一〇月下旬から一一月上旬にかけて、被告人伊藤と打ち合わせを重ねつつ、イトマン幹部役員に対する右融資等の説明用資料を作成し、同年一一月六日、被告人河村は、イトマン東京本社に藤垣頼母、髙柿貞武、芳村昌一の三副社長のほか、自ら出席を希望した管理本部長の木下久男専務を集め、右資料に沿って加藤に説明させた後、協和のプロジェクトに、イトマンの事業として共同して取り組んでいく旨の方針を表明した。そして、同年一一月二〇日、イトマンから名古屋伊藤萬不動産を介し、四六五億円の融資が実行され、三か月分の利息として一〇億円余りが天引きされたうえ、ファーストクレジットへの返済金三三六億三三〇〇万円、アルファへの返済金一〇〇億円のほか金額約一八億円の保証小切手が被告人伊藤側へ交付された。
6 しかるところ、被告人河村は、既に平成二年三月期の予想経常利益額を一三〇億円と公表していたが、同年一月中旬ころ、財務経理担当副社長の髙柿に、決算の見通しを早期に立てるよう指示したところ、同月下旬ころ、髙柿から約一〇〇億円の利益が不足する旨の報告を受けた。被告人河村は、髙柿に対し、被告人伊藤と相談して、同被告人のプロジェクトを利用した決算対策用の利益出しを行うよう指示する一方、直接、被告人伊藤にも、一〇〇億円を企画料などとしてイトマンに入金し、三月末の利益出しに協力するように要請した。これを受けて、被告人伊藤及び加藤が、決算対策用の利益出しのためのプロジェクト選定作業を進めていた同月一二日ころ、その当時芙蓉総合リースの担当者から借入金二三〇億円の返済を強く求められていた被告人伊藤が、加藤に対し、約束どおり肩代り融資を実行するよう求めた。
(罪となるべき事実)
被告人河村及び加藤は、前記のとおり、平成元年一〇月下旬ころ、被告人伊藤の要請を容れて瑞浪ゴルフ場の関係で二三〇億円をイトマンから融資することとし、それを協和の芙蓉総合リースからの借入金の返済に充てることを了承していたものの、当時その実行の時期等については確定していなかったところ、被告人伊藤から、右二三〇億円の融資の実行を求められた被告人河村及び加藤は、被告人伊藤にはイトマンの決算対策用の利益計上に協力してもらい、同社の予想経常利益を達成する必要があり、そのためには、瑞浪ゴルフ場への融資の関係でもイトマンへ企画料を入れてもらう必要があって、同被告人の右要求に応じることにした。
被告人河村はイトマン代表取締役社長として、同社の業務全般を掌理していたもの、加藤は、同社代表取締役名古屋支店長で併せて名古屋開発本部長(平成二年四月一日からは、企画開発名古屋第一本部長、企画監理本部副本部長)として、同支店の業務全般を掌理するとともに同本部が取り扱うゴルフ場の開発等不動産開発事業の企画、監理及び融資等に関する業務を執行していたもの、また、被告人伊藤は、同社理事・企画監理本部長として、同社が行うゴルフ場の開発等不動産開発事業の企画、監理及び融資等に関する業務を統括していたものであるが、被告人両名及び加藤は、不動産開発事業に関し、イトマンから巨額の融資を決定し実行するに当たっては、その事業の成否と採算の見通し及び融資先の信用状態等につきあらかじめ必要な調査をするなどして、これを的確に把握するとともに、融資金の回収を確実に確保するに足る担保を徴求する等の措置を講じ、同社に損害を加えることのないように同社のため慎重かつ適切に融資の許否を決定し、かつ、融資実行に際し、適切に条件を設定するなど誠実にその職務を遂行すべき任務を有していたにもかかわらず、それぞれその任務に背き、共謀のうえ、自己らの利益を図り、その反面、イトマンに損害を加えることを認識認容しながら、協和が芙蓉総合リースに対し弁済すべき二三〇億円の資金を捻出するため、平成二年四月二日ころ、イトマンから、将来瑞浪ゴルフ場の運営主体とするため協和が全額出資して設立した株式会社瑞浪ウイングゴルフクラブ(代表取締役は被告人伊藤、以下「瑞浪ウイング」という。)に対し、ゴルフ場の開発工事資金名目で二三四億円を融資するにつき、右融資により、銀座物件をイトマンが実質的に支配することになるとしても、ビル建築等による開発計画は採算の取れる見通しがなく、また、瑞浪ゴルフ場の造成開発については、未だ岐阜県知事の開発許可がなされていないばかりか、右融資金全額が芙蓉総合リースへの弁済金に充当されて同ゴルフ場の開発工事資金には充てられないため、その事業の成否の見通しも不明であり、同融資金の債権を確保するに足る担保の提供がないにもかかわらず、その債権保全のための担保徴求等の措置を講じることなく、同日、名古屋市中区栄三丁目五番一号所在の住友銀行栄町支店のイトマン名古屋支店名義の普通預金口座から、同支店の瑞浪ウイング名義の普通預金口座に二三〇億二四九五万八九〇五円を振替入金してその貸付を実行し、よって、当該債権の回収を著しく困難にさせて、イトマンに対し、同金額相当の財産上の損害を加えたものである。
第三 被告人両名に対するさつま案件(平成三年(わ)第二九九五号の特別背任事件)
(犯行に至る経緯等)
1 鹿児島市に居住する迫田正男、正髙親子は、鹿児島県日置郡松元町直木地区にゴルフ場(以下「本件ゴルフ場」という。)を建設、経営するため、さつま観光株式会社を設立してその役員に就任したうえ、地元の森林組合等から山林等を買収するなどして約一〇五万平方メートルの用地を確保し、昭和六三年三月に同県知事の開発許可を受け、本件ゴルフ場用地に第一順位の根抵当権を設定して地元の信用金庫から六億円を借り入れるなどして資金調達をしたうえ、同年五月に鹿島建設株式会社に造成工事を発注して、同工事に着手したが、間もなく、資金繰りに窮し、本件ゴルフ場用地を含めさつま観光を会社ごと第三者に売却して、同ゴルフ場の建設、経営を委ねることにした。
2 株式会社ケー・ビー・エス・びわ湖教育センター(以下「教育センター」という。)の実質上の経営者許永中は、同年八月末ころ、さつま観光が売りに出ていることを知り、教育センターの代表取締役内田和隆に指示して交渉させた結果、本件ゴルフ場は今後もさつま観光名義で開発、経営し、かつ、迫田親子を名目上の役員として残すこと、さつま観光ないし迫田正男名義による借入金九億五〇〇〇万円につき肩代り融資をすることなどを条件として、教育センターがさつま観光を買い取ることになり、同年一一月二八日、さつま観光の代表取締役に許側の井上豊次、取締役に内田らが就任して、許が同社を実質上支配、経営する体制を確立した。
そして、許は、平成元年五月に、設計、監修を従前の杉本英世からグラハム・マーシュに代え、造成工事についても、その後三回にわたり計画を変更するなどした結果、造成工事代金は、当初の二三億円から二倍以上に増加したが、このうち実際に支払われたのは合計二〇億六五〇〇万円にすぎず、平成二年一月三一日を最後に、支払期日を経過するも残額の支払がなされなかったため、鹿島建設は、平成三年三月中旬ころ、工事出来高がコース全体の約九七ないし九八パーセントに達した段階で工事を中止した。
また、許は、自己のグループ企業の運転資金等を捻出するため、本件ゴルフ場用地に第二、第三順位の根抵当権(極度額五〇億円及び七五億円)を設定して、府民信組からダミー会社を経由して融資を受けていたが、平成二年三月三一日時点におけるさつま観光の借入金残高は、合計九五億五八〇〇万円となっていた。
なお、さつま観光によるゴルフ会員権募集販売状況は、昭和六三年九月ころ、個人会員一口二五〇万円、法人会員一口五〇〇万円で募集した際、個人会員権を一八口販売したほか、許が経営するようになってからは、縁故会員として、法人会員権(一口八〇〇万円)五口、個人会員権(一口二五〇万円)二七口を販売するにとどまっていた。
3 許は、平成二年三月上旬ころ、日本畜産振興株式会社代表取締役の小山信夫が大阪証券取引所二部上場の野田産業株式会社(当時の発行済株式総数一六〇一万株)の過半数の株式約八三〇万株を売りに出していると聞いて、リゾート開発事業を行う際の受け皿会社として、同社の上場会社としての信用を利用したいと考え、当時の株価一〇〇〇円前後を大幅に上回る一株約一五〇〇円の合計一二四億円で小山から右過半数株式を一括購入することにし、同月中旬ころ許傘下のペーパーカンパニーである株式会社ファイブ・スターズ・カンパニーの名義を使い、小山との間でその旨の協定書を取り交わすとともに、右株式購入資金を調達するため、当時相互に資金を融通し合う密接な間柄にあり、イトマンに入社して企画監理本部長に就任していた被告人伊藤に対し、資金使途を明らかにしたうえ、イトマンから一四〇億円を融資してほしい旨申し入れた。
4 右申入れを受けた被告人伊藤及び加藤は、予想経常利益額達成のための利益出しに許のプロジェクトを利用しようと考え、この際、イトマンから許経営のさつま観光に二〇〇億円を融資したうえ、企画料として三〇億円、一年分の金利約二〇億円の合計約五〇億円を先取りしてイトマンの利益出しに充てることを計画し、そのころ、被告人河村にその旨伝えて計画を進めるよう指示を受けるとともに、同月二〇日ころ、被告人伊藤が、許に対し、イトマンがさつま観光に二〇〇億円を融資し、その見返りに企画料等約五〇億円を先取りする案を提示して、許の承諾を取り付けた。
(罪となるべき事実)
被告人両名及び加藤は、許が前記融資内容を承諾したことから、さつま観光のゴルフ場開発工事資金名目で二〇〇億円を融資し、うち約五〇億円を企画料や前受利息としてイトマンに還流させて名目上の収益計上を図るため、許の右融資の中込みに応じることにした。
被告人河村はイトマン代表取締役社長として、同社の業務全般を掌理していたもの、加藤は、同社代表取締役名古屋支店長で併せて名古屋開発本部長(平成二年四月一日からは、企画開発名古屋第一本部長、企画監理本部副本部長)として、同支店の業務全般を掌理するとともに同本部が取り扱うゴルフ場の開発等不動産開発事業の企画、監理及び融資等に関する業務を執行していたもの、また、被告人伊藤は、同社理事・企画監理本部長として、同社が行うゴルフ場の開発等不動産開発事業の企画、監理及び融資等に関する業務を統括していたものであるが、被告人両名及び加藤は、不動産開発事業に関し、イトマンから巨額の融資を決定し実行するに当たっては、その事業の成否と採算の見通し及び融資先の信用状態等につきあらかじめ必要な調査をするなどして、これを的確に把握するとともに、融資金の回収を確実に確保するに足る担保を徴求する等の措置を講じ、同社に損害を加えることのないように同社のため慎重かつ適切に融資の許否を決定し、かつ、融資実行に際し、適切に条件を設定するなど誠実にその職務を遂行すべき任務を有していたにもかかわらず、それぞれその任務に背き、許と共謀のうえ、許及び自己らの利益を図り、その反面、イトマンに損害を加えることを認識認容しながら、許が野田産業株を大量に取得するための資金等を捻出するため、平成二年四月上旬ころ、イトマンにおいてさつま観光に対し開発途上の本件ゴルフ場の開発工事資金名目で二〇〇億円を融資するにつき、当該融資金のほとんどが許の株式購入資金等ゴルフ場の開発工事と関係のない用途に充てられるため、工事継続の見込みも、ゴルフ場として開業する目途も明らかでないうえ、同ゴルフ場の用地には既に第一ないし第三順位の各根抵当権(極度額合計一三一億円)が設定されていて担保余力がなく、募集予定のゴルフ会員権預託保証金等(いわゆるゴルフ会員権販売代金)も、右根抵当権の被担保債権や未払工事代金等の支払に充てればほとんど残余は見込まれず、併せて前記融資の担保として提供される野田産業の株券八三〇万株の担保評価額は約五四億円にとどまり、また、連帯保証人となった教育センター、ファイブ・スターズ・カンパニー、富国産業株式会社及び教育センター代表取締役の内田和隆にも、いずれも巨額の債務を返済する能力などなく、前記二〇〇億円の融資の担保としては、大幅な担保不足が生じることが明らかであるにもかかわらず、右融資債権の回収を保全するに足るその余の確実な担保徴求等の措置を講じることなく、同年四月一一日に金八三億円、同月一七日に金二五億円、同年五月八日に金一六億円を、いずれも名古屋市中区丸の内三丁目二一番二〇号所在の株式会社北國銀行名古屋支店のイトマン名古屋支店名義の当座預金口座から茨城県取手市取手二丁目一番一五号所在の株式会社東日本銀行取手支店の小山信夫名義の普通預金口座にそれぞれ振込入金し、同年四月一七日右イトマン名古屋支店名義の当座預金口座から東京都品川区上大崎四丁目一番四号所在の株式会社太陽神戸三井銀行目黒支店のさつま観光名義の普通預金口座に金二六億円を振込入金したほか、同月二六日、東京都港区南青山三丁目一番三〇号所在のイトマン東京本社において、被告人伊藤が、許配下の田中東治に対し、株式会社八十二銀行青山支店支店長三石邦英振出名義の小切手三通(金額合計五〇億円)を交付することによって前記二〇〇億円の貸付を実行し、よって、当該債権の回収を著しく困難にさせて、イトマンに対し、右融資金二〇〇億円と企画料等の名目で直ちに返還を受けた前記小切手三通(金額合計五〇億円)及び前記担保株券の担保評価額の合計約一〇四億円との差額である約九六億円相当の財産上の損害を加えたものである。
第四 被告人両名に対するアルカディア案件(平成三年(わ)第三二八三号の特別背任事件)
(犯行に至る経緯等)
1 小早川茂こと崔茂珍(以下「小早川」ないし「崔」という。)は、昭和五九年一一月、不動産業等を営む東京トレーディング株式会社〔平成二年九月、自己が経営するアルカディア株式会社を吸収合併して株式会社アルカディア・コーポレーションに商号変更(以下「アルカディア」という。)〕を設立して代表取締役となり、同社を経営する傍ら、月刊誌「創」(発行部数月間約一万部)を発行していた有限会社創出版を買収して、昭和六〇年二月には代表取締役となり、次いで平成二年三月、月刊誌「ビッグ・エー」(発行部数月間約六〇〇〇部)を発行していた株式会社ビッグ・エー(以下「ビッグ・エー社」という。)を買収して社主となった。
崔は、昭和六三年八月発売の「創」九月号に「伊藤萬・河村商法の疑惑をえぐる」と題する記事を掲載するなどする一方、イトマン取締役で広報担当(東京駐在)の中野政幸と数回面談して、「イトマンと一緒に仕事をしたい。是非河村社長と会わせてくれ。」などと執拗に要求したため、同年一〇月二六日、赤坂プリンスホテルにおいて、被告人河村と崔の会談が設定された。その際、崔が「イトマンと一緒に事業をやりたい。わしもいろんな材料を持っとるから、検討してくれんか。」と申し入れたのに対し、被告人河村が、「何かあったら協力しましょう。」などと当たり障りのない返答をしたことから、崔は、プロジェクトを持ち込めば融資する旨被告人河村が約束したとして、同年一一月ころ、箱根の墓地霊園開発事業への融資申込みをしたのを手始めに、平成二年七月ころに至るまで、中野を窓口として、各種プロジェクトをイトマンに持ち込み、事業資金名目で融資を引き出そうとした。被告人伊藤は、その間の同年二月一日にイトマンの企画監理本部長に就任したが、その後間もなく、被告人河村から、中野を助けて崔の対応に当たるよう指示を受けていた。
また、同年七月二七日には、「創」「ビッグ・エー」両誌の営業責任者でビツグ・エー社の取締役でもある田澤義正により、同年八月一〇日発売予定の「ビッグ・エー」九月号に掲載予定の「衝撃レポート<1>住友銀行のドン・磯田一郎にしのび寄る『老害』」と題するゲラ刷りがイトマン東京本社広報室に持ち込まれるということがあり、同年七月末ころ、右ゲラ刷りのコピーを見た被告人河村は、そのころ、被告人伊藤に対し、崔のようなブラックジャーナルを含むマスコミ対策を十分行うよう指示した。
2 ところで、イトマンの平成二年三月期の決算発表日である同年五月二四日、日経新聞一面に「伊藤万 土地・債務圧縮急ぐ 住銀、融資規制受け協力」と題する記事が掲載されたのを始めとして、同年九月六日発売の週刊新潮(同月一三日号)MONEY欄に、被告人両名を揶揄する漫画とともに、「伊藤萬が常務に迎えた『地上げ屋』の『力量』」と題する記事が掲載され、次いで、同月一六日の日経新聞には、「伊藤万グループ 不動産業などへの貸付金一兆円を超す 住銀、資産内容の調査急ぐ」と題する記事が掲載されるなど、被告人伊藤関連プロジェクトなど不動産関連投融資に急傾斜した被告人河村の経営姿勢に対し、マスコミの批判記事が相次いで公表される中で、イトマンの信用不安説が広まり、外国銀行を始めとする各金融機関も一斉に融資金の引き上げに動くなど資金繰りが逼迫してきたことから、被告人河村は、自己をイトマン社長の座から引き下ろそうとして、住友銀行が意図的にマスコミに情報を流しているのではないかと疑い、被告人伊藤に対し、マスコミに対して、できるだけの手を打つよう指示する一方、対外的には、イトマンの信用不安説を打ち消すため、不動産案件に関する新規融資を中止するとともに既存の融資金を回収して平成三年三月末までに不動産関連債務を三五〇〇億円圧縮するという計画を立て、平成二年九月二〇日の新聞にその旨掲載させるなどした。
3 他方、崔の方でも、イトマンから融資を引き出すため、同社に入社し社長の被告人河村と強いつながりのある被告人伊藤に近付こうと企て、同年九月一九日ころ、東京の帝国ホテルで被告人伊藤と会ったが、被告人伊藤は、崔がブラックジャーナルを含むマスコミに顔が利くのであれば、敵に回すより味方に引き込んでマスコミ対策に利用した方がよく、そのためにイトマンが融資せざるを得なくなったとしてもある程度仕方がないと考え、情報提供等の協力を依頼した。多額の借金の返済に苦慮していた崔は、右依頼を承諾するとともに、被告人伊藤に、「JR京都駅北側の土地を買って転売してもうけたい。イトマンから一五〇億円を融資してほしい。」旨の申入れをした。被告人伊藤は、右申入れについては、イトマンの資金繰りが苦しいなどとして婉曲に断ったものの、さらに、同月二六日ころ、崔から、同月末までにどうしても四〇億円いるので、何とかしてほしいと要請され、箱根の墓地開発プロジェクトの事業計画書などの資料を渡された。
(罪となるべき事実)
被告人両名は、平成二年九月下旬ころ、崔からアルカディアに対する融資方を強く求められるや、当時、イトマンでは不動産関連投融資の急速な拡大とこれに伴う借入金の急増による経営危機が表面化し、被告人両名に批判的な報道が続く中で、むしろ崔をマスコミ対策等に利用しようと考えるに至り、イトマンからアルカディアに融資をして崔の右要求に応じることにした。
被告人河村は、イトマン代表取締役社長として、同社の業務全般を掌理していたもの、被告人伊藤は、同社常務取締役企画監理本部長として、同社が行う不動産開発事業の企画、監理及び融資に関する業務を統括していたものであるが、不動産開発事業に関し、イトマンから多額の融資を決定し実行するに当たっては、その事業の成否と採算の見通し及び融資先の信用状態等につきあらかじめ必要な調査をするなどしてこれを的確に把握するとともに、融資金の回収を確実に確保するに足る担保を徴求する等の措置を講じ、同社に損害を加えることのないように同社のため慎重かつ適切に融資の許否を決定し、かつ、融資実行に際し、適切に条件を設定するなど誠実にその職務を遂行すべき任務を有していたにもかかわらず、それぞれその任務に背き、崔と共謀のうえ、崔の利益を図り、その反面、イトマンに損害を加えることを認識認容しながら、同年一〇月九日ころ、イトマンから、名目上はその子会社の伊藤萬不動産販売株式会社(代表取締役は被告人伊藤)の名義でアルカディアに対し、アルカディアが富士箱根伊豆国立公園の区域内にある神奈川県足柄下郡箱根町畑宿字上草苅三三二番二等所在の同社所有地(登記簿上の地積合計四八万六五一五平方メートル、以下「本件土地」という。)に開発する予定と称する墓地造成事業の開発資金名目で一〇億円を融資するについて、右造成開発については、未だ神奈川県知事に開発行為の事前申請もしていないだけでなく、そもそも国立公園内の同所での墓地の造成開発の許可を得る見込みはほとんどなく、しかも、前記融資金が崔の資金繰りに充当されて同墓地の造成開発の資金には充てられないため、その事業の成否の見通しも不明であるうえ、本件土地には、既に先順位の抵当権(被担保債権額二五億円)が設定されていて、その担保余力がなく、加えて、連帯保証人となった崔は資金繰りに窮しており、多額の融資を受けても返済する能力がなかったにもかかわらず、前記融資債権の回収を保全するに足る確実な担保徴求等の措置を講じることなく、同日、大阪市中央区内本町二丁目三番五号所在の府民信組本店から伊藤萬不動産販売の名義を使用して、東京都港区虎ノ門一丁目三番一号所在の株式会社三菱銀行虎ノ門支店のアルカディア名義の普通預金口座に現金九億九六〇〇万円を振込入金して、その貸付を実行し、よって、当該債権の回収を著しく困難にさせて、イトマンに対し、同金額相当の財産上の損害を加えたものである。
第五 被告人河村に対する業務上横領案件(平成三年(わ)第二七一七号事件)
(犯行に至る経緯等)
1 立川株式会社(本店所在地は、東京都中央区日本橋大伝馬町一三番五号)は繊維製品等の卸売業を営む東京証券取引所二部上場の会社であるが、昭和五五年に仕手グループに株を買い占められ、その対策に苦慮した際、大口仕入先の一つであったイトマンの支援を受けることになり、買い戻した株式をイトマンに保有してもらい、立川の大株主になってもらったほか、業務提携関係を結び、営業担当常務取締役にイトマン出身者を迎えるなど、資金・人事両面で関係を深め、被告人河村も、昭和五六年に同社非常勤取締役に、次いで昭和六二年には、同社代表取締役会長に就任して、その経営権を掌握していた。
2 株式会社アイチの実質的な経営者である森下安道は、昭和六一、二年ころから、立川株の買い付けを進め、昭和六三年六月には保有株数が三七四万株に達して筆頭株主になり(持ち株比率三七パーセント)、さらに、平成元年八月、信楽ファイナンスの名義で、立川の創業者一族で長く社長を務めていた故立川昭典保有の立川株式一六四万五〇〇〇株を取得した結果、アイチ側の持ち株比率は五三パーセントとなり、イトマン側を制するに至った。
3 これに対して、被告人河村は、同年九月上旬以降、立川及びイトマン関係者に対しては、立川で第三者割当増資を行い、その全株をイトマングループで引き受けて、アイチ側に対抗する旨の方針を示し、これを実行に移させる一方で、森下と面識のある伊藤寿永光に依頼して交渉に当たらせ、密かに、森下との間で、イトマン及びその関連会社等が保有しあるいは取得することとなる立川の株式を協和を介してアイチに譲渡する旨合意し、平成元年一〇月一三日、被告人河村、森下及び伊藤の三者間で、その旨の「立川株式会社の経営および株主総会運営に関する大株主間協定書」(以下「本件協定書」という。)を締結した。
(罪となるべき事実)
被告人河村は、本件協定書の締結に伴い、伊藤寿永光から右協定の履行を保証するとともに当該株式の売買代金の一部に充当する趣旨の下に、現金一〇億円を支払う旨の申し出を受けるやこれを承諾したものであるところ、
一 平成元年一〇月一三日、大阪市北区梅田一丁目八番八号所在のホテル「大阪ヒルトンインターナショナル」内客室において、アイチ大阪支店長土屋賢一から前記趣旨の現金五億円を受領し、これをイトマンのため業務上預かり保管中、そのころ、これをほしいままに、自己のための株式購入等に充てる意図で、同市天王寺区上本町六丁目六番一二号パティオ上本町四〇三号室において、自己の甥阿形昭夫に引き渡し
二 同月一八日、同市北区中之島五丁目三番六八号所在のロイヤルホテル駐車場において、伊藤から、前同様の趣旨の現金五億円を受領し、これをイトマンのため業務上預かり保管中、そのころ、これをほしいままに、前同様の意図で、同所において、前記阿形に、前記パティオ上本町四〇三号室に保管するよう指示して引き渡し
もって、右各現金合計一〇億円を着服して横領したものである。
第六 被告人河村に対する自己株取得案件(平成三年(わ)第二七一九号事件)
(罪となるべき事実)
被告人河村は、イトマン代表取締役社長として、同社の業務全般を掌理していたものであるが、同社代表取締役副社長として同社の財務経理業務全般を統括していた髙柿貞武と共謀のうえ、同社の計算において同社の株式を不正に取得しようと企て、法定の除外事由がないのに、
一 別紙一覧表(一)記載のとおり、平成元年一二月七日から平成二年一〇月二日までの間、前後四九回にわたり、東京都中央区日本橋一丁目一七番一〇号新日本証券株式会社東京支店などに委託して、同区日本橋兜町二番一号所在の東京証券取引所及び大阪市中央区北浜一丁目八番一六号所在の大阪証券取引所の開設する両有価証券市場において、東海振興信用株式会社などの名義で、イトマンの資金合計八七億六八一七万三〇〇〇円をもって同社の株式合計六七八万二〇〇〇株を買い付けさせ
二 平成二年一一月九日、大阪市北区梅田一丁目三番一の四〇〇号所在の高木証券株式会社本店において、大建工業株式会社から、その保有するイトマンの株式一〇〇万株をイトマンの資金一一億三七八三万円をもって内外商事株式会社の名義で買い付け
三 同月三〇日、同市中央区北浜二丁目五番四号野村証券株式会社大阪支店において、日本コンベヤ株式会社から、その保有するイトマンの株式五〇万株をイトマンの資金四億五五二五万円をもって東海振興信用株式会社の名義で買い付け
もって、イトマンの計算において同社の株式合計八二八万二〇〇〇株(購入代金合計一〇三億六一二五万三〇〇〇円)を不正に取得したものである。
第七 被告人伊藤に対する絵画案件(平成三年(わ)第二七一八号の特別背任事件)
(犯行に至る経緯等)
1 許永中は、前記富国産業等のほか、関西コミュニティ株式会社、株式会社関西新聞社等多数の企業をその傘下におさめて実質的に経営し、右グループ企業(以下「許グループ企業」という。)全体の資金繰りを行っていたが、許グループ企業の大手街金融会社アイチからの借入高は、昭和六〇年時点では数十億円程度であったものが、地上げや仕手株の購入、さらに、コスモポリタングループの池田から経営を引き継いだ雅叙園観光の簿外債務処理のための資金需要拡大により、昭和六三年一二月末時点では五九六億円余りにのぼり、そのほかに、府民信組、東邦生命保険相互会社、株式会社キョートファイナンスなどからも多額の借入れがあって、金利の支払に追われ資金繰りが逼迫した状況にあった。
2 被告人伊藤は、平成元年一月中旬、許及び南野と協議して、許から雅叙園観光の経営を引き継ぐこととし、南野が府民信組から貸し付ける資金で雅叙園観光の簿外債務の処理に当たることとなり、従前簿外債務処理の関係で発生していた許の債務も協和が肩代りすることになったが、許の方でも、その保有するゴルフ場等の不動産開発プロジェクトを提供して被告人伊藤ないし協和を支援することとし、また、必要の際には相互に資金を融通し合うことにした。その結果、許グループ企業と協和との間では、同年三月から平成二年八月までの間に、合計約二〇〇億円ないし三〇〇億円の資金を互いに融通し合っていた。
3 被告人伊藤は、平成元年一一月中旬ころ、イトマン社長河村良彦から、同社でロートレック・コレクションを仕入れたうえ転売する取引を任され、許が絵画等美術品を収集していたことから、同月下旬ころ、その購入を持ちかけたところ、許もこれに応じ、同人が建設中の美術館の完成時期である二、三年後に代金六五億円ないし七〇億円で購入する旨の合意に達した。この取引の実務は、河村の指示により、加藤が支店長をしていたイトマン名古屋支店において取り扱うことになった。イトマンのロートレック・コレクション購入予定価格は約一六億円であり、河村は、その売買により多額の利益を上げる見込みがついたことなどから、絵画事業がイトマンに有用な事業であると考えるに至り、そのころ、被告人伊藤及び加藤に対し、イトマンにおいて、今後、不動産関連の融資事業かち順次撤退して資金を回収し、その資金を絵画事業等の新規事業に投入する意向であることを話し、これら絵画事業について、被告人伊藤と加藤で協議しつつ進めるように指示した。
4 被告人伊藤及び加藤は、平成二年一月から二月にかけて、許との間で、許グループ企業がイトマンから資金提供を受けて絵画を買い付け、それを転売して得た利益を両者で折半することなどを内容とする共同事業計画について検討していたが、同年一月三一日、河村にその旨の報告を行い、右計画についての了承を得た。その際、河村は、被告人伊藤が絵画取引関係者をよく知っているなどと考えていたことから、翌二月一日からイトマンに理事・企画監理本部長として入社することになっていた同被告人に対し、「絵画の取引は君が責任をもってやってくれ。」と指示し、他方、加藤に対しては、絵画取引は名古屋支店で扱い、仕入代金の支払や管理等をするように命じた。
5 被告人伊藤は、同年一月三〇日ころと二月八日ころの二回にわたり、許から、加山又造の絵画「花吹雪」及び「花びら」を担保にイトマンから融資してほしい旨の申入れを受け、加藤と協議のうえ、禀議にかける時間的余裕がなかったため、被告人伊藤の実質経営する株式会社レイの預金口座を経由して行われていたイトマンの大平産業株式会社に対する融資資金を一時流用して、許の資金的便宜を図ったが、許との絵画の共同事業計画は、仕入れた絵画の所有権の帰属に関する折り合いがつかず、不成立に終わったことから、披告人伊藤及び加藤は、今後は、許から絵画担保の融資の申入れがあってもこれには応じず、許が絵画の売買に応じるなら、イトマンがその代金を支払うとの方針で対応することとし、同年二月中旬ころ、許にその旨伝えて承諾を得た。
(罪となるべき事実)
被告人伊藤は、平成二年二月一日、イトマン理事・企画監理本部長に就任すると同時に、同社代表取締役社長である河村の命により、同社が新規事業として行う絵画等美術品の仕入及び販売等の事業(以下「絵画事業」という。)を管理統括する地位に就き、同年六月二八日以降は、同社取締役として、引き続き同様の地位にあるとともに、同月二九日から、同社の子会社株式会社エムアイギャラリー(本店所在地は、名古屋市中区栄一丁目三番三号)の代表取締役として、同社の行う絵画事業に関する業務全般をも統括していたもの、加藤は、イトマン代表取締役名古屋支店長(同年四月一日からは、企画開発名古屋第二本部長、企画監理本部副本部長を兼務)の地位にあるとともに、同年六月二九日からはエムアイギャラリーの代表取締役となり、右各社において行う絵画事業に関し、それぞれ被告人伊藤を補佐する地位にあったものであるが、被告人伊藤及び加藤は、いずれも絵画等美術品の取引経験も専門知識も乏しかったのであるから、イトマンの商品として高額の絵画等美術品を仕入れるに当たっては、その商品としての特質上、あらかじめその真贋及び価格の評価につき専門家の意見を徴するなどの措置を講じ、特に慎重に購入の可否を決すべきであるとともに、仕入原価をできる限り廉価とするなど仕入に伴う無用な経費の支出を極力避け、同社に損害を加えることのないように同社のため誠実にその職務を遂行すべき任務を有していたにもかかわらず、それぞれその任務に背き、許と共謀のうえ、
一 許及び被告人伊藤の利益を図り、その反面、イトマンに損害を加えることを認識認容しながら、別紙一覧表(二)記載のとおり、平成二年二月二二日ころから同年八月末ころまでの間、前後一二回にわたり、大阪市中央区本町三丁目六番二号所在のイトマン大阪本社等において、百貨店における店頭表示価格約二四一億二〇〇〇万円相当の絵画等合計一八六点につき、イトマンが許の実質的に経営する関西コミュニティ等三社からこれを買い受けるに当たり、同社等が申し出た売買代金価格が著しく不当に高額であることを認識しながら、あえて右申し出の金額のままの合計四七二億〇四一〇万円で買い取り、同年二月二三日から同年九月四日までの間、前後一八回にわたり、イトマンから関西コミュニティ等三社に、現金合計三二五億八〇〇〇万円及びイトマン振出の約束手形二一通(額面合計一三九億七四一〇万円)によりその代金の支払をさせ、もって、イトマンに対し、約二二四億三〇〇〇万円相当の財産上の損害を加え
二 許及び被告人伊藤の利益を図り、その反面、エムアイギャラリーに損害を加えることを認識認容しながら、同年七月二六日ころ、前記イトマン大阪本社等において、百貨店における店頭表示価格約二二億六〇〇〇万円相当の絵画合計二五点につき、エムアイギャラリーが許の実質的に経営する関西新聞社からこれを買い受けるに当たり、同社が申し出た売買代金価格が著しく不当に高額であることを認識しながら、あえて右申し出の金額のままの合計六三億円で買い取り、同月三一日、大阪市北区曽根崎一丁目一番二号所在の株式会社三和銀行梅田新道支店の関西新聞社文化事業部普通預金口座に現金六三億円を振込送金させ、もって、エムアイギャラリーに対し、約四〇億四〇〇〇万円相当の財産上の損害を加え
たものである。
第八 被告人伊藤に対する府民信組案件(平成三年(わ)第三三九五号の背任事件)
(犯行に至る経緯等)
1 府民信組は、中小企業等協同組合法に基づき、昭和二六年一二月に設立された信用組合で、本店を大阪市中央区内本町二丁目三番五号に置き、当初は、主たる営業区域を大阪府北部としていたが、その後、大阪府中部、南部の各地区にも支店を設置して業容を拡大し、昭和六三年四月には、許永中の実質支配する豊国信用組合を救済合併した。
2 南野洋は、新千里ビル株式会社を中心とする新千里ビルグループの実質的経営者として、主に大阪府北部で不動産業等を営む一方、昭和六一年四月に府民信組の代表理事(理事長)に就任し、以来、同組合の行う預金の受入、資金の貸出し、手形の割引等の業務を統括、掌理していたものであるが、不動産関連事業への大口貸出し等積極的な経営方針を取り、預金額、貸出額とも急増させ、組合の規模を拡大させていた。
3 雅叙園観光の手形を簿外で乱発して失踪したコスモポリタングループのオーナー池田保次に代わってその経営支配権を掌握した許は、配下の田中東治を支配人として送り込み、同社振出の手形の処理等に当たらせていたが、池田が乱発した手形の処理資金に窮したことから、昭和六三年一二月上旬ころ、南野に対して資金援助を依頼した。南野は、同月中旬ころ、府民信組相談役で新千里ビル代表取締役社長でもある山田一美らと雅叙園観光の土地建物を視察し、また、山田に同社の簿外債務の実態を調査させたうえ、府民信組から、自己のグループ会社である株式会社茨木興産あるいは株式会社高橋ビルを介して、合計約九〇億円を許側に貸し付けた。
4 被告人伊藤は、池田に対して雅叙園観光の連帯保証の下、合計約二七〇億円を貸し付けていたが、池田の失踪により右貸付金を回収できずに苦慮していたところ、南野が府民信組から雅叙園観光の乱発手形の処理資金を許に貸し付けていることを知り、この機会に、池田に対する前記約二七〇億円の連帯保証人となっている雅叙園観光に対し右債権を請求することにより、その一部でも回収しようと考え、平成元年一月上旬、協和から雅叙園観光宛に、元利合計約二九八億円の連帯保証債務の履行を求める内容証明郵便を送付した。
5 南野は、協和が雅叙園観光に対し巨額の債務の履行を請求してきたことを知るや、このまま放置して雅叙園観光が倒産することにでもなれば、これまで、府民信組が許を通じるなどして同社に融資した資金が貸倒れとなって、自己に対する責任追及を免れないばかりでなく、自己が大量に保有する同社の株式も無価値となることから、平成元年一月中旬ころ、自己の経営する割烹旅館千里石亭に、被告人伊藤及び許を呼んで会談し、その後も被告人伊藤との話合いを重ねた。
(罪となるべき事実)
南野は、当面、雅叙園観光の倒産を食い止めることによって、自己に対する責任追及を免れるとともに、同社の株式が無価値となる事態を防ぎ、さらに、将来的には、雅叙園観光の経営権を実質的に掌握し、東京証券取引所一部上場企業である同社のネームバリューを利用して、不動産事業、ゴルフ場開発事業を展開して利益を上げることをも期待して、被告人伊藤に対し、協和が許から雅叙園観光の経営を引き継ぎ、南野が府民信組から実質上無担保で協和に貸し付ける資金で雅叙園観光の簿外債務の処理に当たるよう申し出をなし、他方、被告人伊藤は、南野の右申し出を受ければ、一部上場企業の経営者になれるうえ、半ば回収を諦めかけていた雅叙園観光に対する多額の債権の一部でも回収が期待できるばかりか、同社の簿外債務処理に要する資金は、すべて、府民信組から実質上無担保で貸し付けるとのことであったので、これを承諾することとした。
被告人伊藤及び南野は、自己らにおいて経営権を掌握しようとしていた雅叙園観光の簿外債務の処理等に充てるため、府民信組の資金を、協和に対して、手形割引名下に不正に貸出しようと企て、山田及び府民信組審査部長瀬良勇らと共謀のうえ、別紙一覧表(三)記載のとおり、平成元年二月七日ころから同年七月二六日ころまでの間、合計三一回にわたり、前記所在地にある府民信組本店において、協和から同組合への手形割引名下による資金の借入申込みに関し、府民信組の代表理事(理事長)であった南野において、その貸出条件等を審査決定するに当たっては、法令や同組合の貸出規定等に定めるところに従ってこれを遵守し、誠実にその職務を遂行しなければならない任務があるところ、右法令等によれば、資金の貸出しは、貸出諸条件に照らし回収確実と認められる場合に限られ、かつ、貸出額に相応する確実な担保を徴求することとされ、また、同一取引先に対する貸出限度額が定められており(本件当時原則として四億円)、商取引の裏付けのない金融手形の割引は禁止されていたのに、その任務に背き、協和及び南野の利益を図り、その反面、府民信組に損害を加えることを認識認容しながら、同信組から協和に対し、直接、又は、その貸出制限を潜脱するためのいわゆるダミー会社である大信リース株式会社若しくは大信ファイナンス株式会社を経由して、前記規定等による貸出限度額を超え、かつ、確実な担保を徴求しないまま、それぞれ、商取引の裏付けのない金融手形の割引を実行して、手形割引名下に合計二六七億一七四五万〇六九四円を振込送金して貸し出し、いずれも、これら貸出債権の回収を著しく困難にさせ、よって、府民信組に対し、同金額相当の財産上の損害を加えたものである。
第九 被告人伊藤に対する偽造案件(平成三年(わ)第三七七四号事件)
(罪となるべき事実)
被告人伊藤は、協和の代表取締役として同社を経営する傍ら、東京証券取引所一部上場の雅叙園観光株式会社の簿外債務の処理等に当たっていたものであるが、右事業資金等に窮し、株券等を偽造して資金調達の用に供しようと企て、行使の目的をもって、ほしいままに、
一 協和が株式会社ウイングゴルフクラブ(代表取締役は被告人伊藤)名義で、名古屋伊藤萬不動産を介しイトマンから融資を受けるに際し、伊藤泰治と共謀のうえ、平成元年八月三〇日ころ、名古屋市中区千代田三丁目一八番三五号所在の印刷業者「水正印刷」こと水野正彦に対し、別紙一覧表(四)記載の株式会社相武カントリー倶楽部取締役社長郷司浩平作成発行名義の同社の株券合計三九枚(株数合計一万八四〇〇株)の印刷を注文し、情を知らない同人をして、そのころ、これを印刷して納入させたうえ、同年九月一〇日ころ、同区千代田三丁目二四番一一号IBハイネス鶴舞所在の株式会社イブキ事務所において、右株券三九枚のそれぞれに作成発行名義人として印刷表示されている株式会社相武カントリー倶楽部取締役社長郷司浩平の名下に、あらかじめ、同区栄三丁目五番一号名古屋三越百貨店内の中日印章印刷株式会社三越店に発注して入手していた「株式会社相武カントリー倶楽部印」と刻した角印及び「株式会社相武カントリー倶楽部代表取締役之印」と刻した丸印をそれぞれ冒捺し、もって、株式会社相武カントリー倶楽部の株券合計三九枚(株数合計一万八四〇〇株)の偽造を遂げ、次いで、同月一四日ころ、同区栄一丁目三番三号朝日会館所在の名古屋伊藤萬不動産において、右偽造にかかる株券三九枚をあたかも真正に作成されたもののごとく装って、同社総務部長中村貞夫らに対し交付して行使し
二 雅叙園観光が名古屋伊藤萬不動産を介しイトマンから融資を受けるに際し、同年一〇月九日ころ、情を知らない伊藤泰治をして、前記所在のイブキ事務所において、ワードプロセッサーを使用して、買付証明書と題し、株式会社新広島カントリー倶楽部の株券一〇万八八〇〇株及び株式会社小倉南カントリークラブの株券二四万株を代金総額二五〇億円で買い付けることを証明する旨の雅叙園観光代表取締役山本満雄宛の書面一枚を作成させたうえ、同月一二日ころ、前記所在の名古屋伊藤萬不動産において、買付証明書と題する右書面一枚の作成名義人欄に、あらかじめ、前記中日印章印刷株式会社三越店に発注して入手していた「大阪市中央区難波4―3―25 日本ドリーム観光株式会社 代表取締役都築冨士男」と刻したゴム印及び「日本ドリーム観光株式会社之印」と刻した丸印をそれぞれ冒捺し、もって、日本ドリーム観光株式会社代表取締役都築冨士男作成名義の買付証明書一通(平成四年押第五二号の213)の偽造を遂げ、そのころ、伊藤泰治を介し、前記所在の名古屋伊藤萬不動産において、右偽造にかかる買付証明書一通をあたかも真正に作成されたもののごとく装って、前記中村に対し提示して行使したものである。
(証拠の標目) 省略
(争点に対する判断)
第一 被告人両名に対する瑞浪案件
一 被告人両名の各弁護人は、いずれも、本件の実質は、イトマン側が銀一の出資証券全部を買い取ることによって、銀座物件を支配するとともに、瑞浪ゴルフ場の開発利益をも手中におさめた「銀座.瑞浪案件」と称すべき開発案件であって、イトマンにおいて十分採算の見込まれるものであったから、被告人らには、図利加害目的や任務違背はなく、もとより、任務違背や損害発生についての認識認容もなかったものであるから、無罪である旨主張し、また、被告人伊藤の弁護人は、同被告人は、商法四八六条一項所定の「営業ニ関スル或種類若ハ特定ノ事項ノ委任ヲ受ケタル使用人」に該当せず、特別背任罪の身分を欠く旨主張する。
そこで、以下、右各主張の当否について判断する。
二 関係各証拠によれば、概ね以下の事実が認められる。
1 まず、銀一名義による被告人伊藤側に対する四六五億円の融資実行に至る経緯について、判示の「犯行に至る経緯等」の内容を敷衍するに、
(一) 被告人河村は、平成元年一〇月上旬から中旬にかけて、被告人伊藤から、協和等で手掛けているプロジェクトの概略とおおよその借入金額を聴取すると、最初はイトマンから融資を行い、企画料等名目で一割程度をイトマンに還流させたうえ、最終的にプロジェクトごと買い取ってイトマンが事業主体になれば、多額の利益を上げることができるなどと考え、全プロジェクトをイトマンと協和の共同事業とし、借入金全額約二〇〇〇億円をイトマンで肩代りする方針を固め、右方針につき三副社長ら幹部役員の了解を取り付けておくため、加藤に、協和関連の全プロジェクトを網羅したレポートをまとめるよう指示した。
被告人河村は、被告人伊藤から、銀座物件にビルを建てても、年間一〇億円近い赤字が出る旨聞いており、採算を合わせるには、五〇〇億から六〇〇億円の自己資金を投下する必要があると考えていたことから、被告人伊藤や加藤に、「関と瑞浪で銀座を浮かすこと」「関ゴルフ場の会員権を一〇〇〇億円、瑞浪ゴルフ場の会員権を八〇〇億円で売ることにすればいい。」などと現実離れのした指示をしたり、千葉県我孫子市と大阪府河内長野市加賀田の宅地造成プロジェクトは、地元住民や自治体の反対が強いため、開発行為の許認可を得られる目途が全く立っておらず、また、相武カントリー倶楽部のゴルフ場用地の一部を転用して宅地造成するプロジェクトも、協和では、同社の発行済株式の四六パーセントしか買収できておらず、過半数株式を取得できる具体的な目途が立っていなかったにもかかわらず、そのことを知りながら、「加賀田、千葉我孫子、相武」を関連プロジェクトとして余剰金を出し、無利息の資金を銀座に投入できるという資料を作るよう指示して、イトマン内部からの異論に備えようとした。
(二) そして、加藤がイトマン幹部役員に対する前記融資等の説明用資料として作成した「(株)協和綜合開発研究所融資関係資料」と題する資料には、協和の借入金残高が一八八〇億円あるうえ、これに対する担保は、銀座物件を六一〇億円(坪当たり一億五〇〇〇万円)とするなど過大に評価したとしても、債務額を一一一億円下回ること、銀座物件にビルを建てた場合の採算は、年間九億七二〇〇万円の赤字が出て、三七二億円の資本金を投入する必要があることなどが記載される一方、被告人河村の前記指示に沿って、「我孫子、相武、加賀田」の宅地造成利益が合計一四六一億円にのぼり、担保不足額は、右利益でまかなえる旨記載された。また、協和は、関、瑞浪のほか、三重、相武、京都、柏でもゴルフ場開発を行っており、イトマンで資金援助を行い、会員権募集を行うことにより、費用を差し引いても、四七〇億円の余剰資金を集めることができる旨記載され、各プロジェクトの明細書まで添付されていたが、前記のとおり、相武カントリー倶楽部は、過半数株式取得の目途が立っていなかったばかりでなく、京都ゴルフ場は、雅叙園観光の簿外債務処理のため、許永中が被告人伊藤に提供したプロジェクトで、株式会社ケー・ビー・エス開発(代表取締役は被告人伊藤)名義で開発行為許可申請中であったが、同社は、ゴルフ場用地等を担保に、ゴルフ場開発以外の使途に充てるため、既に一四六億円もの債務を負担しており、三重県一志郡のゴルフ場は、株式会社丸二を事業主体とするプロジェクトで、地権者全員との用地交渉が終了し、かつ、開発許可申請が認められた場合には、将来協和との共同経営を行ってもよい旨の口約束がなされていたにすぎず、柏に至っては、協和に話が持ち込まれていたというだけで、これらの事情は、加藤のみならず被告人河村も、被告人伊藤から説明を受けて知っていた。このように、協和が手掛けているというゴルフ場開発も、関ゴルフ場はともかくとして、他は開発の目途が立っていないか、そもそも協和のプロジェクトとはいい難いもので、無利息の資金四七〇億円なるものは、絵空事にすぎなかった。さらに、協和に対しては、銀座関連の四六五億円の融資と併せて、雅叙園観光の債務処理のため、七三億円を融資することが計画されていたが、雅叙園観光のホテル敷地は、同社と対立関係にある細川一族関連会社の所有地、ないしは相続税の物納による大蔵省管理地で細川一族関連会社が賃借している土地であり、雅叙園観光には借地権すらほとんどなく、細川一族の意向に反して雅叙園観光が土地の払下げを受け、その有効利用を図ることは極めて困難な状況にあり、そのことは、加藤のみならず被告人河村も、被告人伊藤から聞いて知っていたにもかかわらず、坪当たり七七〇万円で払下げを受けられるとして、五八二億円もの含み益があり、マンションを建設して分譲すれば、一二〇〇億円もの利益が上がる旨の記載もなされた。以上のとおり、右資料は、イトマンが、被告人伊藤関連のプロジェクトに共同事業として取り組むことにより、莫大な収益が得られるかのように見せかけるだけのもので、決裁権者や審査部門に正確な情報を提供し、合理的な判断に資するというにはほど遠く、被告人河村は、単にそのことを認識していたばかりでなく、むしろ被告人伊藤及び加藤を慫慂して、かかる資料を作成させたのである。
(三) 同年一一月六日、イトマン東京本社において開かれたいわゆる六人委員会では、加藤が右資料に沿って説明していったが、被告人河村も口をはさみ、被告人伊藤は大蔵省に顔が利くので、雅叙園観光の土地の払下げについて、既に約束ができているなどと補足して説明した。管理本部長の木下久男専務は、審査部名古屋駐在主任部員西河英雄から事前に資料を受け取って協和の財務諸表も検討していたことから、同社の資産状態を見ると会社として信用することはできないので、融資ごとに担保をしっかりと徴求する必要がある旨の意見を述べたものの、三副社長は、今後本格的な事業採算計画の提案があり、あらためて予備審議会で検討するものと理解し、イトマンが被告人伊藤関連のプロジェクトに共同事業として取り組む旨の被告人河村の方針に異論を唱えるものはなかった。なお、このとき、加藤は、銀座プロジェクトに四六五億円の融資をする旨説明しただけで、被告人河村も、銀座関連の債務六六六億円の残額について、瑞浪ゴルフ場への融資名目で出金する意向であることには、一切触れなかった。
(四) イトマン審査部副本部長の佐々木文彦は、同年一一月一〇日から一四日にかけて、協和への四六五億円の融資につき審査を行ったが、協和の財務内容が脆弱であり、業績面も安定性を欠くうえ、投資案件が多数あるものの未だ十分に実態の把握ができていない段階にあるとして、当面は、担保ないし見返り最重視、各プロジエクトごとに収支及び損益を明確に区分して完結させることで対応したいとして、右融資に関しては、「<1>銀座物件に根抵当権及び賃借権設定の仮登記をすること、<2>銀一の出資証券二一一口全部を担保に徴求すること、<3>協和及び被告人伊藤に連帯保証をさせること、<4>返済手形を徴求すること、<5>出資証券及び銀座物件の担保提供についての銀一の議事録を徴求すること、<6>適用金利を年九パーセントとすること」との条件を付するとともに、加藤に銀座物件の利用について確認したところ、「土地の活用、収益化を目的として、イトマン八〇パーセント、被告人伊藤二〇パーセント出資の子会社を設立し、ビル計画具体化の時点で、同社に債務者変更の予定であり、出資証券二一一口のイトマン買取等税務対策を含め検討中である。」との説明を受けたことから、「早期に新会社設立のうえ、これへの肩代りを進められたい」との意見を付け、また、東京法務部主任部員吉田修一から、協同組合である銀一の性格上、その所有の土地等を第三者(協和)のため担保に提供することは法律上疑義があるとの指摘があったことから、貸付先を銀一とする措置を取った。
その後、右限度決裁は、木下久男、営業本部長木下義美、芳村、髙柿及び藤垣の三副社長の決裁を経て社長の被告人河村が決裁したが、被告人河村以外の決裁権者らも、限度申請書等の記載から、本件は、銀一の出資証券二一一口の買取という含みを持った融資であり、将来的にはイトマン八〇パーセント出資の子会社を設立して、イトマンが主体となって銀座物件の開発事業を展関する中で、債権回収を図るものと理解していた。
2 次に、四六五億円の融資実行後の融資経路の変更等について見るに、
(一) 加藤は、平成元年一一月一三日、資本金一億円(イトマン八〇〇〇万円、被告人伊藤二〇〇〇万円)で新会社「株式会社エムアイインペリアルウイング」を設立する旨の「新会社設立並びに出資の件」と題する申請書を起案し、所要の決裁を受けたうえ、平成二年三月六日、銀座物件の所在地に本店を置く株式会社エムアイ銀座ビルの設立登記をし、被告人両名が代表取締役に就任した。ただし、同社の資本金一億円のうち八〇〇〇万円は、決裁申請書記載のとおりイトマンが出資したものの、残りの二〇〇〇万円は、被告人伊藤ではなく、当時イトマン及び関連会社において第三者割当増資の大部分を引き受けていた雅叙園観光が出資することになった。
一方、平成二年一月から二月にかけて、佐々木の指示を受けた吉田が、イトマン関連会社において銀一の出資証券を取得し、イトマンで銀一の支配権を握るため、事業協同組合の組合員資格等の調査を行ったうえ、必要とされる五名以上の組合員につき、東京都に事業所を有し、法人では資本金一億円を超えない事業者に限定され、かつ、実態のないペーパーカンパニーは除かれるなどの条件を備える候補会社の選定を行うなどした。しかしながら、出資証券をイトマン傘下の五社が取得し、銀一をイトマンの支配下に置くと、後記のとおり同年三月期末に銀一名義で融資斡旋手数料として入金された一八億五四〇〇万円の返還問題が発生し、決算の組み直しを迫られることとなるため、結局、イトマン側で銀一の出資証券ひいては銀座物件を取得することは先送りとされていた。
(二) 四六五億円貸付の際のイトマンの原資は、コマーシャルペーパー等により調達したいわゆる短期資金であったが、このことを伝え聞いた住友銀行本店のイトマン担当者は、長期資金に切り替えるのが相当であるなどとして、平成二年一月末ころ、財務担当副社長の髙柿に対し、イトマンの銀座物件等に関する融資につき、その原資を貸し付ける用意があることを伝え、被告人河村も同行からの借入を了承した。イトマンとしては、同社及び連結子会社の期末の借入(貸付)残高を減少させるため、住友銀行等から直接エムアイ銀座ビルに融資するよう求めたが、住友銀行では実績のない同社への融資に難色を示し、結局、住友銀行からイトマンの子会社伊藤萬不動産販売に三〇〇億円を融資し、同社からエムアイ銀座ビルに融資する形を取ることになった。また、当初、銀座物件に関してイトマンでは、総額六〇〇億円の融資を受けることが計画され、銀座物件を担保に住友銀行から三〇〇億円を借入れ、残金の三〇〇億円については、イトマンの債務保証予約により、ノンバンクのナショナルリース株式会社から二五〇億円、株式会社ティーディーエスから五〇億円の借入れが検討されたが、ナショナルリースからイトマン側への転貸融資金の貸付を求められた住友銀行が、銀座案件について三〇〇億円以上の与信を与えることはできないとして断ったため、ナショナルリースからの借入れができなくなった。また、住友銀行からの三〇〇億円の融資についても、同行審査部から、イトマン側提出の銀座案件の事業計画では収支計画が不十分であるとの指摘を受けたため、被告人伊藤が、相武カントリー倶楽部の会員権販売代金等四四〇億円を銀座案件に投入する旨の事業計画書(実現可能性の乏しい計画であることは、前記のとおりである。)を追加提出して、ようやく同行審査部の認可を受けることができた。
同年三月二六日から四月九日までの間に、一連の借替えが行われた結果、エムアイ銀座ビルが、伊藤萬不動産販売から三〇〇億円(原資は住友銀行からの借入金)、名古屋伊藤萬不動産から一六四億九九〇〇万円、ティーディーエスから五〇億円の合計五一四億九九〇〇万円を借り入れ、銀一に五一三億五四〇〇万円を貸し付けることとなり、銀一は、右貸付金の中から、名古屋伊藤萬不動産に前記四六五億円を返済した(なお、右借替え途中の平成二年四月二日時点における銀一の借入先及び金額は、エムアイ銀座ビル四四八億五五〇〇万円、名古屋伊藤萬不動産六四億九九〇〇万円の合計五一三億五四〇〇万円である)。こうして、銀一は、従前名古屋伊藤萬不動産から借り入れていた四六五億円に加えて四八億五四〇〇万円の債務を負担することになったが、これは、協和が青木建設に芙蓉総合リースからの融資に関して保証料三〇億円を支払う必要があったほか、銀一がイトマンに融資斡旋手数料名目で一八億五四〇〇万円を支払ったためであった。
3 イトマンの平成二年三月期の決算対策の状況について見るに、
(一) 被告人河村は、平成元年一二月下旬ころ、被告人伊藤及び加藤に対し、「伊藤君の全案件に合計二〇〇〇億円を融資し、その代わりに伊藤君からイトマンにその一〇パーセントの二〇〇億円くらいを企画料等として入れてもらう。協和グループには損はさせない。そのうち、一〇〇億円は、来年三月までに入れてもらう。」などと指示していたが、平成二年一月一八日ころ、加藤を通じて、被告人伊藤に対し、イトマンから被告人伊藤に二〇〇〇億円を融資するので、その一〇パーセントの二〇〇億円をイトマンに企画料等として入金すること、協和には損はさせないし、二〇〇億円は先に協和の資金繰りに使ってもらっていいこと、取りあえずイトマンの同年三月期の決算対策のため一〇〇億円を入金すること、そのためのプロジェクトを早急に準備する必要があることなどを伝え、さらに、同年一月下旬ころ、被告人河村自ら、「三月末までに伊藤君の案件で一〇〇億円を企画料などとして出して、三月末の利益出しに協力してくれ。」などと重ねて被告人伊藤に要請した。
ところで、イトマンでは、昭和五九年ころから、イトマンファイナンスを通じて大平産業に地上げ資金を融資していたところ、平成元年一二月ころ、同社が多額の手形債務を抱えていることが発覚したことから、被告人河村は、イトマンファイナンスを通さず、イトマンから大平産業に融資を行い、かつ、同社に対する融資やその所有不動産の開発は、企画監理本部長に予定していた被告人伊藤に任せることにした。折から、地方中核都市にまで波及し始めた地価高騰を抑制するため、平成元年一〇月二七日、金融機関に対して土地関連融資の厳正化を求める大蔵省銀行局長通達が、更に平成二年三月二七日には不動産関連融資の総量規制を求める同通達が出され、ノンバンクにも融資自粛の要請がなされるなど、不動産業者向け貸出に対する締め付けが厳しくなる中で、イトマンから大平産業への融資は、被告人伊藤が実質経営するレイ等の会社を経由させることになっていたが、平成二年一月二四日ころ、被告人伊藤が加藤に、イトマンに入金する企画料等を含めた協和の資金繰り等について相談した際、大平産業への融資金にいくらか上乗せをして、その上乗せ分を企画料や協和の資金繰りに流用することにした。その結果、同年五月までの間に、大平産業への融資金としてイトマンからレイ等に融資された資金のうち、二〇〇億円以上が協和の資金繰り等に流用された。
被告人河村は、被告人伊藤が、大平産業への融資金としてイトマンからレイ等に融資した資金の一部を協和の資金繰り等に流用することを予想していたものの、イトマンに企画料等として入金すべき二〇〇億円を確保する必要もあるので、これを容認していた。そのため、平成二年八月ころ、企画監理本部副本部長の杉本満が、大平産業に融資すべき資金のうち約二〇〇億円が協和に流れたことを知って、被告人河村にその旨報告したが、被告人河村は、これを聞き流し、何の措置も講じなかった。
(二) 被告人伊藤及び加藤は、平成二年三月一二日ころから、決算対策用の利益出しのためのプロジェクト選定を行ったが、被告人伊藤は、同月一二日時点において、イトマンが許グループ企業から二八億円で購入した絵画の売却利益二二億円、融資斡旋手数料として、高岳町案件で九億円、銀座案件で二四億円、新広島カントリー案件で二〇億円の合計七五億円をイトマンに入金するほか、大平産業関係の土地仲介料として、名古屋伊藤萬不動産等イトマンの子会社二社に合計一七億円を入金するなど、協和及びその関連会社を通じイトマン側に総額約九二億円を入金する旨の案を示していたところ、その後、新広島カントリー案件については、平成元年一〇月に雅叙園観光名義で名古屋伊藤萬不動産から二二〇億円の融資を受けた際、既に融資斡旋手数料一〇億三〇〇〇万円を入金(半額は現金で、半額は平成二年三月三一日満期の約束手形で入金)していたので、同案件を利用することは止め、銀座案件の二四億円を一二億円に減額する代わりに、高岳町案件を合計一五億円に増額し、さらに、関ゴルフ場の関係で一五億円、瑞浪ゴルフ場の関係で一五億円の合計九六億円を入金することとし、翌一三日ころ、髙柿にその旨伝え、髙柿はそのころ、被告人河村に概要を報告した。ところが、被告人伊藤及び加藤は、被告人河村から、絵画による利益出しはもう少し後にするようにと指示されたため、結局、同月一九日ころ、高岳町案件で一〇億五〇〇〇万円、関ゴルフ場案件で二五億円、瑞浪ゴルフ場案件で一〇億円、京都ゴルフ場案件で一〇億円、相武カントリー案件で八億円、銀座案件で一八億円を、企画料や融資斡旋手数料の名目でイトマンに入金することにした。そして、被告人伊藤側から、同月二三日、高岳町案件で融資斡旋手数料七億一〇七〇万円と企画料三億七〇八〇万円の合計一〇億八一五〇万円が、同月二六日、関ゴルフ場案件で企画料二五億七五〇〇万円、相武カントリー案件で企画料四億二五〇〇万円が、同月二七日、同じく相武カントリー案件で企画料三億九九〇〇万円が、同月二九日、瑞浪ゴルフ場案件で企画料一〇億三〇〇〇万円、京都ゴルフ場案件で企画料一〇億三〇〇〇万円が、同月三〇日、銀座案件で融資斡旋手数料一八億五四〇〇万円がそれぞれ入金され(いずれも消費税額を含む金額)、そのおかげで、イトマンは、同年三月期決算で、公表予想経常利益額を上回る一三七億六四〇〇万円の利益を計上することができ、被告人河村は、目標利益額を達成した。ところで、企画料支払の名目とされた案件のうち、相武カントリー及び京都ゴルフ場が、開発の目途の立たない案件であることは、前記のとおりであり、また、高岳町案件は、協和が地上げ中の名古屋市内の土地に、イトマンとの共同事業でビルを建築するプロジェクトであり、前記「(株)協和綜合開発研究所融資関係資料」にも具体的に記載されていたが、平成元年一〇月の段階で、協和から他に転売する話がほぼまとまっており、被告人伊藤は、加藤に、イトマンとの共同事業にはできない旨明確に告げていた。しかるに、加藤は、平成二年二月、協和が住友銀行名古屋支店から右土地取得資金二三〇億円を借り入れるにつきイトマンが保証予約念書を差し入れる件の限度決裁申請書にも、「当社主導の新会社を設立し、共同事業として長期的な事業展開となる。」旨記載して決裁を受け、同年三月期の決算対策に右案件を利用した。そして、イトマン名古屋支店では、同年三月末から四月にかけて、加藤の指示に基づき、被告人伊藤の意を受けた同被告人の実兄伊藤泰治の協力を得て、高岳町案件のほか、関、瑞浪、京都、相武の各ゴルフ場案件につき、企画料支払をもっともらしく見せかけるための契約書や覚書が日付を遡って作成され、例えば瑞浪案件については、加藤の前支店長時代である昭和六二年一月に、既に協和と同支店との間において開発事業包括業務委託契約が締結されていたかのような書類を作成して、会計監査人による監査に備えていた。
なお、このとき、被告人伊藤側からイトマン側に支払われた企画料等の直接の原資は、いろいろあり、高岳町案件については、イトマンの保証予約で協和が住友銀行名古屋支店から借り入れた二三〇億円の一部を充てているが、被告人伊藤としては、最終的にはイトマンから大平産業に上乗せ融資して協和に流した資金約二〇〇億円の中から出したという感覚を持っていた。また、被告人伊藤は、同年九月の中間決算期にも、関ゴルフ場案件で販売手数料等六八億五〇〇〇万円と企画料五億円、瑞浪ゴルフ場案件で企画料二億円をイトマンに入金し、被告人河村の決算対策に協力したが、その原資は、関ゴルフ場の会員権一括購入の前渡金名目で名古屋伊藤萬不動産から支払われた三〇〇億円のうちの八〇億円であり、右前渡金の残金二二〇億円は、協和が資金繰り等に流用した大平産業への上乗せ融資分のイトマン側への返済のために使用された。
4 瑞浪ウイングに対する二三四億円の融資(本項において「本件融資」という場合には、右融資を意味する。)決定状況等について見るに、
(一) 被告人伊藤は、芙蓉総合リースから再三にわたり借入金二三〇億円の返済を迫られていたが、債務保証予約をしていた青木建設の承認を得て、平成二年三月三〇日までに返済する旨の延期願を提出したところ、芙蓉総合リースの担当者から、必ず同日までに返済するよう申し渡されていた。そこで、被告人伊藤は、前記のとおり、イトマンの決算対策用の利益計上のためのプロジェクト選定をしていた同月一二日ころ、加藤に、芙蓉総合リースへの返済期限が迫っているので、約束どおり二三〇億円の肩代りを実行するよう求めた。右申入れを受けた加藤は、瑞浪ゴルフ場の用地がほとんど借地で、融資のための担保として徴求することはできず、融資にすればこれに見合う担保がなかったことから、瑞浪ゴルフ場の会員権の販売総元請をイトマンが引き受けたことに伴う会員権販売代金の前渡金として二三〇億円を出そうと考え、その旨の限度申請書を作成したうえ、審査部名古屋駐在の西河に回付した。西河は、瑞浪ゴルフ場は工事にも着手しておらず、会員権も発行されていないのに前渡金を出すことは通常あり得ず、過去にも類例のない限度申請であると思ったものの、被告人伊藤関連の案件については、社長の被告人河村や支店長の加藤が積極的に推し進めようとしており、審査部において異論を差しはさめる雰囲気ではなかったことなどから、限度決裁書・審査所見書を作成し、契約書徴求等の型どおりの条件を付しただけで「可」の意見を付け、大阪本社の審査部長山口幸夫に送付した。しかしながら、有限度申請書等を受け取った山口は、この時点で前渡金として出金することには明らかに疑義があり、会計常識に反しているとして、加藤に対し、前渡金とすることは適当でない旨申し入れた。
(二) 右指摘を受けた加藤は、瑞浪ウイングに対し、ゴルフ場開発資金の名目で二三〇億円を融資する形を取ることにし、被告人河村にその旨報告して、予定どおりイトマンから協和に二三〇億円を融資するようにとの指示を受けたうえ、同年三月二三日ころ、「瑞浪ウイングが開発予定のゴルフ場につき、イトマンが企画・総合管理を行うこととなり、その開発資金として融資の申し出がなされた」旨の融資金額を二三四億円(二三〇億円に二か月分の金利を加算した金額)、返済期限を同年六月末とする限度申請書を作成した。瑞浪ゴルフ場の用地の大部分は借地であるうえ、同ゴルフ場の完成に必要な費用は既に投入した分も含め総額約九八億円の予定であり、しかも、加藤は、前記前渡金出金の限度申請書の副申書には、「工事費計画」として合計一三七億円を要する旨記載しながら、右限度申請書の副申書には、用地費等五九億円など合計二三三億五〇〇〇万円を要する旨記載し、融資金の二三四億円が同ゴルフ場の開発資金に使われるものであるかのように装った。また、加藤は、右限度申請書に瑞浪ゴルフ場が、未だ開発行為等の許認可を取得していないこと及び許認可を取得し得る見込みやその時期等については全く記載しなかった。
その一方で、そのころ、加藤がイトマン経理本部長の十合威夫に資金準備を依頼したところ、決算期末で調達が困難であるとして、新事業年度の四月早々にしてもらいたい旨要望され、やむなくこれを了承した。これを受けて、被告人伊藤は、青木建設及び芙蓉総合リースに、借入金返済期限を同年四月二日まで延長してほしい旨依頼し、その承諾を得た。また、加藤は、この資金調達につき担当副社長の髙柿の了解も得ておく必要があると考え、同年三月二〇日ころ、協和の芙蓉総合リースからの借入金を返済するため、瑞浪ゴルフ場の関係で二三〇億円を四月二日に出す予定である旨伝えた。さらに、被告人河村も、髙柿から右出金につき確認を求められた際、瑞浪ゴルフ場の関係で二三〇億円を出すよう指示した。
(三) 加藤は、同年三月二三日午前一〇時ころ、西河に前記限度申請書を渡し、「昼の電車に乗って大阪本社に持って行く。上層部も話は了解している。決裁書.審査所見書を付けてくれたらいい。」などと申し向け、西河は、社長の被告人河村らが既に融資実行の方針を決めたことなのでやむを得ないと思い、十分な審査をするいとまもなく、加藤作成の限度申請書に基づき、約一時間で限度決裁書・審査所見書を作成し、「貸付金額二三四億円、使途ゴルフ場開発資金、金利年九パーセント、実行日平成二年四月二日、期限平成二年六月末」などと記載したうえ、「<1>購入土地に対し根抵当権設定、<2>協和綜合開発研究所法人保証徴求のこと」との二項目の条件を付し、「条件付可」の意見を付けて加藤に渡した。
本件限度決裁の審査は、いわば営業担当者である加藤が作成した右限度申請書の記載内容がそのとおり間違いないことを前提とした形ばかりのものとなっており、本来なされるべきゴルフ場予定地の見分はもとより、当該予定地の不動産の権利関係の調査も実施されておらず、そのため、西河は、本件ゴルフ場予定地の大半が賃借の予定であるうえ、その賃貸借契約すら締結されていないことも知らないまま、前記のような条件を付した。
加藤は、同日、右限度決裁書・審査所見書等を大阪本社に持参し、審査担当者らの下を順次回り、「上の方の了解を得ているので、早くしてほしい。」などと言って急がせ、山口、佐々木は、いずれも十分な審査をしないまま、同日中に「条件付可」の意見を付し、木下久男も「条件付可」の決裁をした。その後、同年三月二八日までの間に、三副社長及び被告人河村らの決裁が順次なされたが、いずれも審査部門が付した意見どおりの「条件付可」であった。
なお、被告人河村及び同月二〇日ころ加藤から事情を知らされた髙柿を除き、他の決裁権者や審査担当者らには、本件融資金の使途が、瑞浪ゴルフ場の開発資金ではなく、協和の芙蓉総合リースからの借入金の返済に充てられるものであることは知らされていなかった。
そして、平成二年四月二日、住友銀行栄町支店のイトマン名古屋支店名義の口座から瑞浪ウイング名義の口座に二三〇億二四九五万八九〇五円が振替入金されて本件融資が実行されたが、本件融資に関しては、金銭消費貸借契約書も作成されておらず、同年九月ころ、企画監理本部開発業務部法務担当課長の指摘を受け、日付を遡って作成された。
三 以上の事実関係に基づき、争点について順次検討する。
1 まず、被告人両名の各弁護人は、本件の実質は、イトマン側が銀一の出資証券全部を買い取ることによって、銀座物件を支配するとともに、瑞浪ゴルフ場の開発利益をも手中におさめた「銀座・瑞浪案件」とも称すべき開発案件であって、本件融資金二三四億円は、銀一の出資証券二一一口の買取代金約六六六億円の残金の支払であり、便宜上、融資の形態を取ったものである旨主張する。
しかしながら、前記認定のとおり、そもそも、右四六五億円の融資金についても本件融資金についても、それらの限度申請書及び決裁書からも明らかなとおり、融資案件として手続が履践されていること、イトマン側では、銀一に対する四六五億円の融資金についても、本件融資金についても、被告人伊藤側の所要資金にそれぞれ利息を加算して貸付額としたうえ、前者については三か月分の利息を、後者については二か月分の利息を、前受利息として天引きしており、かつ、その後も引き続き利息の支払を受けていること、また、イトマン側では、平成二年三月期末に、右四六五億円の融資に関連して銀一名義で一八億五四〇〇万円の融資斡旋手数料を、本件融資に関しても一〇億三〇〇〇万円の企画料を受け、いずれも利益計上していること、銀一の出資証券をイトマン傘下の五社が取得して銀一をイトマンの支配下に置くと、右融資斡旋手数料の返還問題が発生し、決算の組み直しを迫られることとなるため、結局イトマン側で銀一の出資証券を取得して支配下に置く問題は先送りにされていたこと、被告人伊藤にとっても、銀座物件の売却となれば、課税の問題が生じて借入金の返済に支障となることから、イトマンに肩代り融資をしてもらって、同社への返済を待ってもらうのが得策であったと推認できることなどに徴すると、右四六五億円の出金はもちろんのこと、本件二三四億円の出金も、出資証券の売買自体ではなく、やはり被告人伊藤側の借入金を肩代りするための融資と評価せざるを得ず、この点に関する弁護人の主張は採用できない。(なお、被告人伊藤は、平成元年一〇月に、東京国税局に行き、出資証券を六五五億円で売却した場合に課税がどうなるのか指導を受けたが、出資証券取得原価を約四四二億円、協和に支払う成功報酬を二〇〇億円、青木建設への支払保証料を約三〇億円とし、銀座の原価総合計は六七二億円である旨の「出資証券原価及び売買契約形体案」と題する文書に基づき説明したところ、成功報酬二〇〇億円の支払を受ける協和に法人税が課税されると言われたが、協和はコスモポリタンに対する貸付金二八〇億円を損金として落とそうと計画していたので、実質支払わなくて済むと理解していた旨供述する(第127回公判調書中の被告人供述調書速記録4丁。以下、公判調書中の供述調書を引用する場合には、公判回数と丁数のみ記載する。)。しかしながら、右書面は、出資証券の取得原価に計上した有限会社銀一館等の借入金の利息、を年約二六パーセントの高利で計上しているうえ、協和の事業として出資証券の買収等を行ったにもかかわらず、また、役務の提供時期も無視し、一括して協和に対する二〇〇億円の成功報酬を計上する一方、協和が青木建設に支払う保証料三〇億円も費用として計上するなど、不自然不合理な内容となっており、税務当局に通用しないことは明らかであること、コスモポリタンに対する貸付けは、一部上場企業である雅叙園観光が連帯保証するなどしているため、貸倒損失として計上できず、そのことは、被告人伊藤も税理士から聞いて知っていたこと(2160裁面調書30丁)などに鑑みると、被告人伊藤の右公判供述は措信できない。)
もっとも、被告人河村らは、既に平成元年一〇月下旬の時点で、協和側の銀座物件関連債務約六六六億円全額をイトマンにおいて肩代りし、銀座物件の開発事業(以下「銀座案件」ともいう。)の中で回収するとの方針を立て、協和の芙蓉総合リースからの借入金債務二三〇億円についても、名目上は瑞浪ゴルフ場に対する短期貸付金として出金するが、後で債務者を変更して銀座案件で回収することを意図していたことなどに徴すると、被告人河村らの本件犯行に関する故意や図利加害目的などの主観的要素について判断するに当たっては、瑞浪ゴルフ場とともに銀座案件の採算性等についても検討を加えることが必要というべきである。
2 財産上の損害発生の有無と被告人河村らの認識について
そこで、銀座物件を支配下に置くことが、イトマンに巨額の投下資金に見合うだけの利益をもたらすものであったか否かについて検討し、併せて、弁護人らの主張する瑞浪ゴルフ場の開発利益や関ゴルフ場の会員権独占販売権を得ることによる利益についても検討を加えることとする。
(一) 銀座物件の資産価値について
被告人伊藤は、協和の総務部長鈴木淳三に指示して、平成元年四月二六日ころ、銀座物件について、国土利用計画法に基づき、買主を青木建設、坪単価約一億三五〇〇万円(総額約五四九億円)として、東京都知事に売買の届出をしたところ、同年五月二五日、東京都側から、価格の上限を坪当たり約九五〇〇万円(総額約三八八億円)に押さえるように指導されたことから、銀座物件の転売価格は四〇〇億円程度に規制されることを十分認識しており、また、被告人河村も、銀座物件は、国土法価格の制限のため四〇〇億ないし四三〇億円でしか売却できないとの認識を有していた。
しかしながら、住友銀行名古屋支店長(平成元年五月からは同行本店営業本部長)の大上信之が、銀座物件は五〇〇億円程度の価値があるものと見て、被告人伊藤のため処分先を斡旋しており、実現には至らなかったものの、日本生命保険相互会社から、不動産部長名で、取得価格の上限を坪当たり一億二〇〇〇万円(総額五〇〇億円弱)とする昭和六三年九月二〇日付け買付証明書が出されたこと、ダイエーグループを率いる中内功の相続税対策の一環として、持ち珠会社を作り銀座物件を取得してはどうかという案が検討され、平成元年九月二〇日ころ、ダイエーの子会社日本ドリーム観光と銀一、協和との間で協和側が総額五〇〇億円の対価を得る内容での覚書が交わされていること、最終的に合意に至らなかった理由について、日本ドリーム観光の専務取締役近藤勝重は、取引の方法論と採算性の問題を解決できなかったので、被告人伊藤と価格交渉をするところまで行かず、断念せざるを得なかった旨供述するが、被告人伊藤の方でも、大上にダイエーとの話を流してほしい旨依頼しており、被告人河村も、被告人伊藤が日本ドリーム観光との間で交渉を進めていると聞いて、平成元年一〇月一一日、被告人伊藤とともに近藤に会い、イトマン側で銀座物件を取得することにつき了承を求めていることからすれば、ダイエー側との話を煮詰める前に、被告人河村が更に有利な条件を提示してきたため、被告人伊藤の方で交渉を打ち切ったという側面があったことも否定できないことなどに鑑みると、被告人らが銀座物件について五〇〇億円程度の価値があるものと認識していた旨の弁解を無下に排斥することはできない。
なお、平成元年二月二八日申請の住友銀行名古屋支店の極度外取引認可申請書中に、銀座の土地について「売却予定価五四〇億円」との記載があるところ、被告人河村の弁護人は、大上の供述を根拠に、同行が五四〇億円の値を見込んでいた旨主張する。しかしながら、右大上供述は、右申請書の記載について記憶はないが、住友銀行には「モーゲージ」という不動産を評価する組織があるから、そこが出した金額ではないかと思う旨のあいまいなものであるうえ、被告人伊藤が、坪当たり一億三五〇〇万円として国土法価格の届出をしただけでなく、銀座物件を上限価格坪当たり一億三五〇〇万円で買い受ける旨の日本生命保険相互会社不動産部長作成名義の昭和六三年一二月一五日付け「お願い書」と題する文書を勝手に作成していたこと、平成二年三月期末の借替えに際し、住友銀行の依頼により住銀モーゲージサービス株式会社が行った銀座物件の評価額は四一六億七六〇〇万円にすぎなかったことなどに鑑みると、右の金額は、同行自体の評価額ではなく、売主である協和側の資料に基づく「売却予定価」にすぎないものと認めるのが相当である。
(二) 銀座物件と南青山の土地の交換について
イトマンでは、イトマンファイナンスの融資先から、南青山の土地を引き取り、東京本社ビルを建設すべく残りの土地の買収を進めたが、長寿庵の屋号でそば屋を営む渡辺利之や相馬株式会社等の土地所有者が買収に応じないため、虫食い状態のまま有効利用ができないでいたこと、イトマンは、イトマンファイナンスを介し、この土地の買収等に多額の資金を貸し付けていたため、昭和六三年四月から五月にかけて、南青山の土地保有会社であるイトマンビルディング株式会社の資本金を、五〇〇〇万円から五〇〇億円に増資し、この出資金により借入金を返済して金利負担を軽減したものの、その後も資金を注ぎ込んだため、平成二年七月には、同社の資本金を九〇〇億円に増資せざるを得ず、そのため、巨額の資金が固定化して、イトマンの経常収支を圧迫していたことが認められるところ、被告人伊藤は、「イトマンが銀座物件を支配する最大のメリットは、南青山の地上げを成功させるための交換用地に使えるという点にあった。被告人河村は、被告人伊藤の提案を聞いて、名案だと喜び、即座にイトマンで銀座物件を買い上げて交換用地にしようと言った。長寿庵の土地の地上げに成功して、買収済みの奥の土地が青山通りに接することになれば、資産価値が三〇六億六〇〇〇万円くらい上がることになる。結局交換に成功しなかったのは、マスコミ報道等により、イトマンが地上げを続けていける状況ではなくなったためである。」旨供述する(第109回公判=2370裁面調書66丁)。
しかしながら、被告人河村は、「被告人伊藤の提案によって、南青山の地上げのために銀座の土地の一部と交換できればしようと考えて、被告人伊藤に交換を実行できるように指示したのは、同被告人がイトマンに入社した後で、平成二年四月以後になってからだった。」(1227検面調書二五項)、あるいは、「銀座物件の活用法は、ビル計画が第一候補であり、長寿庵を銀座に移すという話は平成二年初めころに聞いたと思う。」(第131回公判23丁)旨の、被告人伊藤とは異なる趣の供述をしているうえ、イトマン側では、四六五億円の融資をした時点では、長寿庵等に交換案を提示することも、その可能性について調査検討することもなく融資を実行しただけでなく、本件融資時点においても、長寿庵等に銀座物件との交換を打診しておらず、交換の成否について、具体的な成算や確実な展望があったとも認められないこと、企画監理本部東京開発室の市川淳や平岡熙が、被告人伊藤の指示を受けて、長寿庵等南青山の土地所有者に銀座物件との交換案につき打診したのは、同年五月下旬ころからであり、その後も何度か交渉したものの、渡辺は顧客の関係で南青山での営業継続を希望していて、銀座物件との交換には消極的であり、最終的には、青山通りに面したイトマン所有の別の買収地との交換が成立したことなどの事実関係に照らすと、被告人伊藤の提案は、着想としてはユニークなものであったにせよ、交渉相手の意向等を的確に踏まえたものではなく、その実現可能性は相当低かったといわざるを得ない。
そうすると、銀座物件を支配下に置くことによるイトマンの利益を評価するに当たり、南青山の土地との交換により長寿俺の立退に成功したことを前提とすることは相当でない。
これに対して、被告人河村の弁護人は、(1)交換用地として提供を申し出る土地が銀座の一等地であること、(2)長寿庵の南青山の土地は、細長い私道を通じてようやく店舗に達する極めて地形の悪い土地であって、銀座の広い通りに面し、かつ、地形の整った土地と交換されることは、誰が考えても好ましいことであること、(3)銀座物件のうちの適当な一部を分筆して提供するため、交換比率の点で弾力的な対応が可能であったことを根拠として、長寿庵が交換に応じることは確実視された旨主張する。しかしながら、具体的な調査検討を経ない右のごとき抽象論は、被告人河村が、銀座物件に興味を抱く契機とはなり得ても、交換の実現について確実な見通しを抱いていた根拠とはなり得ないものであるし、前記認定事実に照らしても、被告人河村が、右交換の成否について明確な展望をもって、銀座物件に関する協和の借入金の肩代りを決めたとは認められない。
(三) ビル計画による採算性について
関係各証拠によれば、被告人伊藤は、昭和六二年ころから、建築工事の設計監理等を業とする株式会社シム所属の一級建築士飛世真治らに依頼して、銀座物件にビルを建築する案をいくつか検討作成させたところ、テナントオフィスビルによる賃料収入はもとより、結婚式場経常等による事業収入を計算に入れても、借入金の利息額にも及ばず、銀座物件にビルを建築しても採算の取れないことが判明したこと、平成元年一二月下旬ころ、被告人伊藤は、被告人河村から銀座物件にビルを建築して事業化した場合の採算性について検討するよう指示を受け、協和の顧問税理士水野弘志や飛世に指示して、平成二年一月上旬ころから、地下一階、地上七階建ての床面積約三〇〇〇坪のオフィスビルを建築して賃貸する案、多目的ビルを建築して結婚式場・貸会場・スポーツクラブ等を経営する案など、いくつかの事業計画を立案させたものの、いずれも採算の取れないものであったこと、被告人両名とも、銀座案件は、土地の取得費用や建物の建築費用を巨額の借入金でまかなうため、金利負担が余りにも過大になり、思い切ってパチンコ店でも経営しない限り、賃料収入や結婚式場経営等の事業収入ではとても採算が取れないことは十分認識していたこと、被告人河村としては、イトマンでパチンコ店を経営することまでは考えておらず、結局、銀座案件で採算が取れるようにするには、金利負担のない多額の資金を投入する以外に方法がなく、被告人河村もその方針であったが、イトマンでは、平成元年九月以降は、エクイティファイナンスの実施ができず、また、南青山の土地に巨額の資金を投入するなど資金的に極めて苦しい状況にあったので、銀座案件に金利負担がないかその負担が軽い巨額の資金を投入するような余裕などなかったことが認められ、右事実に加えて、彼に銀座案件に巨額の自己資金を投入し得たとしても、長期にわたる資金の個定化は、他の部門に投資して得られるはずの利益を喪失させ、かえってイトマンに損失をもたらしかねないことからすれば、銀座物件にビルを建築してもイトマンの投下資金を回収することはできず、被告人らも右事実を十分認識していたものと認めることができる。
これに対して、被告人河村の弁護人は、銀座案件の採算性は、極めて長期のタイムスパンで考えるべきもので、被告人河村としては、相当の自己資本を投下することで採算性は取れるものと考えており、財務担当副社長の髙柿からも異論は出ていなかったから、イトマンに損害が発生するなどといった認識を抱いていたはずがない旨主張する。しかしながら、被告人河村が髙柿に、平成元年一〇月ころと一二月中旬の二度にわたり、イトマンビルディングの資本金を五〇〇億円から一〇〇〇億円に増資するよう指示したにもかかわらず、平成二年七月まで実行できなかったことからも、銀座案件に巨額の自己資金を投入する余裕がないことを認識し得たばかりでなく、先に認定したとおり、被告人伊藤関連のプロジェクト(伊藤案件)の実態を最もよく知り得たのは、被告人伊藤を除けば、被告人河村と加藤であるのに、被告人河村は、加藤に指示して、伊藤案件がイトマンに極めて大きな利益をもたらすかのような資料を作成させたうえ、平成元年一一月六日、六人委員会において、右資料に基づき伊藤案件に積極的に取り組んでいく旨の自己の方針を表明して、異論を封じ、さらに、被告人河村の意を受けた加藤が、限度申請書にも虚偽の記載をして、審査担当者に十分な審査をさせないまま、審査及び決裁を通過させていることからすれば、イトマン内部から異論が出なかったことをもって、被告人河村がイトマンに損害が発生するとの認識を抱いていなかった根拠にすることは到底できない。
(四) 瑞浪ゴルフ場の開発利益について
被告人両名の各弁護人は、いずれも瑞浪ゴルフ場の採算性やイトマンの得る開発利益について縷々主張するところ、関係各証拠によれば、同ゴルフ場の開発経過等について、以下の事実を認めることができる。
(1) 被告人伊藤は、昭和六一年一二月ころ、瑞浪ゴルフ場の開発を計画して、昭和六二年二月二日、協和の名義で岐阜県知事宛に、土地開発事業事前協議申出書を提出し、同年八月一四日には事前協議結果通知を受けた。右事前協議結果に基づき、昭和六三年一月から三月にかけて、林地開発許可申請、都市計画法に基づく開発行為許可申請のほか、進入道路部分につき保安林解除申請を行い、同年一二月二一日には、大末建設株式会社との間で進入路及び河川改修の工事請負契約を締結したが、平成元年ころ、岐阜県から「保安林の指定解除はできないので、進入道路を変更するように」との指導を受けた。これに伴い、直接影響を受ける川折地区の居住者、特に喫茶店・プールを経営している髙木美代子の同意を得る必要が生じ、折衝を重ねた末、平成二年一二月二六日川折区長の、平成三年二月一九日髙木の各建設同意書を取ることができ、同月二七日、開発許可申請書の進入路一部訂正の上申をしたうえ、最終的に平成五年五月一八日に協和名義で開発行為等の許認可を取得した。
(2) 協和では、ゴルフ場用地の大部分は賃借する計画で、県の開発行為等の許認可が下りた後に正式に賃貸借契約を締結することにしていたため、平成三年に地域住民の建設同意を取るまでに支出した経費は、地元保証金等合計約六億円にとどまり、許認可が下りた後、ゴルフ場を完成させるまでに要する費用として、土木工事費約六〇億円など合計約九一億五〇〇〇万円を予定していた。
(3) 瑞浪ゴルフ場は、標高差が二一〇メートルほどある山岳コースで、協和では、土木工事費以外は安く押さえて、グレードの低いコースを造る計画を立てていた。平成元年秋ころの会員権販売計画では、一口二五〇〇万円の八〇〇口で、総額二〇〇億円を集める計画を立てており、平成二年二月五日に被告人河村が企画監理本部副本部長(スポーツ開発部担当)の石井利男に渡した「ゴルフ場計画予定分」と題する表にも、同年四月から六月に募集を開始して、八〇〇名で二〇〇億円を集める旨の記載がなされていた。
右認定事実によれば、瑞浪ゴルフ場は、いわゆる事前協議は終了していて、最終的に開発行為の許可が下りる可能性が高かったことは否定できず、また、協和では、会員権販売計画額と費用との差額約一〇〇億円の利益を見込んでいたことは一応認められるものの、進入道路の変更問題などもあって、許認可の時期は不明といわざるを得ないうえ、本件融資金は瑞浪ゴルフ場の開発資金には充てられないため、協和で別途資金を調達する必要があることなどを考慮すれば、その事業の成否や時期の見通しは不明であったといわざるを得ず、未だイトマンの開発利益を具体的に算定できる段階にあったとはいい難い。
これに対して、被告人河村の弁護人は、同ゴルフ場は、一部上場企業であるイトマンが経営母体として独占的に会員権販売を行うとの方針になったのだから、被告人河村としては、協和の事業計画の五割増し程度の価額で募集できるものと認識しており(現に本件融資にかかる限度申請書には、会員権募集計画として、三〇〇〇万円ないし五〇〇〇万円の九〇〇口で三一〇億円との記載がなされていた。)、ゴルフ場完成までの予定経費を差し引いても十分採算の取れるものであったから、同被告人に損害発生の認識があったとすることなどできない旨主張する。
しかしながら、右限度申請書及び同旨の記載のある前渡金支出にかかる与信限度申請書の記載内容が、金額の辻褄を合わせただけの極めていい加減なものであったことは前記のとおりであるし、一部上場企業が経営母体であれば、会員権販売価格が一割ないし二割程度上がる可能性はあるにしても、五割増しの価額で募集できるというのは、その実現性をにわかに首肯し難いうえ、被告人河村自身、瑞浪ゴルフ場の開発利益を「おまけ」と認識していたからこそ(第131回公判30丁等)、事業の成否や時期の見通しも不明な時期に、単に名目のみ右ゴルフ場開発資金として本件融資を実行したものと認められ、厳密な採算性の検討もしていないことからすれば、被告人河村に損害発生の認識がなかったということはできないというべきである。
(五) 関ゴルフ場の会員権独占販売権を得ることによる利益について
関ゴルフ場は、平成二年九月一四日には、コース及びクラブハウスが完成して、同年一一月二三日から同月二五日にかけて、シニアトーナメントを開催し、同年一二月一日営業を開始したが、右時点においても、会員権の募集はなされていなかったことが認められるところ、前記のとおり、被告人河村は、関ゴルフ場の会員権を高く売って、余剰金を銀座案件に投入するように被告人伊藤及び加藤に指示していた。
関ゴルフ場の会員権販売価格について、平成元年秋ころの協和の計画では、一口三五〇〇万円の八〇〇口で総額二八〇億円を予定していたが、被告人伊藤は、公判廷において、平成二年に入ってからは、総額三六〇億円(一口三〇〇〇万円の一二〇〇口か一口四〇〇〇万円の九〇〇口、あるいは、法人の接待専用とし、一口三億円の一二〇口)を考えるようになった旨供述するところ(第100回公判2丁)、債権回収等を通じて多くのゴルフ場開発にかかわった経験を有する大上が、現地を見たうえで、コース自体のグレードは高く、プロゴルファーを背景としたおもしろいコースができると感じ、一口三億円というのはともかくとして、総額三六〇億円という金額自体には違和感を持った様子がないこと、平成二年三月二日、住友銀行が、イトマンに、関ゴルフ場会員権一括買取資金として二五〇億円を融資するに当たり、一口四〇〇〇万円の九〇〇口で総額三六〇億円という会員権販売計画を前提として、イトマンの販売手数料五四億円を差し引いた三〇六億円を返済原資とする極度外取引申請を認可していることなどに鑑みると、本件融資時点において、関ゴルフ場の会員権販売により、総額三六〇億円程度を集めることができた可能性は否定できない。
しかしながら、平成二年四月当時における関ゴルフ場関連債務について見るに、平成元年九月四日、協和所有の関ゴルフ場用地に根抵当権を設定して、名古屋伊藤萬不動産からウイングゴルフクラブ名義で合計一六四億円を借り入れているほか、同じく関ゴルフ場用地に根抵当権を設定して、ウイングゴルフクラブ名義でノンバンク三社から総額一一四億円を借り入れてぃたが、右借入金の多くがゴルフ場開発費用以外の用途に充てられていたこと、平成二年二月には、府民信組への協力預金や協和の資金繰りに充てるため、イトマンから、会員権買取代金の前渡金名目で一二〇億円の支払を受け、同年三月中に合計六六億円を返戻したものの、なお五四億円が残っていたこと(同年九月に貸付金に変更)、協和は、大末建設に対し、関ゴルフ場の工事代金及びクラブハウスの建築代金として合計約一〇〇億円を完成時に支払うことになっていたこと(ただし、クラブハウスについては平成元年一〇月イトマンが元請として介入)が認められ、被告人伊藤は、関ゴルフ場関連で合計約四三二億円の債務等を負担していたことからすれば、関ゴルフ場の会員権販売により、総額三六〇億円程度の預託保証金等を集めることができたとしても、銀座案件に回すだけの余乗金が出る見込みはなく、また、会員権販売によりイトマン側に一割五分ないし二割程度の手数料収入が入るとしても、会員権を販売するためには、それ相当の費用もかかるのであるから、銀座案件による損失を填補するほどの収益が上がるとは考え難い。
そして、被告人河村は、平成元年一〇月中旬ころには、被告人伊藤から、ウイングゴルフクラブ名義で二三一億円の借入金があること、うち一五〇億円は雅叙園観光の簿外債務の処理に使用しており、ゴルフ場の開発資金には充てられていないことを聞いていたうえ、本件融資時点において、ウイングゴルフクラブがイトマン側から一六四億円、富士火災等のノンバンクから一一四億円を借りていたことなども正確に知っていたのであるから〔河村良彦関係雑ファイル(平成四年押第五二号の12)在中の「(株)協和綜合研究所借入金」等記載のメモ二枚等〕、被告人伊藤及び加藤のみならず、被告人河村も、右事実を認識していたものと認められる。
(六) 以上によれば、銀座案件、瑞浪ゴルフ場、関ゴルフ場の各プロジェクトから、本件融資金を回収することは困難であったというべきであり、仮に、銀座物件の資産価値を、国土法価格を上回る約五〇〇億円と評価したとしても、平成二年四月二日時点で、銀一はエムアイ銀座ビル及び名古屋伊藤萬不動産に対し合計五一三億五四〇〇万円(イトマンへの融資斡旋手数料を差し引いたとしても四九五億円)もの債務を負っていたのであるから、更に追加融資された本件二三四億円を回収する余地はなかったというべきであり、二三〇億円余りを振替入金した時点において、イトマンに同額の財産上の損害を加えたものと評価することができ、かつ、被告人らも右事実を認識していたものと認められる。
3 被告人河村の任務違背及び図利加害目的について
(一) 被告人河村の任務違背について
先に認定したとおり、本件二三〇億円余りの出金も、出資証券の売買自体ではなく、被告人伊藤側の借入金を肩代りするための融資であったと評価せざるを得ない。
そうすると、イトマン代表取締役社長たる被告人河村としては、本件融資を決定し実行するに当たり、銀座案件の開発事業としての成否、採算の見通し等につき、あらためて適切な調査検討をするなどして的確に把握するとともに、銀座案件については、直ちにイトマンの事業として推進することが困難な事情があったのであるから、共同事業化が頓挫し、融資金として被告人伊藤側から回収せざるを得ない事態に備えて、その回収を確実に確保するに足る担保を徴求する等の措置を講じ、同社に損害を加えることのないように同社のため誠実にその職務を遂行すべき責務を有していたものというべきである。
しかるに、被告人河村は、前記のとおり、銀座案件の事業としての採算性や南青山の土地との交換可能性等につき何ら具体的に調査検討することなく、被告人伊藤側の銀座物件関連の借入金全額をイトマンで肩代りする旨の方針を決め、六人委員会等を通じて、他の決裁権者らに、被告人伊藤関連のプロジェクトがイトマンに極めて大きな利益をもたらすかのような誤った情報を与えて、自己の方針についてイトマン内部で反対が出ないようにしたうえ、協和の借入額に合わせた四六五億円もの融資を実行し、その後の検討によっても銀座案件の採算性には多大の疑問があったのに、審査担当者や大部分の決裁権者に対しては資金使途を偽ってまでして更に本件融資を実行し、イトマンに損害を加えたものであるから、その任務に背いたことは明白というべきである。
これに対して、被告人河村の弁護人は、銀一に対する四六五億円融資時に、既に本件出金が予定されており、審査担当者らもこれを了承したからこそ、被告人河村は本件融資を、いわば銀座案件の積み残し投資分として決定したものであり、名目の違いを知っていたからといって、手続齟齬の認識のレベルにすぎず、特別背任罪における任務違背の認識があったと評価すべきではない旨主張する。
しかしながら、前記のとおり、銀一に対する四六五億円融資時において、イトマン審査担当者らは、限度申請書等の記載から、銀一の出資証券二一一口の買取という含みを持った融資であり、将来的にはイトマン八〇パーセント出資の子会社を設立して、イトマンが主体となって銀座物件の開発事業を展開する中で、債権回収を図るものと理解しており、かつ、イトマン主体で事業展開するためには、芙蓉総合リースからの借入金二三〇億円についても、協和に弁済資力がないとすれば、イトマンで肩代りする必要が生じることが一応予測されるものの、瑞浪ゴルフ場への融資名目で出金した後、イトマンの子会社に債務を振り替える予定であることは、被告人河村及び加藤を除くイトマン関係者には知らされておらず、また、本件融資に当たっても、同月二〇日ころ、加藤から事情を聞かされた髙柿を除き、他の決裁権者や審査担当者らには、融資金の使途が、瑞浪ゴルフ場の開発資金ではなく、協和の芙蓉総合リースからの借入金の返済に充てられるものであることは知らされていなかったものであるから、被告人河村が、審査担当者らにより了承されていた既定方針に従って本件融資を決裁しただけであると見ることはできない。さらに、銀座物件をイトマンの支配下に置くためには、協和の二三〇億円の借入金の債務の肩代りが不可欠であるとしても、先になされた銀一の借入金債務の肩代りも融資としてなされており、イトマン側では、銀座物件に根抵当権を設定するなどして、一応の保全を遂げていたのであるから、本件融資を決定するに当たっては、あらためて銀座案件の採算性について検討し、その結果が否定的であれば、銀一に対する融資は融資として回収することが可能であって、本件融資が不可避であったということもできない。しかるに、被告人河村は、本件融資を瑞浪名目で実行させることにより、審査担当者らから右検討の機会を奪ったのであるから、名目の違いを単に「手続齟齬」にすぎないとする弁護人の主張には左袒できない。
(二) 被告人河村の図利加害目的について
前記認定事実によれば、被告人河村は、平成元年一〇月下旬ころ、被告人伊藤の要請を容れて瑞浪ゴルフ場の関係で二三〇億円をイトマンから融資することとし、協和の芙蓉総合リースからの借入金の返済に充てることを了承していたものの、当時、その実行の時期等については確定していなかったところ、平成二年三月一二日ころ、被告人伊藤から、右二三〇億円の融資の実行を求められ、被告人河村としては、被告人伊藤にはイトマンの決算対策用の利益計上に協力してもらい、同社の予想経常利益を達成する必要があり、そのためには、瑞浪ゴルフ場の関係でもイトマンに企画料を入金させる必要があって、被告人伊藤の右要求に応じることにしたこと、当時、被告人河村としては、イトマン社長としての地位を保持するためにも、同年三月期決算における予想経常利益の達成が当面の最優先課題であり、そのためには決算対策用に約一〇〇億円の利益を計上する必要があり、被告人伊藤の協力が不可欠であったことが認められ、被告人河村は、被告人伊藤をして、本件融資の見返りに企画料の名目で決算対策用の利益をイトマンに提供させるべく、同被告人の便宜を図り、事業の採算性について調査検討することなく、実質無担保で、あえて本件融資の実行に及んだもので、被告人河村に、被告人伊藤の利益を図る目的があり、その反面、イトマンに損害を加えることの認識認容があったものといわざるを得ない。
これに対して、被告人河村の弁護人は、本件における企画料の実質は、融資斡旋手数料、ブランド料、さらには、金利そのものの別枠での先取り徴収、あるいは、ゴルフ場の関係では会員権販売手数料の先取りとも考えられるが、商社取引にあっては、まま見られる形態であり、現に資金がイトマンに支払われてイトマンの収入となって計上されているのであるから、企画料の獲得はイトマンの利益であって、被告人河村の地位保全等の利益とのみ結びつけて論じることは相当でない旨主張し、被告人河村も、「(企画料は)相手方の信用をカバーするためのリスク料兼事業完成までの人件費等のイトマンの経費の先取りであり、悪いことをしているつもりはなかったから、髙柿や加藤に企画料を取るように指示していた。」旨述べて弁護人の主張に沿う供述をする(第131回公判20丁)。
しかしながら、イトマンにおける企画料等取得の実態を見るに、第二回及び第三回公判調書中の髙柿証人の供述部分等によれば、昭和五六年一二月にイトマン取締役に就任して以来、被告人河村の腹心として財務経理の中枢を歩んできた髙柿は、決算期ごとに、予想経常利益額の達成が困難との見通しになったときには必ず、被告人河村に不足額を明らかにして報告していたところ、被告人河村は、右報告を受けるや、自ら、イトマンファイナンスの大塚会長やイトマン不動産本部の木下義美専務に、具体的な金額を伝えたうえで、「企画料を取れんか」「がんばってくれ」などと指示していたこと、被告人河村の右指示に基づき、イトマンでは、期末の時期に集中して、イトマンファイナンスの融資先やイトマン不動産本部の関係先である不動産業者から企画料を徴収して計上していたうえ、昭和六二年九月二二日から同月二八日までの間に、大平産業ほか四社から企画手数料として受け取った額面合計五億円の手形について、一旦収益計上しながら、同期は予想経常利益を超過したとして、被告人河村の指示で、取引を取り消したうえ、翌期に再度収益計上したため、会計監査人(監査法人朝日新和会計社、以下「監査法人」という。)から「ここ数年の決算において、期末月に不動産取引にかかる企画料等を計上することが目立って行われているが、当期において行われた右取引については不自然さが残り、今後十分の配慮が望まれる。」旨の指摘を受け、同年一二月四日付けの「会計監査人監査実施状況等について」と題するイトマン監査役宛報告書にもその旨記載されており、被告人河村も右報告書を見て、監査法人の指摘を認識していたこと、監査報告書には記載されないまでも、担当者が監査法人から「企画料は、本来、役務の提供をした後、事業の成功報酬として現金で受け取るはずのものであるのに、イトマンでは、役務の提供をしないまま、企画料を手形で受け取り、しかも手形のジャンプまでしているものがあり、不自然である。」との指摘を受けていたこと、企画料自体ではないが、被告人河村は、昭和六〇年九月期の決算において、石油業者間転売の中止等による売上高の大幅な減少や貸倒債権の償却などのため、赤字決算のおそれが発生するや、当時イトマン側から融資を受けて南青山で地上げを行っていた慶屋と伊藤萬不動産販売との間で、あらかじめ実行不可能な買戻期限を設定した買戻条件付きの売買契約を締結させ、仲介手数料として一四億円を得たほか、慶屋が予定どおり期限に遅れて買戻を履行したため、約四七億円もの遅延損害金を、伊藤萬不動産販売、イトマンファイナンスを介して取得することにより、赤字決算を回避したこと、右のごときは、イトマンにとって、目先の利益にはなっても、南青山の土地の原価を引き上げて採算を取れなくするだけのことで、慶屋に巨額の融資をし、最終的には慶屋から右土地を引き取らざるを得なくなった同社に損失をもたらすことになったことなどの事実が認められ、また、平成二年三月期、九月期における被告人伊藤側からの企画料等入金の実態も、前記のとおりであって、イトマン側では、瑞浪や関などのゴルフ場について、企画料取得に見合う役務の提供を何らしていないばかりでなく、そもそもイトマンから大平産業への融資金の流用を黙認したり、関ゴルフ場の会員権一括購入前渡金名目で出金するなどして、被告人伊藤側の資金の便宜を図ったうえで、何十億円という企画料を期末に集中して入金させており、単にイトマンの資金を還流させたにすぎないと評価せざるを得ない。右事実に鑑みると、被告人河村の指示に基づく企画料等の取得は、イトマンにとっては害にこそなれ利益にはなり得ない態様のもので、予想経常利益を達成したと見せかけるだけのものであったといわざるを得ず、経常利益の数字こそが経営者の手腕を示すものであり、予想経常利益を達成できず、大幅に落ち込むことになれば、白己の手腕を問われてイトマン社長の地位を追われることになりかねないと危惧していた被告人河村には、もっぱら自己の利益を図る目的があったというべく、従としてでも、イトマンの利益を図る目的があったとは認め難い。
(三) 総括
被告人河村の弁護人は、事後的な結果から本件を見るべきではなく、事業活動に取り組み、投資がなされた際の被告人河村の判断を、リアルタイムで見て「経営判断の法則」の下で許容されるものなのか否かという観点から考察されなければならないとし、バブル経済下にあり、誰もが、なお右肩上がりの経済情勢を前提として、企業活動を展開していた当時の状況からすれば、本件は、裁量の範囲を超え逸脱している事案だと安易に認め得るものとも思われず、正しく「経営判断の法則」が適用される場面だといわねばならず、仮に、右法則に幾分背くところがあったとしても、それは、せいぜい過失と評価され、かつ、民事上の違法たり得るかどうかというものであって、背任罪における加害目的はもとより、図利目的も、さらには、故意も認め得ないというべきである旨主張する。
なるほど、商取引ないし企業活動は、しばしば投機的色彩を帯び、危険を伴うのが一般であって、会社に損害を及ぼす可能性の存する限り、そのような取引を一切することができないとすれば、企業活動が成立し得なくなるおそれがあるから、取引の通念上許される限度において、社会的に相当と認められる方途を講じつつ、通常の業務執行の範囲内で行ったものである限り、任務違背とはいえないし、主として会社の利益を図る目的に出たものと見ることができ、たとえ損害発生の未必的認識があったとしても、特別背任罪の成立は否定されるとするのが通説的見解であるし、当裁判所も右見解を否定するものではない。しかしながら、右見解によっても、取引の通念上許される限度において、社会的に相当と認められる方途を講じつつ、通常の業務執行の範囲内で行うことが要請されるのであって、多数の株主の付託を受けて会社経営に当たる者としては、巨額の会社資金を投入して開発事業に乗り出す以上、少なくとも、事業としての採算性について調査検討するは当然のことといわなければならない。しかるに、被告人河村は、前記のとおり、被告人伊藤関連のプロジェクトの事業としての採算性につき何ら具体的に調査検討することなく、借入金全額二〇〇〇億円をイトマンで肩代り融資することを決め、その見返りに、被告人伊藤側から、融資額の一割に当たる二〇〇億円を企画料名目で還流させて、取りあえず予想経常利益額を達成しようとしたもので、いかに地価、株価、ゴルフ会員権価格が右肩上がりに上昇していたバブル経済下にあったとしても、銀座物件や開発途上のゴルフ会員権を押さえておけば、いずれは価値が上がって、最終的には投下資金を回収できるであろうといった程度の見込みだけで、採算性を度外視して実質無担保で巨額の融資を決定し実行することは、到底許されるべきことではなく、その安易な経営姿勢は厳しい非難を免れない。すなわち、本件融資の決定及び実行は、もはや正常な企業活動を逸脱しており、任務違背の著しさ、自己及び第三者の利益を図る目的の存在から見ても、被告人河村が、会社経営者としての裁量の範囲を逸脱していることは明白であって、せいぜい過失と評価される程度のものにすぎない旨の弁護人の主張は採用し難い。
四 被告人伊藤の身分等について
1 被告人伊藤は、平成二年二月一日、イトマンから理事を委嘱され、同社企画監理本部長に就任しているところ、同被告人の身分について、検察官は、社長である被告人河村から指揮命令を受けて、同社の重要な業務である企画監理本部の所管業務すなわち、不動産開発案件及び不動産担保の融資案件などの不動産関連案件はもとより、都市開発事業、リゾート開発事業やこれらに付随する事業など、イトマンが今後行う新規の各種重要プロジェクトの企画、決定、集中的な統轄管理を同本部長として担当していたものであり、また、同社から給与の支給は受けていないが、同社から協和を始めとする自己の関連会社に巨額の融資を受けていたものであって、被告人伊藤がイトマンから与えられたこのように大きな財産的利益は、同被告人が不動産のプロとして企画監理本部長という重職に就き、その所管業務を担当することへの対価として与えられたものにほかならず、労務の給付に対し、それと対価関係にある報酬を供与したものというべきであるから、商法四八六条一項所定の「営業ニ関スル或種類若ハ特定ノ事項ノ委任ヲ受ケタル使用人」に当たる旨主張し、これに対して、被告人伊藤の弁護人は、同被告人は「社外理事」であり、イトマンとは雇傭関係のないいわば肩書だけの理事職であるうえ、検察官のいう「財産的利益」は、イトマンから協和に対して与えられたもので、金額の多寡にかかわらず、被告人伊藤自身の労務の対価とは認められないから、商法四八六条一項所定の特別背任罪の身分を欠く旨主張する。
以下、この点について検討する。
2 関係各証拠によれば、以下の事実を認めることができる。
(一) 前記のとおり、被告人河村は、銀座案件を始め被告人伊藤のプロジェクトをイトマンのプロジェクトとして推し進めていくことにしたが、イトマンには、開発プロジェクトの分かる不動産のプロはいないとして、平成元年一一月から一二月にかけて、被告人伊藤にイトマンへの入社を勧あるとともに、同被告人から紹介された一級建築士でシムを経営する杉本に対しても、同年一二月末ころ、イトマンで手掛ける開発プロジェクトについて、建築設計、開発計画等技術面で協力してほしい旨依頼した。
その一方、被告人河村は、同年一二月の月初訓示で、「都市開発、リゾート開発、住宅開発の企画、設計、調査の専門高度技術者(設計士等)による集中管理と事業開始の認可」を目的として、社長室に企画監理本部を新設するとの方針を打ち出し、同月二一日、経営会議の承認を受けて、同月二九日に、不動産又は融資関係者を集めて説明会を行い、平成二年一月二五、二六日の両日にも、企画監理本部について社内説明会を行ったが、その際配布された「企画監理本部新設の件」と題する書面には、同本部は、不動産物件の貸出及び開発事業の集中監理(不動産担保融資及び不動産開発と売買事業の実行申請書を作成し当本部で認可決定)をするものとされ、人事組織について、被告人伊藤が企画監理本部長に就任して、企画・運営・採算を担当し、技術は杉本、審査は佐々木が担当するものとされていた。
企画監理本部は、平成二年一月一日付けで新設され、樋富昭宏が同本部付担当部長に発令されたが、組織、権限や決裁方法等の詳細は定まっておらず、同月二六日、藤垣副社長を委員長とする業務推進委員会を設置して、同年四月一日本格稼働を目指して体制を構築整備していった。同年二月一日、被告人伊藤が本部長に、杉本が副本部長に就任したほか、内部異動も行われたが、当初は兼務発令者が多く、組織的にも流動的で、同年三月中は、大阪本社に開発準備室(室長は樋富)、東京本社に東京開発準備室(室長はイトマンビルディングに出向して南青山の土地買収案件を担当していた市川)を置き、各人がそれぞれの分野・業務を担当していた。同年四月一日付けで、具体的な業務遂行のための七つの部と企画監理統轄室が設置されるとともに、第七営業統轄本部下の大阪、東京、名古屋の各企画開発本部の本部長が一名ずつ(名古屋は加藤)、兼務で営業担当副本部長に就任した。そして、同月一〇日、企画監理本部から、対外貸付金限度決裁権者につき、五億円以下は企画監理本部長、五億円を超える場合は社長・副社長・企画監理本部長とし、事業決裁権者は社長・副社長・企画監理本部長・同副本部長(技術担当)とする「不動産に係わる対外貸付金限度及び事業決裁要項制定の件」と題する決裁申請書が提出されるとともに(同年五月八日承認)、社長・管理本部長・企画監理本部長の連名で、「不動産関係与信限度および不動産開発案件の申請方法について」と題する通知が発せられ、同月一六日以降、不動産を担保とする与信限度(貸付・保証・前渡金)の申請、不動産を担保としない与信限度(不動産購入資金の貸付・同資金借入に対する債務保証・不動産開発のための前渡金)の申請(新規・増額・減額・継続とも)、不動産開発案件の申請は、企画監理本部(大阪・名古屋分は企画監理統轄室、東京分は東京開発室)に提出することとされた。
(二) 被告人伊藤は、平成二年二月一日理事を委嘱され、企画監理本部長に就任したが、同年六月の次期株主総会後、取締役に就任することが予定されており、大阪本社、東京本社各一名の専属秘書(松下敦子、大谷裕美)が付けられ、スケジュール管理が行われていたほか、協和で被告人伊藤の秘書をしていた櫛田章博も、同年二月ころからイトマン大阪本社秘書室に出向しており、同年四月一日には、協和とイトマンとの間で、正式に出向に関する覚書が取り交わされた。また、被告人伊藤の企画監理本部長就任後、次第に不動産開発案件等に関し担当者からの面談希望が増えてきたため、同年二月一四日以降、秘書室で、面談希望者の用件、希望日時・場所・所要時間等を聞き取って、日程調整を行っていた。
企画監理本部では、社長である被告人河村や藤垣、髙柿両副社長の出席も求めて、不動産関係に使用中の融資資金及び開発在庫資金の内容を個別に検討する会議(不動産資金会議)を行うこととし、同年二月一六日大阪本社で、同月二〇日東京本社で、会議が行われたが、被告人伊藤は、いずれの会議にも企画監理本部長として出席した。また、同月中に名古屋開発本部長の加藤から提出された新会社設立に関する決裁申請二件につき、申請書の決裁者欄に、同月一九日付けで、企画監理本部として、被告人伊藤と杉本がサインをしているほか、東京不動産事業部長兼伊藤萬不動産販売社長の鈴木一夫から提出された「シアトルパブリックゴルフ場買収案件」の決裁申請について、海外投融資委員会で推進可の検討結果が出され、既に三副社長まで原案承認の決裁をしていたにもかかわらず、同年三月一日、被告人伊藤が「投資額六〇〇万ドル以内着地、売却額七〇〇万ドル以上、期限六か月以内目処で可」との意見を付したため、「企画監理本部指示金額に従い、修正承認」することとされた。
イトマンビルディングで行っていた南青山の土地買収案件は、企画監理本部に移管されることになり、担当者の市川らも、前記のとおり、同年三月一日付けで東京開発準備室に移り、引き続き同案件を担当することになったが、被告人伊藤は、市川らに、「五月までに今井、高橋、宮下、大橋案件を協定に持ち込むこと」(同月八日)、「現地の買収対象の地権者につき、それぞれの重要度を判断のうえ着手せよ。まず、早急にまとまる見込みある物件に輸血して紐付けとせよ(同月二〇日)などと土地の買収方法を含め具体的な指示を行っていた。
被告人伊藤は、企画監理本部の入っているイトマン大阪本社一二階のフロアにはほとんどおらず、同本部の日常業務は、もっぱら副本部長の杉本が切り回していたが、同人は、プロジェクトの承認や不動産融資案件の決定等は上司である被告人伊藤の権限であるとの認識を持っていた。イトマン大阪本社には、「伊藤」と刻した印鑑が預けられており、一時、開発業務部長(審査担当)の佐々木が保管していたものの、基本的には被告人伊藤の専属秘書松下が保管しており、被告人伊藤から事前に包括的委任を受けていた杉本が、同被告人に代わって決裁印を押していたが、何らかの判断を要する場合には、被告人伊藤に連絡を取り、その指示を受けてから押印するようにしていた。
また、被告人伊藤は、同年四月以降も、大阪本社及び東京本社で月一回程度開催される不動産事業開発検討会議等の企画監理本部主催の会議や同年九月一〇日の同本部上期業績検討会に出席して、営業部門の企画開発本部長等から報告を受けるなどしていた。
3 これに対して、被告人伊藤は、「平成二年一月下旬に、イトマンファイナンスの大塚会長に、大平産業への融資関係書類を見せるよう求めたが、外部の者に見せることはできないと言われ、被告人河村にその旨話したところ、イトマン内部の資料を見るには、イトマンの肩書を付けてくれないかと言われたところから、イトマン入社の話が始まった。」旨供述し(第99回公判45丁)、「理事」は肩書にすぎない旨の弁護人の主張に沿う弁解をする。
しかしながら、前記認定のとおり、企画監理本部は、イトマンと共同で推進することになった被告人伊藤関連のプロジェクトを管理するとともに、不動産開発案件及び不動産担保の融資案件などの不動産関連案件のほか、都市開発事業、リゾート開発事業やこれらに付随する事業など、イトマンが今後行う新規の各種重要プロジェクトを企画、決定し、集中的に統轄、管理するため、多数の開発案件を手掛けている「不動産のプロ」と目された被告人伊藤を本部長とすることが当初から予定されていたこと、被告人伊藤は、平成二年二月から三月にかけて、企画監理本部の体制が徐々に整備されていく中、不動産資金会議に出席したり、海外のゴルフ場買収案件について修正意見を付したほか、南青山の買収案件について部下に具体的な指示をするなど、同本部の所管事項に携わり、同年四月に企画監理本部の体制が一応整い、本格的に稼動し始めてからは、日常業務は副本部長の杉本に任せていたにしても、プロジェクトの承認や不動産融資案件の決定等重要な判断を下し、企画監理本部主催の会議にも出席していたことなどに鑑みると、被告人伊藤の弁解は到底採用し難く、同被告人が、平成二年二月一日以降、右事項を所管する企画監理本部長として、イトマンから営業に関する或る種類若しくは特定の事項の委任を受けていたものと認めることができる。
ところで、検察官は、商法四八六条一項所定の「使用人」は営業主との間に雇傭関係が存することが必要であるとの見解に立ったうえで、イトマンと被告人伊藤との間には雇傭関係が認められるから、同項の「使用人」に該当する旨主張するところ、被告人伊藤がイトマンから通常の意味での労務の給付に対する報酬の支払を受けていたとは認められず、その間に雇傭関係があったと認定するのは困難であって、検察官の右主張にはにわかに左袒し難い。しかしながら、「営業に関するある種類又は特定の事項の委任を受けた使用人は、その他の一般的使用人と異なり、会社から部分的にもせよ、包括的な代理権限を与えられているところから、その委任にかかる事務を誠実に取り扱うことが期待されるのであり、委任の趣旨に対する背信行為に対し、一般の場合に比し重い非難が加えられるべきであるから、取締役等や支配人と並んで特別背任罪の主体とした。」という商法四八六条一項の立法趣旨に鑑みると、企業の経営組織に組み込まれて、相当程度経営者に従属しながら、経営者の企業活動ないし経営活動を補助し、その結果が企業に帰する関係にあり、同時に企業から何らかの利益を得ていると見られる者は、雇傭契約の有無等企業との関係の法的形式にかかわらず、商法四八六条一項所定の「使用人」に当たるものと解するのが相当である。
そして、前記認定事実によれば、被告人伊藤は、企業の外部において独立の地位を占めながら、経営者を補助したわけではなく、イトマンという企業の組織内に組み込まれて、その一部門たる企画監理本部の長として、社長たる被告人河村の指揮監督の下、その経営活動を補助し、その結果はイトマンに帰するものであったこと、被告人伊藤は、イトマンの大平産業に対する融資金の一部を協和の資金繰りに充てるためにも流用することを認められていたうえ、被告人伊藤関連のプロジェクトを全部イトマンとの共同事業とし、全債務を肩代り返済してもらう約束で、本件融資を始めとして、イトマン側から協和等被告人伊藤の関連会社に巨額の融資がなされていたところ、協和は資本と経営が共に被告人伊藤に帰するいわゆる個人会社であって、会社と個人の利益が渾然一体化していることは否めないことからすれば、右の利益はイトマンから被告人伊藤に与えられたともいえること、被告人伊藤の上申書によれば、同被告人が労務に対する報酬を得ていない理由として、自ら申し出たという側面があったと認められるところ、被告人伊藤は、イトマンから右のごとき経済的利益を与えられていたからこそ、被告人河村らに対する「誠意の一端」として、給与や俸給等の支給を辞退したと考えられることなどの事実関係に鑑みると、被告人伊藤は、正に「企業の経営組織に組み込まれて、相当程度経営者に従属しながら、経営者の企業活動ないし経営活動を補助し、その結果が企業に帰する」ものであり、しかも、イトマンから巨額の経済的利益さえ与えられていたのであるから、その背信行為に対し、重い非難が加えられるべきは当然のことであって、商法四八六条一項所定の「使用人」に該当するものと解するのが相当である。
4 被告人伊藤の任務違背及び図利加害目的等について
以上によれば、被告人伊藤は、平成二年二月一日以降、イトマン企画監理本部長として、同社が行う不動産開発事業の企画、監理及び融資に関する業務を統括していたものと認められるところ、瑞浪ゴルフ場開発資金の融資が同本部の所管に属するのみならず、銀座案件についても、同本部でビル開発による運営管理と採算の検討を行うこととされていたのであるから、被告人伊藤としては、その事業の成否、採算の見通し等につき適切な調査検討をするなどして的確に把握するとともに、融資金の回収を確実に確保するに足る担保を徴求する等の措置を講じ、同社に損害を加えることのないように同社のため誠実にその職務を遂行すべき責務を有していたものであり、ことに、被告人伊藤は、本件融資の受益者の立場に立つものであったのだから、より厳格に、イトマンのため、右責務を尽くすべきであった。しかるに、被告人伊藤は、前記のとおり、銀座案件が事業として採算が取れないことやイトマンにおいて本件融資金を回収することが極めて困難であることを認識しながら、取りあえず、自己が必要とする芙蓉総合リースへの返済資金をイトマンから引き出し、その見返りに、被告人河村らの保身のための決算対策用の利益計上に協力することとして、同年三月一二日ころ、加藤に融資の早期実行を求め、加藤に形だけ審査・決裁手続を取らせて、実質無担保で本件融資を実行させたものであるから、被告人伊藤が、自己らの利益を図る目的で、イトマンに損害を加えることを認識認容しながら、その任務に背いたことは明らかといわなければならない。
なお、本件融資にかかる限度決裁書に被告人伊藤の決裁印は押捺されていないが、企画監理本部から、対外貸付金限度決裁権者につき、五億円以下は企画監理本部長、五億円を超える場合は社長・副社長・企画監理本部長とする「不動産に係わる対外貸付金限度及び事業決裁要項制定の件」と題する決裁申請書が提出されたのは、同年四月一〇日のことであり、それまでは、移行期として、旧来の審査・決裁の方式によりつつ、必要に応じて企画監理本部長の決裁印を求める手続が取られていたこと、本件が被告人伊藤関連の融資案件であることは、限度申請書の記載自体から明白であり、しかも、加藤が、直接審査担当者らのところを回って催促していたことなどの事実に鑑みると、限度決裁書に被告人伊藤の決裁印が押捺されていないことは、同被告人が、企画監理本部長として、本件融資の決定及び実行に関与したことを何ら否定するものではない。
五 被告人らの共謀について
加藤も、イトマン代表取締役名古屋支店長、併せて名古屋開発本部長(同年四月一日からは企画監理本部副本部長)として、不動産開発事業に関し、先に被告人河村について言及したと同様の任務を有していたところ、被告人伊藤関連のプロジェクトを名古屋支店で取り扱い、その業績を上ければ、支店長としての自己の評価が高まり、社内での地位の昇進につながるとともに、かねてより自己を引き立ててくれた被告人河村の地位の保持にも資するものであるとして、被告人河村同様、被告人伊藤の協力による決算対策用の利益の計上を必要とする立場にあったことから、被告人伊藤の便宜を図って、本件融資金の回収可能性や事業の採算性等を検討することなく、本件融資を実行したものであって、自己らの利益を図り、イトマンに損害を加えることを認識認容しながら、その任務に背いたものと認められる。
そして、前記認定事実によれば、本件が、被告人らの共謀による犯行であることは明らかというべきである。
第二 被告人両名に対するさつま案件
一 被告人両名の弁護人は、いずれも、本件におけるイトマンの出捐額は実質一五〇億円であり、経営権付きの野田産業株式を担保に取るとともに、さつま観光のゴルフ会員権の独占販売権を取得することにより、融資全額の回収が十分可能であったから、被告人らに損害発生の認識認容や図利加害目的はなく、任務違背もない旨主張する。また、被告人伊藤の弁護人は、商法四八六条一項所定の特別背任罪の身分を争うとともに、同被告人は、加藤の依頼により、さつま観光に二〇〇億円を融資する見返りに企画料三〇億円と前受利息二〇億円を入れることについて許の意向を打診し、その結果を加藤に報告しただけで、その後の具体的折衝には一切関与していないし、限度決裁書への押印も行っていないから、同罪の故意や図利加害目的を抱く余地はなかった旨の主張もする。
以下、右各主張の当否について判断する。
二 関係各証拠によれば、概ね以下の事実を認めることができる。
1 まず、本件ゴルフ場の建設状況及びさつま観光の借入れ状況等について、判示の「犯行に至る経緯等」の内容を敷衍するに、本件ゴルフ場の造成工事代金は、設計変更等に伴い、合計四八億九四〇五万五〇〇〇円に増加したが、このうち平成二年一月三一日までに実際に支払われたのは合計二〇億六五〇〇万円(許側への経営権移譲後の支払額は、着手金を除く一九億五〇〇〇万円)であり、残額の二八億二九〇五万五〇〇〇円は支払われなかった。そのため、鹿島建設は、平成三年三月中旬ころ工事を中止し、その時点での未払工事代金二三億〇二二一万円につき留置権を行使して、同年四月二四日、本件ゴルフ場用地に第三者の立入りを禁ずる仮処分決定を得て同用地を占有した。また、さつま観光は、平成二年七月ころ、株式会社佐藤組に管理センターの建築工事を一億六九九五万円で発注し、同年一一月末ころ、工事が完成したが、右代金は、同年一〇月一日までに合計三三〇〇万円が支払われたにとどまり、残余の一億三六九五万円は未払であった。さらに、さつま観光では、同年一一月五日、日本国上開発株式会社にクラブハウスの建築工事を四七億円で発注したが、着手金すら支払われなかったため、同社は、平成三年二月ころ、地下基礎部分の掘削まで完了した段階(工事出来高五パーセント)で工事を中止したが、その時点までの工事代金二億四八二三万円は未払であった。右クラブハウスの設計は、平成元年三月ころから株式会社大建企画設計が担当し、同社は、本件ゴルフ場に併設予定のホテルの設計も行ったが、これらの設計料合計約一億六〇〇〇万円も全額未払となっていた。
さつま観光が、迫田親子経営のときに鹿児島信用金庫本店から借り入れた六億円の債務は、許がさつま観光を実質上経営するようになってからも返済されず残存していたが、これに加えて、許は、自己のグループ企業の運転資金等を捻出するため、さつま観光を債務者として、府民信組から、平成元年一月三〇日、本件ゴルフ場用地に第二順位の根抵当権(極度額五〇億円)を設定し、大信ファイナンスを経由して金銭を借り入れ、同年九月二五日、同用地に第三順位の根抵当権(極度額七五億円)を設定し、大信リースを経由して金銭を借り入れており、右二社を経由しての府民信組からの借入金残高は、平成二年三月三一日時点で合計九五億五八〇〇万円、平成三年六月八日時点では合計一一二億〇八〇〇万円となっていた。
以上により、平成二年三月三一日時点におけるさつま観光の借入金及び未払金は、さつま観光名義の銀行借入金等一〇三億三八〇〇万円(鹿児島信用金庫の六億円、迫田正男に支払うべき鹿児島相互信用金庫への弁済資金二億八〇〇〇万円のうち未払分一億八〇〇〇万円、大信ファイナンス三三億八〇〇〇万円、大信リース六一億七八〇〇万円)、鹿島建設に対する工事代金の未払金九億八四八四万円、マーシュ・ワトソン社に対する設計監修費約四八五九万円の合計約一一三億七一四三万円であった。
2 次に、さつま観光に対する二〇〇億円の融資(本項において「本件融資」という場合には、右融資を意味する。)決定に至る経緯について、判示の「犯行に至る経緯等」の内容を敷衍するに、
(一) 被告人伊藤及び加藤は、平成二年三月一二日ころから、被告人伊藤関連のプロジェクトによる決算対策用の利益出しについて検討を重ねていたが、同月一九日ころ、髙柿も交えて、企画料等の各案件への割り振りについて、最終的な打ち合わせを行い、被告人河村の了承も得た後、雑談的に「いつも決算時ぎりぎりになってバタバタ利益出しをするのはかなわない。」「来期はもう少し余裕を持った利益出しをしたい。」などという話をした。かかる会話を契機として、加藤は被告人伊藤に、「許から申し入れのあった融資にからめて企画料を入れてもらいたいが、野田産業株買収資金の融資というだけでは企画料は取れない。許はさつま観光のゴルフ場をやっていたが、まだ会員権を売っていなかったら、イトマンで販売を行うことにして、その手数料として企画料を入れてもらうことにできないだろうか。」と持ちかけ、イトマンから許に二〇〇億円を融資する代わりに、利息二〇億円を天引きするほか、企画料として一五パーセントの三〇億円をイトマンに入れてもらえないか、許の意向を打診するよう依頼した。また、被告人伊藤及び加藤は、そのころ、被告人河村にも、「鹿児島に野村会長(許)が実権を握っているゴルフ場があり、そこに二〇〇億円融資すれば、企画料三〇億円と前受利息約二〇億円をバツクしてもらうということを検討しています。」などと報告して、被告人河村から計画を進めるよう指示を受けた。
(二) 被告人伊藤は、同年三月二〇日ころ、許を訪ね、本件ゴルフ場について、「コースはほとんど出来上がっているが、グラハム・マーシュの設計に切り換えてグレードの高いコースにしている。会員権は縁故募集で少し売ったことがある。」などと説明を聞いたうえで、野田産業株買収資金の融資依頼について、さつま観光に対する二〇〇億円の融資という形にして、企画料三〇億円と利息二〇億円を先払でイトマンに入れてもらえないかと打診し、その承諾を受けた。そこで、被告人伊藤は、同月二四日ころ、イトマン大阪本社で、加藤にその旨伝え、次いで、加藤とともに被告人河村にもその旨報告した。
そして、同月二八日、被告人河村、被告人伊藤、加藤及び髙柿同席の場で、加藤から、さつま観光に二〇〇億円を融資し、その中から、企画料三〇億円と金利一年分二〇億円を先取りすることで許の了解を得た旨の報告があり、被告人河村は、四月早々に融資実行することを決定するとともに、加藤の進言を容れたうえで、イトマンでゴルフ会員権の独占販売権を取得すること、右販売による債権回収を確実にするため、さつま観光の株式を担保に取るとともに、本件ゴルフ場用地に根抵当権設定の仮登記を付け、イトマン側から、被告人伊藤及び加藤らがさつま観光の役員に入ること、監査法人対策に、一応会員権証書を担保に取ることなどを指示した。被告人河村も、融資金の大半が野田産業株取得のために使われ、本件ゴルフ場開発資金には回らないことを知っていたが、実質融資金額は一五〇億円で、ゴルフ会員権さえ売れれば、融資金の回収はできるし、さつま観光が債務を負っていたとしても、それは許が返済すれば済む問題であるなどと考えており、したがって、さつま観光の経営状態や信用状態、先順位の根抵当権の有無及び金額、工事代金の未払の有無等を尋ねることはなく、被告人伊藤及び加藤においても、これらの事実を全く調査していなかった。
(三) 同年三月三〇日ころ、加藤は許に、さつま観光の株式とゴルフ会員権証書を担保として差し入れるよう求めたが、まだ印刷しておらず間に合わないなどと言われたため、本件ゴルフ場用地に根抵当権設定の仮登記を付けるほか、右差入れがなされるまでの間、許が本件融資金で購入してくる野田産業株八三〇万株を担保として差し入れることで合意した。
その一方で、同月末ころ、被告人伊藤は許に、本件ゴルフ場の会員権証書を適当に印刷して差し入れるよう求め、許の指示を受けた井上豊次の手配で、同年四月九日、大阪市内の印刷業者により印刷された証書一九六〇枚(券面額合計四〇一億円)が許側に納品されたが、契約書上、会員募集の時期、会員数、会員預託金額、入会金額等についてはイトマンにおいてすべて決定することとされ、預託金証書を融資の担保として差し入れる旨の条項も盛り込まれなかったため、結局イトマン側に差し入れられることはなかった。
被告人伊藤及び加藤は、同年四月四日、イトマン企画監理本部副本部長の前記石井及び企画開発名古屋第一部部長大坪郁夫に対し、「鹿児島のゴルフ場を見てきてくれ。」と指示したが、さつま観光の信用状態、本件ゴルフ場用地に設定された先順位担保権の有無・金額、本件ゴルフ場の建設計画及び会員権販売可能価格等の調査について、具体的な指示は一切しなかった。そのため、石井及び大坪は、本件ゴルフ場の視察目的が判然としなかったものの、同月六日、本件ゴルフ場を視察し、その結果、造成工事の出来高が六割から七割程度で、クラブハウスの建設が未着工であること、また、現地の者から聞いて、近隣ゴルフ場の会員権価格が一口五、六〇〇万円から一〇〇〇万円くらいであること等が分かったとして、翌七日、被告人伊藤及び加藤にその旨報告した。右報告を聞いた被告人伊藤は、石井らに対し、「一口一〇〇〇万円で三〇〇〇口販売できる。」旨言っただけで、それ以上、本件ゴルフ場の会員権を募集販売するのに必要な調査、検討について指示することはなかった。
3 本件融資の実行に至る経緯及び実行状況について見るに、
(一) 加藤は、同年四月四日、イトマン名古屋支店において、自ら限度申請書を作成して、同月五日、審査部名古屋駐在の西河に回付した。右限度申請書には、「資金使途ゴルフ場建設資金」「会員権販売代金により返済 募集計画 平均二四〇〇万円×一二五〇 三〇〇億円」「担保 <1>さつま観光株式三二〇〇株、<2>ゴルフ場用地所有分仮登記、<3>野田産業株式八三万株 大証二部 株価九三〇円 七・七億円」「本件会社については将来当社が大株主になる予定で、かつ、代表取締役に伊藤寿永光氏、役員に加藤吉邦が就任予定である。」等の記載がなされているが、通常記載される先順位の根抵当権等の有無及び極度額については全く記載がなく、融資先のさつま観光の信用状態、事業の成否、採算の見通し、融資金の回収の確実性、担保の価値等を判断するための資料は一切添付されていなかった。また、右会員権募集計画も、七掛けした数値が融資金額に見合うよう辻褄合わせをしたにすぎず、被告人両名もそのことは認識していた。
西河は、既に企画監理本部が発足していたことから、審査意見を付さずに、右限度申請書を同本部に送付しようとしたが、審査部長の山口から、業務移管が済んでいないし、新しい様式の申請書もできていないとして、従来の限度決裁書・審査所見書を付けて回付するよう指示されたため、「<1>金銭消費貸借契約書締結、<2>返済引当手形徴求、<3>代表迫田正髙氏保証徴求」の三項目の条件を付したうえ、イトマン大阪本社に送付し、同月六日、山口及び佐々木の両名は、いずれも担保価値や返済方法について全く検討することなく、西河の付した意見を相当とする旨の「条件付可」の審査意見を付した。
その後、佐々木は、これらの書類を木下久男に回したが、既に社長室担当補佐(企画監理本部法務審査担当)を解かれているとして、被告人伊藤の決裁をもらうよう指示され、企画監理本部に回したままになっていたところ、同月一一日、被告人伊藤から髙柿に、「本件融資につき、まだ禀議が下りていないので金が出ない。今日が八三億円を支払う日なので調べてほしい。」旨の連絡が入り、被告人伊藤のところで禀議が止まっていると聞くと、髙柿に「金を出すように指示してもらえませんか。」と依頼した。その後、限度決裁書に手書きで「伊藤」と記載された欄に、同月一二日付け企画監理本部長印が押され、三副社長の決裁を経て、同月一七日、被告人河村も決裁を行った。
(二) 被告人伊藤は、同年四月五、六日ころ、東京都港区内に事務所を置く自己の顧問弁護士富永義政に、本件融資の内容を説明して、その契約書を作成するように依頼し、同月九日ころ、同弁護士作成にかかる「金銭消費貸借並びに根抵当権設定等契約書」及び「契約書」(会員権の独占販売権と企画料三〇億円の支払に関するもの)と題する書面を受け取った後、許側に右各契約書を一旦交付して、これらに「さつま観光株式会社代表取締役井上豊次」と刻した印等を押捺させ、同月九日午後六時四四分ころ、右押印のある各契約書を東京帝国ホテルからイトマン名古屋支店の加藤にファックスで送信した。(なお、この点について、被告人伊藤及び許は、公判廷において、右両名は四月九日夕方、帝国ホテルの北京飯店で会ったが、そこへ、被告人伊藤の供述によれば秘書の櫛田、許の供述によればイトマンの伊藤専属の運転手に契約書を届けさせ、田中東治にさつま観光の印鑑を持ってこさせたうえ、その場で急いで田中に押印させ、すぐにイトマン名古屋支店にファックスで流したため、内容を確認している時間はなかった旨供述する(被告人伊藤第112回公判48丁、同第116回公判29丁、許第128回公判31丁等)。しかしながら、いかに急いでいたからといって、被告人伊藤及び許が契約書に全く目を通さないとは考え難く、右供述内容自体、はなはだ不自然不合理といわざるを得ないばかりでなく、後記のとおり、同日櫛田は大阪本社秘書室にいて、被告人伊藤から、本件に関して別の用件を命じられていたこと、さつま観光の代表者印及びゴム印は、本件ゴルフ場用地の根抵当権設定仮登記に要する印鑑証明書や資格証明書を取るため、同日昼過ぎ、大阪の井上豊次の下に届けられ、同月一一日午前九時半ころ教育センター東京事務所に戻されるまで、井上が保管していたことなどに照らしても、到底措信し難く、被告人伊藤及び許は、契約内容を知悉し、許側で事前に十分検討したうえ押印した旨指摘されることを避けるため、虚偽の供述をしているものと断ぜざるを得ない。)
そして、同年四月一〇日ころ、イトマン名古屋支店に、相手方及び連帯保証人欄押印済みの右各契約書の原本が届けられたが、加藤は、部下から、契約書には社長の印を押さなければならない旨の注意を受けたのに、あえて、自ら右各契約書に「伊藤萬株式会社名古屋支店常務取締役支店長加藤吉邦」と刻した印等を押して契約書を完成させた。
また、被告人伊藤は、同月九日、許側の司法書士で大阪市天王寺区内に事務所を置く白川孝三に対し、電話で、本件ゴルフ場用地にイトマンのため極度額二三〇億円の根抵当権設定仮登記申請をするよう依頼するとともに、イトマン大阪本社の櫛田らに対し、右申請に必要な同社の委任状に社印や代表者印を押すよう指示するなどした。
(三) 同年四月二六日、イトマン東京本社において、被告人伊藤が、加藤同席の下、田中東治に対し、八十二銀行青山支店長発行の金額三〇億円、一九億円及び一億円の三通の自己宛小切手を交付した。ただし、右三〇億円の小切手は企画料として、右一九億円の小切手は前受利息として、その場でイトマン側に返還され、右一億円の小切手は、消費税分としてイトマン側が預かった。そして、さつま観光の裏判の押された右三〇億円及び一九億円の小切手は、イトマン内部における事前の打ち合わせどおり、同日中に八十二銀行青山支店に持ち込まれ、同銀行大阪支店のイトマン大阪本社名義の口座に振込送金され、同月二八日名古屋支店の企画料等として計上された。そして、右一億円の小切手は、その後、加藤が保管していたものの、契約段階で消費税について明確に取り決めていなかったことから、結局同年一一月下旬ころ、許に渡され、同年一二月一二日ころ、現金化された。
なお、イトマン名古屋支店では、同年一一月ころ、さつま観光の鹿児島の現地事務所から、各種開発許可関係書類及びさつま観光が鹿島建設等と取り交わした請負契約書類のコピー等を取り寄せ、「開発事業包括業務委託契約に基づく(仮)さつまロイヤルC・C」と題する冊子を作成し、イトマンがさつま観光の依頼を受けて右諸手続を行ったものであり、右三〇億円が役務の提供を伴う正当な企画料であるかのように装い、監査法人の監査に備えていた。
三 以上の事実関係に基づき、争点について順次検討する。
1 財産上の損害の算定基準について
検察官は、「本件の二〇〇億円の融資と企画料三〇億円の支払とは不可分一体のものであって、被告人河村らの意図としては許に企画料を除外した一七〇億円を融資する意思などなく、あくまでも許に二〇〇億円を融資したうえ、許から企画料三〇億円を支払ってもらうつもりであって、本件では単に企画料を先取りしたにすぎず、イトマンがさつま観光に対し、本件融資によって貸金債権二〇〇億円を有することとなったのは明白である。」として、「本件融資は、イトマンに対し、現金二〇〇億円という優良資産の減少の代わりに、回収不可能なさつま観光に対する同額の不良債権を取得させたものであって、融資実行時のイトマンの財産上の損害額は右二〇〇億円を基準に判断すべきは当然である。」旨主張する。
しかしながら、平成二年四月二六日に融資実行された五〇億円については、被告人伊藤及び加藤において、イトマン東京本社内で一たん許側の者に小切手三通を交付したものの、その場で直ちに返還を受け、うち四九億円分については、同日中に銀行に持ち込み、現金化してイトマン大阪本社の口座に送金し、残り一億円分についても、加藤が小切手のまま保管していたのであるから、本件融資により減少したイトマンの資産は現金一五〇億円と見るべきものであり、その代わりに、さつま観光に対する二〇〇億円の債権を取得したのであって、融資実行時のイトマンの損害額の上限は、一五〇億円と認めるのが相当である。
2 返済原資としてのゴルフ会員権販売代金について
(一) 被告人らは、いずれも本件融資の返済原資としてさつま観光のゴルフ会員権販売代金を考えており、「金銭消費貸借並びに根抵当権設定等契約書」と同時に取り交わされた「契約書」にも、イトマンがさつま観光から本件ゴルフ場の会員権の販売委託を受けた旨記載されていて、ゴルフ会員権の独占販売権を取得したのであるから、右販売可能価格相当分について、イトマンは本件融資の保全を遂げていた旨主張する。
(二) そこで、まず、本件融資当時における本件ゴルフ場の会員権販売可能価格について検討するに、一般的に、ゴルフ会員権の販売は、当該ゴルフ場の開発に要した総費用、すなわち用地購入費、造成工事費、クラブハウス建設費、地元対策費を含めた許認可費用及び借入金が存すればその利息等を含めた総費用に、会員権販売手数料及びある程度の余剰利益を加算して、これを回収するために行われるものであるが、その総販売可能価格は、当該ゴルフ場の立地条件、コース設計等のグレード、経営主体ないし理事等役員に対する社会的信頼度及び周辺ゴルフ場の会員権価格の相場等によって、おのずと一定の限界があるところ、本件ゴルフ場については、(1)鹿児島市内から車で約二〇分の場所に位置し、鹿児島県内のゴルフ場としては、最も恵まれた立地条件にあるうえ、鹿児島空港からも車で約四五分と比較的近いため、リゾートゴルフ場として東京・大阪等で相当数販売できる見込みがあること、(2)フェアウェイがやや狭く箱庭的なイメージもあるが、桜島を眺望する景観がよく、グラハム・マーシュが設計監修し、岩を利用した特色あるコースであり、コース自体のグレードはかなり高いことなどの有利な事情がある反面、(3)経常主体のさつま観光の社会的信頼は乏しいこと、(4)鹿児島県下のゴルフ場の会員権相場は、概ね平成元年後半から上昇し、平成二年秋前後ころにピークとなって、その後下落しており、本件融資当時は、ピークを迎える直前ころであったものの、総じて価格は低く、名門と称される指宿カントリークラブでもピーク時に一口二〇〇〇万円に届かず、一口一〇〇〇万円前後に達したのは、島津・霧島の両ゴルフクラブくらいで、その余は一口数百万円にすぎず、また、平成元年六月から平成三年一〇月にオープンした湯の浦カントリー倶楽部(同県日置郡吹上町所在、コース一一二万平方メートル、一八ホール、コース設計小林光昭、経営母体日東興業株式会社)、喜入カントリークラブ(同県揖宿郡喜入町所在、コース一二〇万平方メートル、一八ホール、コース設計・監修加藤俊輔、経営母体喜入興産株式会社)、知覧カントリークラブ(コース一一四万平方メートル、一八ホール、コース設計小林光昭、経営母体南国興産株式会社)、祁答院ゴルフ倶楽部(全面積一二〇万平方メートル、一八ホール、コース設計九州技術開発株式会社・監修石井富士夫、ホテル・テニスコート等付帯施設あり、経営母体株式会社祁答院ゴルフ倶楽部)の会員権販売実績を見ても、総額一〇〇億円に達するゴルフ場はなかったことなどの不利な事情も認められる。
そして、ゴルフ場造成工事に関与して多数の会員権の販売例を見聞きし、造成途中の本件ゴルフ場を三回にわたり視察した伊藤忠商事株式会社社員の信川雅洋は、右湯の浦カントリー倶楽部及び喜入カントリークラブの販売実績等を踏まえて、「平成二年一月ころには、口数を一二〇〇口として、一口平均六〇〇万円の総計七二億円、口数を二〇〇〇口とすれば一口平均四〇〇万円の総計八〇億円が、同年四月ころには、口数を一二〇〇口として、一口平均一〇〇〇万円の総計一二〇億円、口数を二〇〇〇口とすれば一口七〇〇万円ないし八〇〇万円の総計一四〇億円ないし一六〇億円が妥当だと思った。」旨供述し、ゴルフ場経営会社に約一二年間勤務して会員権の募集販売業務に従事した経験を有する渡辺彰は、教育センターゴルフ事業部長に就任した平成元年夏ころ、一口平均八〇〇万円で、合計一二〇〇口を販売できればよいと試算していたが、同人は、平成二年六月に退社する時点でも、平均すると一口一〇〇〇万円弱で一二〇〇口の一〇〇億円ないし一二〇億円が総販売可能価格だと思っていた旨供述する。
これに対して、被告人らは、総額三〇〇億円で販売することが可能であった旨主張するところ、被告人伊藤は、捜査段階において「リゾート用ゴルフ場としても、一五〇億円くらいで販売できればいいところで、多く見積もっても二〇〇億円止まりだと思っていた。」と供述し(1270検面調書二七項)、公判廷でも、「ホテルを建ててリゾート形式にすれば、東京や大阪でも販売できるから、総額二〇〇億円ぐらいの会員権は販売できるんじゃないかと思っていた。今後の必要資金を差し引きすれば、利益は七〇億から一二〇億円と考えていた。」などと捜査段階とほぼ同旨の供述をする一方で(第101回公判12丁)、「リゾート型にしてイトマンが住友銀行と組んで販売すれば、一五〇〇万円の二〇〇〇口で総額三〇〇億円くらい販売できると認識していた。」旨供述し(第117回公判19丁、第133回公判64丁)、また、被告人河村は、捜査段階において「会員権がいくらで販売できるか全く調査、検討しておらず、部下にも調査、検討を指示しなかった。」と供述しながら(1234、1235検面調書)、公判廷では、「鹿児島のゴルフ場は一〇〇億から二〇〇億ぐらいの会員権が発行できる。」と供述する一方で(第101回公判46丁)、「不動産部から三〇〇億円くらいで販売できるのではないかという資料が上がってきた。東京では一口三〇〇〇万円で一〇〇〇口、総額三〇〇億円以上販売できると考えていた。」旨供述する(第124回公判28丁)など、被告人両名の供述は場当たり的で一貫性に乏しいのみならず、不動産部作成の資料など存在せず、三〇〇億円という金額自体が必要な調査、検討を行って算出された合理性、客観性のある数字ではないことなどに照らすと、総額三〇〇億円で販売できると思っていた旨の被告人らの右公判供述はにわかに措信し難い。
また、許は、公判廷において「本件ゴルフ場の会員権は、コースが完成してクラブハウスの建築確認が下りて着工してから、具体的には平成二年秋ころから販売を開始して、一口平均三〇〇〇万円で、最低でも総額三〇〇億円、最高だと総額四五〇億円で販売できると考えていた。」旨供述し、その根拠として、そのころ、北海道クラシックゴルフクラブの会員権が一口三五〇〇万円、ザ・ノースカントリーゴルフクラブのそれが一口三〇〇〇万円か二五〇〇万円、福岡センチュリーゴルフ倶楽部のそれが一口四五〇〇万円で販売されていたことを挙げる(第116回公判21丁、第117回公判44丁、第120回公判42丁)。しかしながら、(1)許は「平成元年か二年に北海道クラシックの会員権を一口三五〇〇万円、ザ・ノースの会員権を一口三〇〇〇万円か二五〇〇万円で購入しており、しかも、当時メンバーが二〇〇名もいなかった」ことを前提として、北海道のゴルフ場でさえかかる高額の募集を行っていたのだから、通年営業できる本件ゴルフ場の会員権価格を平均三〇〇〇万円とすることに何ら不思議はない旨供述するところ、北海道クラシックゴルフクラブ(平成三年六月オープン、一八ホール、全面積九二万平方メートル、コース設計ジャック・ニクラウス、経営母体成井農林株式会社)は、平成元年六月から募集を開始して、一口八五〇万円ないし三〇〇〇万円で合計一一六四口、総額一一四億九三五〇万円を販売し、ザ・ノースカントリーゴルフクラブ(平成二年七月オープン、一八ホール、全面積九九万平方メートル、コース設計青木功、経営母体塚本リゾート開発株式会社)は、昭和六三年八月から募集を開始して、一口五〇〇万円ないし三〇〇〇万円で合計一一二五口、総額一一三億二六〇〇万円を販売しているが、その募集状況は、いずれも平成元年ないし平成二年初めころまでに応募した金額一五〇〇万円以下のものが大部分を占めていて(北海道クラシックでは、平成元年一〇月末までを募集期間とする金額一二〇〇万円以下の応募者が一〇七八名、全体の約九二パーセントを占め、ザ・ノースでも平成二年三月までを募集期間とする金額一五〇〇万円以下の応募者が九二五名、全体の約八二パーセントを占める。)、許の供述は前提自体に誤りがあること、(2)福岡センチュリーゴルフ倶楽部(平成二年五月オープン、二〇ホール、コース面積一二九万平方メートル、コース設計株式会社京都通信機建設工業設計部、ホテル、テニスコート及びヘリポート等の付帯設備あり、経営母体株式会社福岡センチュリーゴルフクラブ)では、平成元年六月から募集を開始して、一口二〇〇〇万円ないし六〇〇〇万円の九〇五口(うち二記名の法人会員が一四六口)で、総額三一九億六〇〇〇万円販売しているところ、許は、右福岡センチュリーを参考に本件ゴルフ場の高級化を指向し、コースのグレード自体はほぼ同等と評価できるものの、交通の便等の立地条件、規模及び付帯設備等において格段に劣るうえ、福岡センチュリーに劣らない付帯設備を設けようとすれば、ホテル用地の取得から始まり更に長い工事期間と高額の投資を要し、その実現性は低いといわざるを得ないこと、加えて、本件ゴルフ場は、平成二年一一月にはクラブハウスの建設に着工し、平成三年三月には造成工事もほぼ完成して、いつでも会員権を販売し得る状態にあったのに、販売はおろか、その準備行為すら行っていないこと、平成二年一、二月ころ、田中東治が渡辺に、投資概要いくらにして、それに見合った募集を作ってくれなどと指示して、数字合わせの会員募集計画をいくつも作らせ、府民信組やイトマンに送付するなど、許は、本件ゴルフ場を融資を引き出すための道具としていた節が窺えることを併せ考慮すれば、許の前記供述は措信し難い。
そして、以上を総合すると、ホテルを建ててリゾート形式の高級ゴルフ場にすることを前提としても、本件ゴルフ場の会員権を総額三〇〇億円で販売することなど到底不可能であり、せいぜい二〇〇億円でしか販売することはできず、許はもちろん被告人両名及び加藤も、このことは認識していたものと認められる。
(三) 次に、本件ゴルフ場の会員権を総額二〇〇億円で販売することが可能であったとして、右販売代金から本件融資金の一部でも回収することができたか否かについて検討するに、前記のとおり、ゴルフ会員権の販売は、本来当該ゴルフ場の開発に要した総費用を回収するために行われるものであり、右販売代金は、まずもってゴルフ場開発費用に充てられるべきものである。イトマンが会員権の総販売代理権を得たことを利用して、優先的に自己の債権、しかも、当初から本件ゴルフ場開発とはかかわりのない使途に充てることを予定してなされた貸金債権を回収しようとすれば、本件で鹿島建設が行ったように、工事代金の支払を受けられない建設会社が工事を中止したり、完成した施設に留置権を行使するなどし、あるいは、先順位の抵当権者がゴルフ場用地の競売を申し立てるなどして、ゴルフ場の完成、オープンが不可能になる可能性も否定できず、そのような事態に陥れば、総販売元として会員権を販売したイトマンに非難が集まることは必至であり、民事上の責任を問われることも予想されるのであるから、単に会員権の独占販売権を取得するというだけでなく、融資時に発生していた借入金及び未払金の額、その後ゴルフ場完成までに要する費用等を十分調査するとともに、融資先の資力や信用性をも勘案して、会員権販売見込額から右金額を差し引いて融資金の回収可能性を検討するのが、合理的な経済人としての行動というべきである。
さつま観光には、本件ゴルフ場用地以外にめぼしい資産もなく、資金繰りはもっぱら教育センターからの送金に頼っていたが、許は、本件ゴルフ場の植栽費、芝生の維持管理費、従業員の給料等必要経費の送金依頼を受けながら、その一部しか送金せず、昭和六三年一二月から平成二年三月末までの間に合計四億七四〇〇万円余り、同年四月から平成三年五月末までの間に合計五億五三六〇万円を送金するにとどまり、平成二年二月以降、鹿島建設に対するゴルフ場造成工事代金等の支払もしていないことから見ても、資金繰りに窮していたと認められることなどを考慮すれば、許が別途資金繰りをして、さつま観光の借入金や工事代金を支払う可能性は相当低かったというべきである。そうすると、会員権販売代金の中から、まず、平成二年三月末時点で発生していた借入金及び未払金の合計額約一一三億七一四三万円を返済したうえ、その後発注した鹿島建設に対する造成工事代金一八億四四二一万五〇〇〇円、佐藤組に対する建築工事代金の未払分一億三六九五万円、日本国土開発に対する建築工事代金四七億円、大建企画設計に対する設計料約一億六〇〇〇万円の合計約六八億四一一六万五〇〇〇円も支払わなければならなくなるから、残余はほとんどなく、さらに、本件ゴルフ場の会員権を総額二〇〇億円で販売するには、ホテルを建ててリゾート形式の高級ゴルフ場にすることが前提となり、ホテル建築代金等の捻出もしなければならず、結局、右販売代金から本件融資金の一部でも回収することができた可能性はほとんどなかったといわざるを得ない。
もっとも、平成二年三月末時点で発生していた借入金に関し、許は、公判廷において、「南野から、三〇億円(ないし四〇億円前後、以下同様)を返済すれば大信ファイナンス及び大信リースの根抵当権を全部抹消すると言われていた。」旨供述し(第115回公判65丁、第116回公判1丁、第128回公判44丁)、被告人伊藤も、「南野が『実質のさつまのものは三〇億ぐらいだから、許との許し合いで消すことにしている。』と言っていた。」旨の許と同旨の供述をするが(第128回公判20丁)、南野は、右融資金から許関連の府民信組側への債務の弁済を受けたことは認めつつ、許との間において、許が三〇億円を返済すれば、根抵当権を抹消するとか、極度額を三〇億円に減額するなどという合意をしたことはない旨証言し、南野の部下であった府民信組審査部長瀬良勇も、南野と許との間において、右のような合意があったとは、誰からも聞いていない旨の南野の右供述を裏付ける証言をしているうえ、大信ファイナンス及び大信リースは、本件ゴルフ場用地の競売手続に際し、その有する元本債権額は合計一一二億〇八〇〇万円である旨裁判所に届け出て、権利を承継した新千里興産株式会社がその一部につき配当を受けており、許自身も、公判廷において、右元本債権が存在したこと自体は認めていること(第116回公判8丁、第117回公判1丁)、元本債権が存在する以上、府民信組理事長の南野といえども、その担保権を独断で抹消し得る権限はなかったことなどに照らすと、許及び被告人伊藤の右公判供述は措信し難い。
3 本件融資に付された担保による回収可能性
(一) 野田産業株式の担保価値
加藤が本件融資にかかる申請書等を作成した日の前日である平成二年四月三日の野田産業株式の終値は一株九三〇円であり、八三〇万株の当時の時価は七七億一九〇〇万円であったと認められるが、上場株式を融資の担保とする場合、株価の下落の危険も考慮に入れ、その直近の株価を基準にして七割程度として評価するのが通常であり、これに従うと右株式八三〇万株の当時の担保価値は、約五四億円程度と評価するのが相当である。
もっとも、上場会社の経営権付き株式、すなわち過半数以上の株式の価格は、市場価格よりも相当高く評価される場合があり、現に許も時価の一・五倍程度の価格で右八三〇万株を買収しているが、過半数以上の会社株式の価格が市場価格よりも高く評価されるのは、当該会社の資産内容、収益性あるいは将来性を評価してその経営権を掌握しようとする者が一括して購入しようとする場合であるところ、イトマンは、野田産業の経営権を掌握するために、その過半数株式を入手したのではなく、純然たる融資の担保として徴求したのであって、将来、右株式を売却して債権回収を図ろうとする際に、経営権を掌握しようとする者に一括して売却できるという保証は何らなく、また、市場を通じて売却しようとすれば、過半数以上の株式が一度に流出することになって値崩れを起こし、株価が下落するおそれが高いのであるから、担保価値としては、やはり時価の七割程度の約五四億円と評価するのが相当である。
(二) 本件ゴルフ場用地自体の担保価値
建設途中のゴルフ場用地の土地としての担保価値は、原則として、同土地の購入価格にその後投下した資金を加算した金額で評価するのが相当であるが、不動産鑑定士今村元秀が、右手法により、平成二年四月一日時点における本件ゴルフ場用地の価格を鑑定評価した結果は、三三億五九一二万五〇〇〇円であった。また、鹿児島地方裁判所は、本件ゴルフ場用地の第一順位及び第二順位の根抵当権者である鹿児島信用金庫及び大信ファイナンスの各申立てにより、平成三年に、右用地につき競売開始決定を行い、平成四年六月一〇日、一五億三一〇〇万円で競落されているところ、右落札価格に買受人の引受となる留置権の被担保債権額(鹿島建設に対する工事中止時点での未払工事代金額)二三億〇二二一万円を加算した金額は三八億三三二一万円となり、同金額が右落札時点における右用地の一応の評価額といえる。
そうすると、本件ゴルフ場用地の担保価値は約四〇億円程度と認められるが、同土地には既に極度額合計一三一億円の先順位根抵当権が設定されており(平成二年三月末時点における被担保債権額は合計一〇一億五八〇〇万円)、イトマンのさつま観光に対する債権を担保する余力はない。
(三) 本件融資金債務については、いずれも許傘下の教育センター、富国産業及びファイブ・スターズ・カンパニーの三社が連帯保証していたが、教育センターと富国産業は赤字会社であり、また、ファイブ・スターズ・カンパニーは登記簿上のみ存在するいわゆるペーパーカンパニーであって、いずれも二〇〇億円もの保証債務を弁済する能力はなく、また、教育センター代表取締役の内田が、個人名義の連帯保証契約証書をイトマンに差し入れていたが、右証書は単に形を整えるため形式的に差し入れられたにすぎず、元々、内田個人には、本件のごとき巨額の債務を保証する意思も資力もなかった。
現に、イトマンから本件融資金債権を順次譲り受けた本町中央産業株式会社及び肥後橋中央産業株式会社が、許及び許グループ企業の資産を可能な限り調査し、本件ゴルフ場内の担保権未設定であったさつま観光所有山林や許関連企業の動産を仮差押えするなどして債権回収を図ったが、その結果、平成九年五月二日までに回収できたのは、四億一二四〇万円にすぎなかった。
以上によれば、本件融資は、イトマンに対し、現金一五〇億円という優良資産の代わりに、回収不可能なさつま観光に対する二〇〇億円の不良債権を取得させたものであって、野田産業株式の担保評価額約五四億円との差額約九六億円相当の財産上の損害をイトマンに加えたものと認められる。
4 被告人らの任務違背及びその認識について
(一) 被告人伊藤が、平成二年二月一日イトマン企画監理本部長に就任して、同社が行う不動産開発事業の企画、監理及び融資等に関する業務を統括していたこと、右の地位が、商法四八六条一項所定の「営業ニ関スル或種類若ハ特定ノ事項ノ委任ヲ受ケタル使用人」に該当することは、先に瑞浪案件の項で認定したとおりであるから、被告人伊藤はイトマン企画監理本部長として、また、被告人河村は同社代表取締役社長、加藤は同社代表取締役名古屋支店長等として、それぞれ判示のとおりの任務を有していたにもかかわらず、いずれも、本件融資をするに当たり当然なすべき、さつま観光の事業の成否、採算の見通し、信用状態、先順位担保権の有無・金額、会員権販売可能価格、本件ゴルフ場を完成させるため今後更に投入すべき資金の多寡等について全く調査、検討することなく、しかも、融資金の大部分が本件ゴルフ場の建設に使用されないまま許の他の用途に使用されることを知悉しながら、予想経常利益額を達成するための利益出しに利用する企画料等を先取りすることだけに目を奪われて、本件融資を決定し実行したのであって、被告人らがその任務に違背したことは明らかであり、かつ、それぞれの任務違背について認識していたものと認められる。
(二) これに対して、被告人河村の弁護人は、本件融資は、同被告人のトップダウンで始まった話などではなく、許側の融資の依頼が被告人伊藤を通じて加藤に持ち込まれ、イトマンの審査決裁システムに則って下から上がって最後に被告人河村のところにきた案件である旨主張するところ、なるほど、本件融資の発案者が被告人河村でないことは、弁護人の主張するとおりである。しかしながら、前記のとおり、被告人河村は、平成二年三月中旬ころ、被告人伊藤及び加藤から、許経営のさつま観光に二〇〇億円を融資したうえ、企画料として三〇億円、一年分の金利約二〇億円の合計約五〇億円をバックしてもらうことを検討している旨聞いて、右計画を進めるよう指示したばかりでなく、限度決裁書等が回付される前の同月二八日の時点で、最終的に本件融資を決定し、被告人伊藤及び加藤に融資の条件等を指示していたのであるから、弁護人の主張は採用できない。なお、被告人河村は、確かに、イトマンでゴルフ会員権の独占販売権を取得すること、右販売による債権回収を確実にするため、さつま観光の株式を担保に取るとともに、本件ゴルフ場用地に根抵当権設定の仮登記を付け、被告人伊藤及び加藤らが同社の役員に入ることなどの融資の条件を指示していたが、実質融資金額は一五〇億円で、ゴルフ会員権さえ売れれば、融資金の回収はできるし、さつま観光が債務を負っていたとしても、それは許が返済すれば済む問題であるなどと極めて安易に考えた結果、さつま観光の経営状態や信用状態、先順位の根抵当権の有無及び金額、工事代金の未払の有無等を尋ねることなく、融資を決定したものであり、瑞浪案件と同様、明らかに会社経営者としての裁量の範囲を逸脱しており、経営判断の法則からは過失さえない旨の弁護人の主張も採用し得ない。
他方、被告人伊藤の弁護人は、同被告人は、加藤の依頼により、本件融資と企画料三〇億円の件について許の意向を打診しただけで、その後の具体的折衝には一切関与しておらず、限度決裁も行っていない旨主張するところ、前記認定のとおり、確かに、本件融資及びこれとセットになった企画料取得は加藤の発案になるもので、自己の功績にもするため、加藤が自ら許側と交渉するなど相当積極的に本件を推進したことは否定し難い。しかしながら、被告人伊藤も、許に企画料等の先取りなど本件融資の重要事項について説明し、了承を得たほか、その後の契約書の作成等にも関与し、さらに、第一回の融資実行日に、髙柿に決裁の状況を確認して八三億円の出金を求めるなどしているのであって、加藤とともに、本件犯行の重要部分を担ったばかりでなく、本件融資の限度決裁書に、企画監理本部長として、「可」の決裁をしたことが認められる。この点について、被告人伊藤は、本件融資の限度決裁書に押印したことはない旨供述するが、髙柿に決裁手続を進めて融資を実行するよう求めており、これを受けて企画監理本部で止まっていた決裁手続が進められたのであるから、押印自体は事務方の者がなしたとしても、被告人伊藤が企画監理本部長として決裁をしたことを何ら否定するものではなく、弁護人の主張には左袒できない。
(三) 許は、被告人河村らが実体のない企画料等を先取りしてイトマンの利益出しをするため、本件融資を実行しようとしていることを知ったうえで、さつま観光の信用状態、事業の採算性、融資金の返済可能性等に関する資料をイトマン側に一切提供せず、かつ、企画料の対象となるイトマン側の役務についても何ら協議することなく、本件融資を受けることとしたのであるから、被告人河村らの任務違背について十分認識していたものと認められる。
5 被告人らの図利加害目的について
(一) 被告人両名及び加藤の図利加害目的
被告人河村は、主として不動産融資案件関連での企画料・融資斡旋手数料等の名目で見せかけの経常利益を計上してでも、公表予想経常利益額を達成しようとの思いから、当面の決算対策用の利益計上の材料捜しに躍起となっていたところ、被告人伊藤関連の全プロジェクトをイトマンとの共同事業とし、その債務を肩代りする見返りとして、被告人伊藤から実体のない企画料等の名目で入金させて同社の利益出しを行うだけでなく、被告人伊藤の関係先のプロジェクトも利用して企画料等を取り、イトマンが増収増益を続けているかのごとき形を作り出し、経営者としての責任を追及されないようにしてイトマン社長としての地位を保持しようとし、また、被告人伊藤は、被告人河村の協力で協和等の債務をイトマンに肩代りしてもらう見返りに、同社に企画料等を入金して名目上の利益出しに協力し、被告人河村の公表する予想経常利益額を達成したかのごとき形を作り出して、自己と利害の一致する被告人河村に経営責任が及ばないようにしようとし、さらに、同社代表取締役名古屋支店長の加藤は、被告人河村の指示に従って被告人伊藤とともに、名目上の利益出しを行い、先取りする企画料等を名古屋支店の利益に計上して自己の功績とするだけでなく、被告人伊藤同様に、被告人河村に経営責任が及ばないようにしようというそれぞれの意図をもって、許に対し、確たる返済の目途も担保もないのに、約一五〇億円もの巨額の資金の便宜を図ってやり、その見返りに、実体のない企画料三〇億円のほか前受利息約二〇億円の合計約五〇億円を先取りしてイトマンの名目上の利益出しに協力させることにして、本件融資を決定し実行したものであって、被告人両名に、許及び被告人河村らの利益を図り、その反面、イトマンに損害を加えることの認識認容があったことも明らかというべきである。
(二) 許の図利加害目的
許は、さつま観光の経営権を取得した後、現地から必要経費の送金依頼を受けてもその一部しか送金せず、平成二年二月以降、鹿島建設に対するゴルフ場造成工事代金等が支払えないほど資金繰りに窮していたものと認められること、野田産業株の一括購入に際しても他から金策の目途がなかったことに鑑みると、たとえイトマンに企画料等合計約五〇億円を先取りされたとしても、残額の約一五〇億円で野田産業株を一括購入して同社の経営権を掌握することができるだけでなく、その残りの二六億円余りも自由に使用することができるのであるから、許にとって極めて大きな利益であったと認められ、また、許は、イトマンの利益出しに協力しておけば、今後も同社から資金を引き出せるとの意図から、確実な返済の目途も担保もないのに、企画料等の提供に応じ、名目上の利益出しに積極的に協力したものと推認され、許自身及び被告人河村らの利益を図り、その反面、イトマンに損害を加えることを認識認容していたものと認められる。
(三) なお、検察官は、本件融資は、「本来平成二年三月期末の決算対策のため、同月中に実行する予定であったものの、同月二八日ころになって、他のプロジェクトによる企画料等によって同月期の予想経常利益額が達成できる確たる見込みが立ち、また、髙柿から、同月中に二〇〇億円もの資金調達をすることが困難である等の申立てがあったという偶発的事情に起因して四月に回った」旨主張するのに対し、被告人伊藤は、公判廷において、「三月一九日ころ、被告人伊藤、加藤及び髙柿の三人で、企画料等の各案件への割り振りについて、最終的な打ち合わせを行い、被告人河村の了承も得た後、加藤及び髙柿から、『いつも決算時ぎりぎりになってバタバタ利益出しするのはかなわない。』『来季はもっと余裕を持った利益出しをしたい。』といった発言があり、その会話の流れから、加藤が、許から申入れのあった野田産業の融資にからめて企画料を入れてもらいたいと言い出した。」旨供述するところ(第112回公判29丁、第128回公判5丁)、検察官の主張に沿う被告人伊藤の捜査段階における供述(1268検面調書)は、会話の内容など非常に具体的であり、また、加藤が、被告人河村から絵画の利益出しを翌期に回すよう指示されたことから、本件融資を利用しての五〇億円の利益出しを企図するに至ったとする点など、一見合理的な部分がある反面、被告人伊藤は、同年三月に、許から資金繰りの関係でイトマンから資金を借入できないかと頼まれたことはあったように思うが、許が野田産業株を買い付けるというような話は聞いていなかったとする部分など、他の証拠関係に照らして措信できない部分も散見され、供述に誇張がある疑いを払拭し難いこと、これに対して、被告人伊藤が、同月一九日ころには兄泰治に企画料等の内訳(案件・名目・金額等)を明示して振込の指示をしており、高岳町案件の企画料等振込は同月二三日になされていること、イトマンでは、同月二〇日時点において、緊急を要する芙蓉総合リースの肩代り融資金二三〇億円の出金でさえ四月に回さざるを得ない状況にあり、突如取り上げられたさつま観光への二〇〇億円の融資を三月中に実行できる見込みはほとんどなかったことなどから見て、三月一九日ころには、企画料等の各案件への割り振りが最終的に決定していた旨の被告人伊藤の公判供述を無下に排斥することはできないことからすれば、検察官の主張に全面的には依拠し難い。
しかしながら、瑞浪案件の項で認定したとおり、イトマンでは、かねて監査法人から期末に集中して企画料等を計上する不自然さを厳しく指摘されていたこと、平成二年三月期末には、被告人河村の公表予想経常利益額一三〇億円に対して、実に一〇〇億円もの利益が不足して、被告人伊藤関連のプロジェクトを利用しての企画料等名目による入金で、何とかその場をしのいだこと、本件融資は、このように、加藤らが、被告人河村の無理な予想経常利益額を達成するため、名目上の利益出しに苦労する中で、監査法人からの指摘を避けるためにも、早めに予想経常利益額を達成しておきたいという気持ちもあって推進されたことなどに鑑みると、仮に本件融資が当初から同年四月に実行する予定であったとしても、被告人河村らの自己図利目的を認定するにつき、何ら妨げとなるものではない。
6 被告人らの共謀について
被告人両名、加藤及び許は、それぞれ自己らの利益を図る目的をもって、被告人河村らが任務に違背していること及びイトマンに財産上の損害を加えることを認識認容しながら、まず、被告人伊藤及び加藤が、平成二年三月一九日ころ、イトマンから許経営のさつま観光に二〇〇億円を融資したうえ、企画料として三〇億円、一年分の金利約二〇億円の合計約五〇億円を先取りしてイトマンの利益出しに充てることを計画し、そのころ、被告人河村にその旨を伝えて計画を進めるよう指示を受けるとともに、同月二〇日ころ、被告人伊藤において、許に対し、右内容の融資案を提案したところ、許もこれを承諾し、被告人伊藤及び加藤から、許の承諾を得た旨の報告を受けた被告人河村は、同月二八日の時点で、最終的に本件融資を決定して被告人伊藤及び加藤に融資の条件等を指示するなどし、その後、本件融資が実行されたものであるから、本件犯行を敢行するについて、右四名間に順次共謀のあったことは明白である。
第三 被告人両名に対するアルカディア案件
一 被告人河村の弁護人は、本件は、崔茂珍による恐喝まがいの融資強要に対し、被告人河村が関与しないところで、被告人伊藤を中心としたイトマン関係者が、何とか担保不動産の担保余力の範囲内で決着を付けたものであり、被告人河村には、任務違背も共謀の事実も図利加害目的もなく、融資時点において、イトマンに損害を与えるものでもなかったから、およそ被告人河村が特別背任罪に問われるような事件ではない旨主張し、また、被告人伊藤の弁護人は、同被告人としては、部下の意見も踏まえて融資額に見合う不動産担保が徴求されたものと認識していたし、事業計画についても、崔の構想そのものは別として、既存の宗教法人を誘致して墓石分譲等の比較的小規模な事業にすれば容易に採算を整えることができるものと見込んでおり、融資金の回収に不安はないものと認識していたから、イトマンに損害を与えるとの認識も図利加害目的もなかった旨主張する。
そこで、以下、右各主張の当否について判断する。
二 関係各証拠によれば、概ね以下の事実が認められる。
1 まず、崔による箱根の墓地開発プロジェクト等について見るに、
(一) 本件土地は、崔が、昭和六一年三月一七日、東京トレーディングの名義で佐々木通商株式会社から総額約六億円で購入したものであるが、富士箱根伊豆国立公園の区域内にあり、自然公園法の関係では国立公園第二種特別地域A区域に、都市計画法の関係では未線引き都市計画区域用途無指定地域に、森林法の関係では地域森林計画対象民有林に各指定されていて、その開発行為について各種規制を受けているうえ、神奈川県においては、「神奈川県国土利用計画」、「神奈川県土地利用基本計画」及び「墓地造成に関する指導基準」等を定めて、自然公園区域内における墓地造成を原則として認めない取扱をしており、したがって、現に本件土地の周辺の国立公園内には墓地公園は存在しない。崔も、本件土地における墓地開発について、昭和六〇年一一月九日付けで、神奈川県から、右「墓地造成に関する指導基準」等による厳しい規制を理由に、実現性が見込まれない旨の回答を得、さらに、昭和六一年一一月七日、同県庁に赴いて、本件土地を墓地として開発したい旨陳情した際、担当者から、自然公園内の土地の墓地開発は規制されており、開発許認可申請がなされても拒否せざるを得ない旨の回答を受けて、その後、同県に対し開発許認可を申請したこともなければ、地元自治体の箱根町に事前相談をしたこともなかった。
本件土地は、二子山の北東側山腹に位置し、平均傾斜角度三〇度前後の自然林に覆われており、その北側には国道一号線が通っているものの、これとは直接接続しておらず、本件土地と国道との間には国土計画株式会社所有の土地が存在し、本件土地への通行は国道から分岐する町道を通る以外に方法がなく、町道沿いには本件土地に隣接して箱根町のゴミ処理場がある。本件土地を墓地として開発するためには、右国土計画所有地を買収して本件土地を国道に接続させることが必要であり、崔は、平成二年五月ころ、同社と交渉したが、売却の意思がないとして断られたうえ、国道から本件土地に通じる町道沿いにゴミ処理場があって悪臭等が漂い、さらに、地形からも利用範囲が限られて大規模な造成工事を要するなど、墓地として開発するには困難な問題が山積していた。
(二) 崔は、東京トレーディング名義で、昭和六二年四月一七日、関西ファクタリング株式会社から、本件土地を担保に二〇億円を借り入れ、これを他の借金の返済資金として使用し、さらに、昭和六三年三月一六日、株式会社東方土地から、本件土地に抵当権を設定して二五億円を借り入れ、その中から関西ファクタリングに二〇億円を返済した。東方土地は、右融資を行うに当たり、日本プロミス工業株式会社に本件土地の価格評価を依頼したが、同社は、東方土地が既に右融資を実行することを事実上決定しており、かつ、崔が東方土地に対し、国土計画所有の土地を一年以内に買収する旨の念書や開発が可能である旨の回答書を差し入れたことから、崔が国土計画所有の土地を買収して本件土地と国道とを直接接続させ、かつ、開発許認可を得ることを前提として、本件土地の評価額を三二億円(三・三平方メートル当たり二万二〇〇〇円)と算出した。しかし、国土計画所有の土地を買収できず、開発許認可を得ることができなければ、本件土地の当時の評価額(素地価格)は七億三〇〇〇万円余り(三・三平方メートル当たり五〇〇〇円)にすぎなかった。また、東方土地が、平成二年三月、不動産鑑定士に本件土地の価格鑑定を依頼したところ、本件土地は前記法令の規制を受けているため開発することができず、その利用価値及び交換価値は零であるものの、数十年先に規制が緩和されて別荘地に開発し得ると仮定すれば、右鑑定当時の本件土地の資産としての評価額は二二億円であり、平成三年八月、不動産鑑定士に本件土地の価格鑑定を依頼した結果、その当時の素地価格は約一七億六〇〇〇万円であった。
崔は、平成元年八月ころ及び東方土地への利息の支払が滞りだした平成二年四月ころから六月ころの二回にわたり、同社に対し、約一〇億円の借増しを申し込んだが、同社は、崔が国土計画所有の土地を買収しておらず、開発許認可の申請手続もしていないこと及び本件土地に担保余力がなく、崔所有の横須賀市秋谷の土地にも担保余力がないことを理由にこれを断った。
(三) 崔は、昭和六一年三月、財団法人国際宗教同志会連盟の理事(会長)となったが、右法人の寄附行為によると、墓地の造成開発や販売等がその目的とされておらず、右法人が本件土地をその基本財産に組み入れて墓地の造成開発や販売等を行うためには寄附行為を変更する必要があったが、これは容易に認められず、右法人を本件土地における墓地造成や販売等の主体とすることはできなかった。また、崔は、昭和六三年一月、同年一〇月、同年一二月、平成二年九月、平成三年三月及び同年五月の少なくとも六回にわたって、本件土地を「箱根メモリアルパーク」なる墓地公園として開発する旨の事業計画書を作成しているが、いずれの計画書も前のものを一部修正したにすぎないもので、実行に移されたものはなかった。被告人伊藤を介してイトマン側に提示された平成二年九月作成の事業計画書によると、平成三年一月から平成五年一二月までの間に、墓地造成開発許認可を得たうえ、本件土地のうち、五万平方メートルを墓地(一区画四平方メートル、合計一万二五〇〇区画)に、四万七三〇三平方メートルを駐車場及び会堂等に、残りを緑地保存地区に造成し、平成六年一月から平成一〇年一二月までの間、五回にわたり、墓石をセットとして右墓地一区画を三五〇万円で販売し、約一二三億円の収益を上げるというものであるが、これは昭和六三年一〇月及び同年一二月作成の各事業計画書記載の開発許認可、造成及び販売の各期間等を一部修正したにすぎず、さらに、イトマンないしその子会社との間で、右墓地の販売総代理店となる旨合意した事実がないのに、勝手に総代理店としての収入を三一億二五〇〇万円と記載するなどしていた。
2 次に、判示の「犯行に至る経緯等」の内容を敷衍して、アルカディアに対する一〇億円の融資(本項において「本件融資」という場合には、右融資を意味する。)決定状況等について見るに、
(一) 被告人伊藤は、平成二年九月二六日ころ、崔から、「本件土地に二五億の担保が付いているが、五〇億から六〇億の値打ちがあるから大丈夫だ。これを検討してくれ。どうしても四〇億円いる。許認可は、バッジを使って頼んでいるから大丈夫だ。」などと要請されて、箱根の墓地開発プロジェクトの事業計画書を受け取り、これを企画監理本部副本部長(東京開発室担当、同年一〇月一日付けで開発業務部東京担当)の市川に手渡して調査を命じたが、市川らは、当時イトマンでは資金繰りが非常に厳しい状況にあり、その直前に、髙柿から、南青山案件でさえ新規の出金はできない旨通告されていたことに加え、国立公園内の本件土地について墓地開発の許認可を得ることが極めて困難であることから、同プロジェクトについてイトマンが融資することはないと考え、事実上棚上げにして調査すらしていなかった。
しかしながら、被告人伊藤は、崔にマスコミ対策への協力を依頼し、また、今後も崔が主宰する雑誌「創」や「ビッグ・エー」に被告人河村の批判記事が掲載されないようにするためには、崔の要求もある程度受け入れざるを得ず、そうすると、いずれイトマンが崔に対し同プロジェクトの資金名目で相当額の融資をせざるを得なくなるものと考えていたので、同年一〇月一日、イトマン東京開発部(同日付けで東京開発室から名称変更)部長の平岡熙に、本件土地の現地調査の状況を尋ね、その調査を急ぐよう命じた。そこで、平岡の指示を受けた部下の宮原昭が、翌二日、現地に赴いてビデオで本件土地の現況を撮影するとともに、法務局で公図を閲覧し登記簿謄本を入手するなどしたが、本件土地は国立公園内にあるため、自然公園法、森林法等法令上の各種制限があり、開発許可が下りることは極めて困難であること、交通の便が悪く、進入道路も未整備のうえ、箱根美化事務所に隣接して悪臭がするなどイメージ的にもよくないことなど、問題点が多すぎて墓地造成事業は極めて困難であると判断し、同日中に、平岡にその旨報告した。
(二) 他方、被告人伊藤は、同月二日、崔らと会って、週刊新潮九月一三日号に掲載された判示の記事に関する抗議文を検討する予定になっており、崔と会えば同人に対する融資について回答を迫られることが明らかであったことから、事前に被告人河村の意向を確認しておこうと考え、午前八時からイトマン東京本社において月初訓示が始まる直前に、社長室において、被告人河村に対し、「小早川が京都駅の北側の地上げのプロジェクトを持って来て、融資をしてくれと頼まれましたが、それは断りました。その代わり、小早川は箱根の霊園のプロジェクトで四〇億円の融資をしてほしいと言ってきています。私の見たところでは土地を担保に取っても四〇億円もの価値はありませんし、先順位の担保が二五億円もあると言っていました。小早川は、許認可はバッジを使っているから大丈夫と言ってましたが、許認可は取ってみなければ分かりません。小早川には新潮の記事のことでいろいろ世話になっていますし、これから新潮に抗議の内容証明を出す協議をするところです。小早川は非常に金に困っているようです。どうしましょうか。」と言って、その意向を打診したところ、被告人河村は、「それじゃあ、一〇億円くらいで小早川と話をつけてくれ。」と指示した。
(なお、この点について、被告人河村は、捜査段階から一貫して被告人伊藤への右指示を否認し、「平成二年一〇月二日昼食を終えて社長室から出たところ、被告人伊藤が来たので、廊下で立ち話をした。『京都駅の北側の土地の地上げの件で小早川に世話にならなければならない。小早川が、箱根の墓地霊園の開発費用として一〇億円融資してくれと言っていますので、融資してもいいでしょうか。』と言ってきた。不動産投融資部門の責任者である企画監理本部長の被告人伊藤が言ってきたので、『営業サイドがやりたいと言うならいいですよ。申請書を上げなさいよ。』と言っておいた。」(1240検面調書)、「被告人伊藤が箱根の墓地霊園の開発費用として一〇億円融資したいと言ってきたので、社内の決裁を取って上に上げなさいとだけ指示した。」(第100回公判38丁)旨の供述をする。しかしながら、被告人河村は、昭和六三年一一月ころ、中野から、崔が箱根の霊園プロジェクトへの融資を申し入れていると聞いた際には、イトマンでは、前社長時代に手掛けた京都の「東山浄苑」の建設及び納骨檀の販売に一〇年以上の歳月を要し、しかもイトマン全体で約二八億円の損失を出していたことから、即座に「イトマンでは墓地はタブーだ。すぐに断りなさい。」と指示していたこと、その後も、崔が中野を窓口として、イトマンに執拗にプロジェクト融資を求めてきたことから、平成二年二月ころ、被告人伊藤が同社企画監理本部長に就任して間もなく、同被告人に中野を助けて崔に対応するよう指示したこと、前記のとおり、平成元年一〇月、金融機関に対して土地関連融資の厳正化を求める大蔵省銀行局長通達が出され、更に平成二年三月には不動産関連融資の総量規制を求める同通達が出されたうえ、公定歩合の相次ぐ引上げなどにより、同年春ころから不動産取引が困難な状況が生じていたにもかかわらず、イトマンでは、このような趨勢に逆行して、被告人伊藤の持ち込んだ開発案件などに対する不動産関連投融資額を急速に拡大させ、これに伴い借入額も急増したことから、マスコミの関心を引き、次第に被告人両名に批判的な報道が激しくなる中で、被告人河村は被告人伊藤に、不動産投融資部門の責任者というにとどまらず、マスコミ対策も依頼していたことなどの事実関係に鑑み、被告人河村の右供述は不自然不合理といわざるを得ず、前記認定に沿う被告人伊藤の供述(1273検面調書六項、2159裁面調書34丁)と対比して到底措信し難い。また、被告人伊藤も、自己の公判では、「当日の朝会で、市川に箱根の土地がいくらくらいするのかについての大体の目星はどうだと聞くと、事業計画書は六五億になっているが、四〇億くらいと見ておけば間違いないのではないかと答えた。第一勧業銀行の子会社の東方土地が一番抵当で二五億円の融資をしているが、担保掛け目なしに融資するということは通常考えられないから、坪二万五〇〇〇円で三七億五〇〇〇万円としても一〇億円くらいの余力はあると考えて、被告人河村にその旨話すと、『担保余力が一〇億あるなら、一〇億までならいいんじゃないか。それで小早川と話を付けてくれ。』と言われた。」旨供述するが(第113回公判11丁)、市川及び平岡が右事実を否定しているばかりでなく、被告人伊藤は、崔の公判における証人尋問の際にも維持していた前記認定に沿う供述を唐突に変遷させるに至った理由につき、何ら首肯し得る説明をしていないうえ、同被告人は、既に崔の公判においても、市川らが、本件融資決定後に辻褄合わせのため、不動産物件評価申請書に記載した四四億円という本件土地の評価額(先順位抵当権の被担保債権額二五億円に本件融資額一〇億円を足して八掛けしたもの)につき、あたかも事前に聞いていたかのようにすりかえて供述しようとしていること(2159裁面調書18丁)などに照らしても、やはり措信できない。)
被告人伊藤は、一〇月三日、平岡及び市川から、宮原の報告書の提出を受け、国立公園内で法令上の制限が厳しく、事業化は難かしいし、担保にはならない旨進言されたが、既に本件融資の実行を決めていたため、これを聞き流し、同日、崔と会って、三〇億円融資してほしい旨執拗に要請する同人を説得し、一〇億円を融資することでその同意を取り付けた。そして、翌四日、被告人河村に対し、崔に一〇億円を融資することで話がついた旨報告した。
3 最後に、本件融資の実行状況等について見るに、平成二年一〇月七日の朝、被告人河村の後ろ盾と見られていた住友銀行の磯田が突然会長を辞任する旨マスコミを通じて表明したことから、被告人河村は、髙柿らイトマンの主要幹部を緊急に呼び集めて、今後の対応や債務圧縮計画の詰めを検討し、翌八日、副社長の藤垣が記者会見し、磯田会長の辞任はイトマンとは無関係であり、住友銀行とは今までどおり主力銀行と取引先という関係が維持され、イトマンは不動産投融資に関する債務圧縮計画を予定どおり進めている旨説明した。
同月八日、被告人伊藤は、大阪ヒルトンホテルの客室において、企画監理本部副本部長の杉本から、崔に対する融資を実行するか否か尋ねられて、同室していた被告人河村に確認したところ、イトマンの名前を表面に出さないようにして、予定どおり融資を実行するよう指示された。そこで、被告人伊藤は、杉本に対し、同人が代表取締役を務めるペーパーカンパニーの株式会社フィフスの名義を使って、実質上イトマンから崔に融資を実行するように指示し、また、市川に対しても、翌九日に崔への一〇億円の融資を実行するからその手続を至急進めるように連絡したが、フィフスの本店所在地が遠方の北九州市にあって、すぐには資格証明書等の書類を取り寄せられず、直ちに融資を実行できないことを知った市川は、同月八日のうちに、被告人伊藤にその旨連絡し、フィフスの代わりに被告人伊藤が代表取締役となっている伊藤萬不動産販売を名目上の貸主として崔に対する融資の手続を進めるよう指示を受けた。
同月九日当時におけるイトマンの財務状態は、いつ倒産してもおかしくないほど逼迫しており、同日から同年一一月一六日までの約一か月の間に、住友銀行から、一三回にわたり合計九二三億円もの緊急救済融資を受けざる得ない事態に追い込まれていた。このため、通常の資金手当の方法をもってしては、アルカディアに対する一〇億円の融資金の調達ができないことから、被告人伊藤は、同年一〇月九日、府民信組理事長の南野に電話をして、一〇億円の借入れを要請するとともに、髙柿に対し、担保として差し入れる株券を大阪ヒルトンホテルの被告人伊藤の下に届けてほしい旨連絡した。髙柿は、内外商事の橡尾光夫に指示して、イトマンが同社名義で保有していた共同印刷株券五〇万株(同日の終値三三〇〇円、時価約一六億五〇〇〇万円)を被告人伊藤に届けさせ、同被告人は、その場で、右株券を南野に手渡した。そこで、南野は、右同日、右株券を担保として富士銀行立川支店から一〇億円を借り入れて府民信組の南野名義の普通預金口座に振込送金させたうえ、利息の四〇〇万円を差し引いた九億九六〇〇万円を、振込人を伊藤萬不動産販売、受取人をアルカディアとして、府民信組本店から三菱銀行虎ノ門支店のアルカディア名義の普通預金口座へ振込送金し、本件融資が実行された。
三 以上の事実関係に基づき、争点について順次検討する。
1 財産上の損害発生の有無について
被告人らの弁護人は、本件融資は、担保不動産の担保余力の範囲内でなされたものであり、また、本件土地を寺院墓地として小規模に事業開発するなどすれば、本件融資金は十分回収可能であったとも主張するので、この点について検討する。
(一) まず、本件土地の担保価値について見るに、前記認定のとおり、本件土地には既にその素地価格を超える先順位の抵当権が設定されていたところ、各種法令上の規制を受け、本件土地での墓地造成開発が許可される可能性はほとんどなかったこと、墓地開発事業を可能にし、その利用価値を高めるうえでも、国土計画の所有地を買収することが是非とも必要であったのに、これが不可能となったこと、本件土地は地形的な面からも利用範囲が限られ、大規模な造成工事が必要であることなど、墓地開発事業を行うことは極めて困難であることに加えて、本件融資当時、崔は資金繰りに窮しており、本件融資金が墓地開発事業の資金に充てられるものでなく、資金面からも右事業の具体的な目途は全く立っていなかったことを考慮すれば、本件土地の担保価値を評価するに当たり、開発ができたことを前提とすることは相当でない。
また、寺院墓地として小規模に開発する場合は、大規模な墓地開発事業と比較して法令上の規制も若干緩やかになることが窺われないではないが、崔の右計画は本来の墓地開発事業が挫折したときに備えての構想にすぎず、誘致する寺院も墓地の規模も未定であり、資金的な裏付けがあったわけでもないうえ、被告人伊藤から墓地開発の許認可取得の困難さを指摘された際、東京都内にある寺院を箱根に移転させて墓地を檀家に販売させる方法もあると話した程度で、イトマン側に具体的な事業計画を示してもいないことからすれば、本件土地の担保価値を評価するに当たり、右小規模開発を前提とすることもできないというべきである。
(二) 次に、債務者アルカディア及び連帯保証人崔の返済能力等について見るに、関係証拠によれば、崔は、本件土地のほか、沖縄県石垣島や横須賀市秋谷周辺等で不動産開発案件を手掛けていたが、本件融資までに成就したものはなく、開発事業自体から大きな利益を上げたこともなかったこと、崔が支配下に置いた創出版は、収支がほぼ均衡しているものの、ビッグ・エー社は、毎月一〇〇〇万円前後の損失を出して、崔から継続的に資金援助を受けていたこと、こうした背景により、東京トレーディング、旧アルカディア、アルカディア等崔が経営する企業の資金繰りは苦しく、昭和五九年一一月から平成二年一〇月までの累積赤字が約一億円に及び、借入金は、平成二年九月末時点で、崔個人名義によるものも含めて合計約一〇六億円に達していたこと、本件土地にかかる東方土地からの借入金二五億円も全額未払であり、その金利の支払も次第に滞って、再三の督促の結果、平成三年四月に至って、前年四月分から六月分までの金利が支払われたが、それ以降分の金利は全く支払われず、その他の借入先についても、金利の支払ができず、差入れ手形の金額が膨らんでいき、平成二年一〇月末現在の支払手形は総額一億九六〇〇万円余に達したことが認められる。
また、崔は、本件融資当時、本件土地のほか、個人名義で横須賀市秋谷の土地建物及び同市久比里の土地を所有し、アルカディア名義で沖縄県石垣島字平久保の土地を所有していたが、このうち、横須賀市久比里の土地は、マンション建設計画が挫折した土地で、三億二五〇〇万円の債務の担保に供され、税金の物納用に残されていたものであり、沖縄県石垣島の土地も、リゾート開発用地として、昭和六一、二年ころ、約三億五〇〇〇万円を投じて買収したものの、用地買収未了のまま計画が挫折したため、虫食い状態のまま残された土地で、本件融資金の一部でも回収し得るだけの資産価値があったとは認められない。
これに対して、横須賀市秋谷の土地建物は、本件融資当時、被担保債権を二〇億円とする抵当権が設定されていたが、その後、同物件を担保として、平成三年四月に韓国第一銀行から一四億円、同年七月に富国開発から二億円の融資を受けていることなどからすれば、本件融資当時、なお相当の担保余力があったと見る余地がないわけではないが、平成元年九月末に建物の引渡を受けながら、二六億円の請負工事代金のうち約九億円が未払であることに加えて、前記のとおり、崔及びアルカディアが多額の負債を抱えて資金繰りに窮していたこと、イトマンでは伊藤萬不動産販売(平成三年三月二五日、御堂筋総合興産株式会社と商号変更)の名義で、平成二年一〇月から毎月、アルカディアに対し、約定の利息を支払うよう請求書を送付していたが、全く支払も連絡もない状態が続き、さらに、平成三年七月二九日付けの支払催告書で、元金一〇億円、同月末時点での利息約七七〇九万円及び根抵当権設定費用等の立替金約四八九万円を同催告書到達後一週間以内に支払うよう請求したが、その後も全く支払がないまま、アルカディアは、崔が本件で逮捕される数日前の同年九月五日に第一回目の手形不渡りを出して倒産に瀕していたことなどの事実関係に照らすと、横須賀市秋谷の土地建物にある程度の担保余力があったことを考慮に入れても、本件融資金を弁済期に回収することが不可能であるばかりか、将来的にも回収は極めて困難であったというべきであり、その危険は本件融資当時に既に発生していたと認められるから、本件融資時点において、イトマンに本件融資額九億九六〇〇万円と同額の財産上の損害を加えた評価することができる。
なお、崔は、公判廷において「被告人伊藤から、イトマンの保有するイトマンファッションビル等の不動産について、専任媒介権を与えられたに近いような依頼を受けたため、その買主を探してこれを売却し、その利益によって本件融資金を返済する予定であったのに、被告人伊藤が退社するなどして右依頼が反故にされたため、売却できなくなった。」旨供述し(第74回公判68丁、第76回公判44丁)、被告人伊藤も、「崔に対し、イトマン保有不動産の売却先を探してきてイトマン側の仕切値以上の金額で売却できれば、その差額分を崔の利益とする旨約しており、この利益から本件融資金の返済を受けるつもりであった。」旨供述する。
しかしながら、崔が被告人伊藤からイトマン保有不動産の専任媒介権あるいはそれに類する権限を与えられた事実は認められないだけでなく、右のイトマン保有不動産の売却話は、被告人伊藤が、崔に対し、京都駅北側の土地の件で融資することを断った際、その融資要求の矛先をかわすために申し出たものであって、崔がその後関与した同不動産の売却話は、いずれも打診段階にとどまっていたこと、本件融資当時は、高金利と不動産関連融資の総量規制の影響等により、不動産の売買が困難な状態にあり、本件融資後も右各物件が売却された形跡のないこと、仮に崔が売却仲介に成功したとしても、売却金額も、仲介に関与する者の数やその果たす役割も不明であるから、崔の取得し得る利益額もまた不明であることなどに鑑みると、崔がイトマン保有不動産の売却仲介による利益額から本件融資金を返済できるというのは、崔及び被告人伊藤の希望的観測にすぎず、かかる不確実な事情は、本件融資時点において、イトマンに本件融資額と同額の財産上の損害を加えたとの前記認定を何ら揺るがすものではない。
2 被告人らの任務違背及びその認識について
前記認定事実によれば、被告人両名は、本件融資を決定するに当たり、崔及びその関係会社の信用状態、墓地開発事業の成否、その採算の見通し等について悲観的な調査結果が出ていたのに、崔の釈明内容について裏付けを取らず、しかも、アルカディア及び崔に返済能力があるとも考えていなかったのに、担保となる本件土地の価格調査の結果を待つことなく、かつ、本件融資金が崔の資金繰りに流用されることを知りながら、崔に資金的便宜を図ってやるため本件融資を決定し実行したのであるから、被告人両名がその任務に違背したことは明らかであり、かつ、それぞれの任務違背について認識していたものと認められる。
また、崔も、被告人両名が、イトマンに資金的余力がないのに、十分な裏付調査をすることなく、イトマンに多額の財産上の損害を加える本件融資の実行に踏み切ったことを認識していたのであるから、被告人両名の各任務違背を認識していたものと認められる。
3 図利加害目的について
(一) 本件融資は、返済能力がなく、かつ、資金繰りに窮していた崔の経営するアルカディアに対して、担保余力のない本件土地を担保として、九億九六〇〇万円もの資金を入金したのであるから、崔を一方的に利するものであり、他方、一〇億円を借入れたうえ、実質的に無担保で、返済能力のないアルカディアに貸し付けることになったイトマンに財産上の損害を加えることが明白であるにもかかわらず、被告人両名は、墓地開発事業の成否及び採算の見通しについて悲観的な調査結果が出ていたのに、これらに関する崔の釈明内容について裏付けを取らず、しかも、本件土地の担保価値や崔及びアルカディアの本件融資金の返済能力の有無につき十分検討することもなく、かつ、融資金が崔の資金繰りに流用されることを知りながら、本件融資を決定して実行したのであって、被告人両名は、崔の利益を図り、その反面、イトマンに損害を加えることを認識認容していたものと認めることができる。
そして、被告人両名は、不動産関連投融資を急速に拡大させ、これに伴い借入額も急増したことから、イトマンの経営危機を招き、これが表面化してマスコミによるイトマン及び被告人両名に対する批判が続く中で、メインバンクである住友銀行によってその地位を追われることを強く危惧し、崔が被告人両名の側に立ってマスコミ対策や住友銀行対策に協力する姿勢を示したことから、同人を敵に回すよりも味方につけて被告人両名の個人的な利益を守るため、マスコミ対策等に活用しようと考えて本件融資を行ったものと認められるから、実質的に無担保でなされた本件融資が、もっぱらイトマンの利益のためになされたものということもできない。
(二) 崔は、自己の資金繰りに窮してイトマンから実質的に無担保で多額の資金提供を受けようと企て、被告人両名が推し進めたマスコミ対策等の目的が、イトマンの経営実態を隠蔽し、被告人河村の社長としての地位の保持と被告人伊藤の常務取締役企画監理本部長としての地位の保持という、個人的な利益を守ることにあることを知りながら、そのマスコミ対策等に協力する見返りに、自己がイトマンから実質的に無担保で使途の制限のない九億九六〇〇万円もの多額の資金提供を受けたのであるから、崔に自己の利益を図り、その反面、イトマンに損害を加えることの認識認容があったこともまた明らかである。
第四 被告人河村に対する業務上横領案件
一 弁護人は、本件協定書は、被告人河村、森下及び伊藤三者の個人の努力目標を確認した紳士協定的な書面にすぎず、本件一〇億円も、森下個人が被告人河村個人に証拠金的に託した金員であって、イトマンとしての契約が整うまでは、被告人河村が自己の計算において自由に運用していい裏金であったから、右金員は同被告人がイトマンのため業務上預かり保管したものとはいえず、 したがって、本件について業務上横領罪が成立する余地はない旨主張する。
そこで、以下、右主張の当否について判断する。
二 判示の「犯行に至る経緯等」を敷衍するに、関係各証拠によれば、以下の事実を認めることができる。
1 被告人河村は、平成元年八月三日、伊藤寿永光と面談した際、同人が森下と知り合いであることなどを聞いたことから、同年九月下旬ころ、伊藤を通じて、森下に、立川をめぐる問題は円満に解決したいとの被告人河村の意向を伝え、アイチ側の感触を打診したうえで、伊藤に、イトマン及び住友銀行等保有の立川の株式全部をイトマンの取得原価と金利のほか五〇億円くらいを上乗せした金額でアイチが買い取るのであれば、イトマンは立川の経営から手を引いてアイチに経営権を引き渡す用意がある旨アイチ側と交渉するように依頼した。
同年一〇月一〇日夜、伊藤が森下宅を訪ねたところ、同人は、立川の臨時株主総会を翌日に控え、アイチの顧問弁護士らを集めて対策を協議しているところであったが、伊藤から伝えられた被告人河村の提案を受け入れることとした。そして、弁護士らの意見も聴いて、イトマン及び住友銀行の現に所有する立川株式合計二五〇万株を、単価二〇〇〇円(総額五〇億円)で平安閣グループを介してアイチ又は森下が指定する者に譲渡すること、立川の臨時株主総会において、アイチが信楽ファイナンスの名義で取得した株式の権利行使を認めること、アイチ側の並木俊守弁護士を監査役の候補者とする修正動議を認めることなどを骨子とする本件協定書の原案を作成したものの、時間的にも細部を詰めて協定書に調印するには至らず、このときは、口頭の約束にとどまった。
2 ところが、翌一〇月一一日に開催された立川の取締役会において、新株発行数を四〇〇万株、発行価格を一株一一〇〇円とし、割当先をイトマンほかイトマングループ二七社とする第三者割当増資案が承認されたうえ、右取締役会終了直後に開催された臨時株主総会では、立川側は、アイチの要求した信楽ファイナンス名義で取得した株式の議決権行使も並木弁護士を監査役の候補者とする修正動議の提出も認めず、議事進行はイトマン及び立川側の一方的なペースに終始した。これを違約だと憤る森下に対し、被告人河村は、電話で直接、「第三者割当を決めたが心配ない。立川の株は間違いなくアイチに譲る。第三者割当分を含めて全部買い取ってもらう。」旨釈明するとともに、伊藤を派遣して交渉させ、第三者割当増資分四〇〇万株にイトマンや住友銀行等の保有する三一二万株を加えた合計七一二万株を協和を介してアイチが買い取ること、代金はイトマンの簿価に五〇億円を上乗せした一株当たり一六四五円、合計一一七億一二四〇万円とすること、株券の引渡時期は、三一二万株を平成二年九月末日に、増資新株四〇〇万株については発行から二年間譲渡が禁止されているので平成三年一二月一〇日にすることで合意した。
森下は、右合意を文書化し、会社間で契約書を取り交わすことを望んだが、伊藤を介して、イトマンでは、第三者保有株式を買い取り、増資新株の譲渡禁止が解けるまで、取締役会を開くことができず、取締役会の決議を経るまで正式な契約を締結することはできない旨の被告人河村の意向が伝えられたため、アイチの顧問弁護士らに相談して、平成元年一〇月一二日ころ、本件協定書案を作成した。本件協定書は、「河村良彦は伊藤萬株式会社の代表取締役社長であり、立川株式会社の代表取締役会長である。森下安道は立川の大株主である株式会社アイチの社主である。両者は立川の会社運営及び今後の立川の業績の拡大発展させる為、協力する必要のあることを認め、協力してこれら対策を樹立する必要あることを認め以下のとおり合意する。尚、平安閣グループこと株式会社協和綜合開発研究所代表取締役伊藤寿永光は両者の調整者として本件協定に介入する。」との前文を置き、立川の臨時株主総会や役員の地位に関する条項のほか、イトマンが協和を介してアイチに、立川株式合計七一二万株を一株当たり一六四五円で売り渡すことなどを内容とするものであった。そして、被告人河村、森下及び伊藤は、同月一三日夜、大阪の料亭「たに川」で会談し、いずれも肩書なしの個人名で本件協定書に署名押印した。
3 森下は、同月一〇日夜の口頭での約束が一度反故にされているうえ、売買契約の履行期が相当先のことになるため、契約の履行確保の趣旨で、被告人河村に内金ないし手付金を渡しておく必要があると考え、伊藤を介してその旨申し入れたところ、被告人河村はその受領を了承した。森下としては、右金員は手付金又は内金という感覚のもので、売買代金の一部に充当されるべきものと考えていた。ところで、伊藤は一〇億円という金額を伝えて被告人河村の了解を得たのに、その後、森下が五億円と言い出したことから、話が壊れて被告人河村の信頼を失うことを恐れ、差額の五億円は取りあえず協和で負担することにした。このため、判示のとおり、五億円については、森下の指示を受けたアイチ大阪支店長の上屋から、残りの五億円については、伊藤から、被告人河村に交付されたが、被告人河村は、右各現金を受け取るや、甥の阿形に「この金で株を買って運用してくれ。」などと指示して引き渡した。
三 右事実関係に基づき検討するに、まず、本件一〇億円授受に関する当事者の意識として、森下が、その出捐した五億円につき、手付金又は内金という感覚のもので、売買代金の一部に充当されるべきものと考えていたことは前記のとおりであり、伊藤も、公判廷でこそ、被告人河村の手前、あいまいな供述をするものの、捜査段階においては、イトマンへの手付金である旨明確に供述していたうえ、公判廷においても、「森下は、契約は個人の名前で署名するが、手付金のきちっとした形で渡しておきたいと言っていた。」(第79回公判52丁)、「森下が将来被告人河村の生活費の面倒を見ると言っていたことと一〇億円とは関係なく、リベートではない。」(第87回公判22丁)旨供述するばかりでなく、被告人河村自身、捜査、公判を通じ、もらい受けた賄賂金あるいは裏金のたぐいであることを明確に否定し、協定書に基づき会社間での合意が正式にできたときには、買取代金の一部に充当されるという認識があった旨供述していることからしても、本件一〇億円はイトマンに帰属すべき金員であることが、三者共通の認識になっていたものと認められること、そもそも、一〇億円という金額自体、本件協定書に基づく立川株の譲渡代金の一割近くにもなるもので、被告人河村個人に帰属し、あるいは、自己の計算において自由に運用してよい裏金であったとは認め難いこと、本件協定書の内容は、正に会社間の合意というべきものであって、肩書なしの河村個人の立場であれば約束の立川株式を譲渡することは到底できない道理であり、イトマンの社長であればこそ協定内容を履行させることのできるものであるところ、同社で取締役会の決議を経る前提条件が整っていない段階において、個人名で合意する体裁を取ったのは、やむを得ないことであるし、代表取締役が、取締役会の決議を経てすることを要する対外的な取引行為を右決議を経ないでした場合でも、後に取締役会が追認すれば、遡って有効になるのであり、被告人河村、森下及び伊藤も、当時、イトマンの取締役会が被告人河村の決定を覆すことなど全く予期していなかったことからすれば、本件協定書を、単に三者の努力目標を書面化した紳士協定的なものと見ることは相当でないこと、被告人河村が、将来取締役会が追認することを見越して、売買代金の一部としてイトマンに帰属すべき金員を預かり保管することは、イトマン代表取締役社長としての行為というべきであることなどに鑑みると、本件一〇億円は、被告人河村が、イトマン代表取締役社長たる地位において、イトマンのため業務上預かり保管したものと解するのが相当である。
そうすると、被告人河村が、阿形に株式運用のため費消することを指示して右金員を引き渡した行為が、不法領得の意思の発現として、業務上横領罪に該当することは明らかといわなければならない。
第五 被告人河村に対する自己株取得案件
一 被告人河村の弁護人は、同被告人は、東海振興信用株式会社(以下「東海」という。)及び内外商事株式会社(以下「内外」という。)によるイトマン株保有について、親しき関係の会社に、安定株主対策のために一時的な受け皿として、イトマン株を保有してもらっているとの認識はあったものの、右イトマン株取得がそのままイトマンの資金でなされているとの認識はなかったし、社長としての地位の維持やイトマン株の株価操作という不当な目的で、東海、内外にイトマン株を保有してもらったことはないから、被告人河村には、自己株取得の故意がなく、仮に、形式的に同罪の構成要件に該当することがあったとしても、可罰的な違法性がない旨主張する。
そこで、以下、右主張の当否について判断する。
二 まず、関係各証拠によれば、本件を含む東海、内外のイトマン株買付資金は、全部イトマンから一〇〇パーセント子会社のエムアイクレジット株式会社(代表取締役社長は髙柿、以下「ミック」という。)を経由して貸付がなされていたが、ミックから東海、内外への貸付については、イトマン財務部の資金運用にすぎないとの考えから、本来必要とされるイトマン本社内の審査や決裁、担保徴求等の手続は取られていなかったこと、株式の買付注文は、髙柿の指示に基づき、イトマン大阪本社財務本部主任部員の本間勝、園田俊和又は佐伯裕子が行い、代金の支払も、佐伯から渡される資金メモに基づき、同社経理本部主任部員の樋口宏が、東海及び内外から預かっていた預金通帳及び銀行届出印ないし預金払戻請求書に押印したものを用いて行っていたこと、株券の保護預り証は、イトマン大阪本社経理本部の金庫に保管されていたこと、株式売却益等東海、内外に発生する利益は、融資金の返済・利息の支払として、ミックを経由してイトマンが吸い上げ、それでも決算期末に利益が発生しそうになると、髙柿が、含み損のある株式を売るよう手配して株式売却損を顕在化する等の処理をしていたこと、東海は伊藤寛治が、内外は橡尾光夫が、それぞれイトマン本社から送られてくる売買取引報告書や資金メモに基づき、元帳や月次報告書、決算書を作成しているだけの会社であったことなどが認められ、右認定事実によれば、東海、内外は、イトマンによる自己株取得等を隠蔽するための全くのダミー会社といわざるを得ず、東海及び内外の名義でなされた本件イトマン株の取得はイトマンの計算においてなされたものと認められる。
三 次に、被告人河村の認識について検討するに、本件共犯者とされる髙柿は、公判廷において、概ね「被告人河村から、ミックを経由しての東海、内外への融資は、イトマン財務の運用だから、限度申請はいらないと言われたので、融資の限度申請は行っていなかった。イトマンでは、昭和五七年九月及び昭和五八年六月にスイスフラン建て転換社債の発行を行ったが、野村証券大阪支店の次長クラスの人から、多量に株式に転換されて売りに出てきたら、株価に対する影響が大きいので、受け皿会社を作ったらどうかというアドバイスを受け、被告人河村の指示で、一回目の転換社債の転換株式は全部東海で取得することにした。昭和五八年五月に内外を設立したのは、被告人河村から、『東海一社に集中しすぎると目立ちすぎるので、同じようなものをもう一社作れ。』と指示されたからである。平成元年一二月初め、被告人河村からイトマン株について、『二〇〇〇円にぼつぼつ持っていったらどうか。例のところでやったらいいやないか。』と指示されて、五〇〇万株を目安として買い進んだ。当時、浮動株だけでも五〇〇〇万株くらいあったということだが、発行済株式総数が少なかった過去の経緯から、東海、内外で買えば上がるだろうという雰囲気があった。平成二年九月一六日、日経新聞に『伊藤万グループ 不動産業などへの貸付金一兆円を超す 住銀、資産内容の調査急ぐ』との記事が掲載され、同日午後二時から大阪ヒルトンホテルで対策検討会議があったが、その際、被告人河村から『明日株が下がるかも分からんから例のところで買うていけよ。五〇〇万株ぐらいまでなら買うていいよ。』という指示があった。資金が足りず、部下に信用買いを指示したほか、大建工業と日本コンベヤに後日相対で引き取るることを条件に買付を依頼した。しかし、ストップ安が続き、同年一〇月二日で取引を中止した。」旨供述する。髙柿の右公判供述は具体的で迫真性に富むうえ、同人が既に本件で有罪の判決を受けて確定していることからすれば、自己の罪責を免れるため、ことさら被告人河村に不利な供述をするとは考え難いことに加えて、被告人河村は、平成元年九月初めころ、知人の原幸一郎に「イトマン株を五〇万株買って持ってくれ。二〇〇〇円くらいまで上げたい。」などと依頼したり、平成二年四月に、同年九月に予定していたドル建て新株引受権付社債発行に関するクリーン期間(大蔵省証券局流通市場課による不正な株価構成要因の調査期間)に入り、東海、内外でのイトマン株買付を自粛し始めるや、自ら、関係の深い大正不動産株式会社の専務取締役田中博文に、「イトマン株五〇〇万株を大正不動産名義で持ってくれんか。原価で年内に買い戻す。」などと依願していること、本件起訴にかかる平成元年一二月以降のイトマン株取得は、もっぱら買付のみで売却はなされておらず、それまで行われていた買い付けた自社株のはめ込みによる安定株主工作とは明らかに態様を異にするものであることなどの事実関係に照らしても、右髙柿供述は信用性が高いものと認められる。そして、被告人河村自身、捜査段階においては、「髙柿には、東海、内外の名前を使ってのイトマン株取得については秘密にしておくようにと指示していた。」(1245検面調書)、「ミックを東海、内外とイトマンとの間にかませることによって、イトマンが、そのようなダミー会社を使って派手に株式投資をしていることや自社株取得をしていることをばれないようにできると考えて、ミックを設立し、髙柿を社長にした。」「東海、内外については、非連結会社にしているものの、イトマンの株式部門のダミーであり、自社株取得がばれてはいけないので、社内ではできるだけ知られないようにさせていた。」(1244検面調書)などと供述していたことを併せ考えると、もっぱら髙柿に責任を転嫁する姿勢に終始する被告人河村の公判供述は措信し難い。
右髙柿供述及び捜査段階の被告人河村供述等によれば、被告人河村は、東海及び内外の名義でのイトマン株取得につき、商法四八九条二号の「会社の計算において」なされることを認識認容していたものと認められ、また、前記認定にかかる自己株取得の態様、規模(取得株式の量や投入した金額)等に徴すると、本件は、遅滞なく安定株主にはめ込むことを予定しての自己株取得とは到底認められず、株価操作等の不当な目的を持った違法な自己株取得に当たることは明白であって、もとより、違法性を阻却する事情等も存しない。
第六 被告人伊藤に対する絵画案件
一 被告人伊藤の弁護人は、同被告人の絵画取引に関する関与は、決定権を有しない立場で、加藤の采配に従って事務的取次を行っていたにすぎず、主観面においても、取引価格が法外なものであるなどという認識は全くなく、イトマンに損害を加えることなど予期していなかったこと、イトマンを犠牲にして許の便宜を図る気持ちなどなく、共謀を認める余地はないことから、被告人伊藤は無罪である旨主張する。
そこで、以下、右主張の当否について判断する。
二 関係各証拠によれば、概ね以下の事実が認められる。
1 まず、第一回目の絵画取引に至る経緯について、判示の「犯行に至る経緯等」の内容を敷衍するに、被告人伊藤及び加藤は、平成二年一月末ころから二月上旬にかけ、許の要請に応じ、「花吹雪」及び「花びら」(いずれも屏風絵を各四つに分けて額装したもの)を担保として、融資を行ったものの、絵画の共同事業計画が不成立に終わったことから、同年二月中旬ころ、右各取引や今後の許との絵画取引につき協議した結果、絵画担保の融資では、許グループ企業が倒産すると、他の債権者から担保絵画を差し押さえられるなど、債権の保全上問題を残すので、イトマンが売買により絵画の所有権を取得する必要があることに加えて、購入した絵画の転売により利益の計上もできることなどから、今後は、許から絵画担保の融資の申入れがあってもこれには応じず、許が絵画の売買に応じるなら、イトマンがその代金を支払うとの方針で対応することにした。また、「花吹雪」及び「花びら」を担保にした融資についても、許の同意を取り付けて売買に切り替え、正規に売買契約書を作成して、イトマンが右各絵画の所有権を取得することにした。そこで、被告人伊藤が、許に対し、イトマンとしては、「花吹雪」及び「花びら」の取引についても、これから行う絵画取引についても、売買として取り扱うことにする旨伝えるとともに、「花吹雪」及び「花びら」の取引につき、売買契約書を作成するよう依頼したところ、許は、右申し出を承諾したが、取引を融資から売買に切り替える以上、「花吹雪」の取引について、一四億円の請求に対し一二億円しか振込みを受けていないので、不足分の二億円を支払うよう要求した。そこで、被告人伊藤は、加藤と協議のうえ、同月二〇日、レイの預金口座から関西コミュニティ名義の預金口座に二億円を振込送金し、レイが立替払した「花吹雪」及び「花びら」の代金合計二八億円については、同月二一日、イトマンからレイに返戻された。
同年二月中旬ころ、許は、秘書役の髙山こと髙和彦に指示して、「花吹雪」及び「花びら」の取引について、イトマンと関西コミュニティとの間の売買契約書を作成させ、イトマン大阪本社に届けさせ、右売買契約書は、被告人伊藤の秘書櫛田を介して、加藤、さらに、加藤の部下で名古屋開発本部物資事業部長(同年四月一日からは企画開発名古屋第二部部長)の小西平太郎に渡されたが、小西は、空欄となっていた売買契約書の作成日付について、当該契約書を加藤から受領したころの二月一五日と部下に記入させた後、レイからの立替払が一月三一日になされていることを知った。そこで、小西は、右立替払より前の同月二五日付けで同内容の売買契約書を作成し直し、櫛田を介して許側に渡して押印するよう求めた。しかし、許側がこれに応じなかったため、被告人伊藤が、許に売買契約書に押印しない理由を尋ねたところ、「売買契約書を作るのはいいが、売買だと税金の問題が生じるので、税務上の問題が出たときに備えて、譲渡担保契約書も併せて作ることにしたい。」との申入れを受けた。これに対し、被告人伊藤は、「イトマンとしては裏契約を作るわけにはいかない。税務上の問題が生じたときは、そのときで、対応したらいい。」と答え、許もこれを了承したものの、結局、売買契約書を取り交わすには至らなかった。
2 次に、第一回目の絵画取引(別紙一覧表(二)の番号1の取引。以下、同表記載の絵画等取引については、「番号」欄記載の算用数字で特定する。)の状況について、その詳細を見るに、被告人伊藤は、同年二月二二日ころ、許から、『花明り』と『花の雲』について、「前の加山又造の『花風吹』、『花びら』と同じシリーズのもので、屏風になったままのもの二組だ。これで金銀そろって、大変な値打ちものだ。代金は三五億円だ。すぐに支払ってもらいたい。」旨の申込みを受け、同時に、加山の『月光山嶺』、石本正の『白く咲く』、佐伯祐三の『坂のある道』について、「ほかの三点の請求書を回すので、八億二〇〇〇万円を月末までにどうしても支払ってもらいたい。」との要請を受けた。「花明り」及び「花の雲」は、許グループ企業が、昭和六三年九月に株式会社フジ・インターナショナル・アートから、合計九五〇〇万円で購入し、平成元年三月一五日に引渡を受けたもので、同年五月三〇日に、協和が、許のアイチに対する雅叙園観光関係の債務を肩代りした際、計からアイチへの担保として絵画の提供を受けるに当たり、教育センター東京事務所から協和にファックスで送信されてきた絵画リスト(原本は後記福本玉樹が作成し、西武百貨店塚新店の自己のデスクに保管していたもの)に載っていて、その評価額は各一億八〇〇〇万円と記載されていた。
しかるに、被告人伊藤及び加藤は、許から申し出のあった絵画について真贋鑑定や価格評価をすることなく、適正価格であるかどうかのチェックをすることもなく、直ちに右申し出に応じることにしたが、名古屋支店の資金調達の都合上、「花明り」及び「花の雲」の代金三五億円については、すぐに全額を支払うことは困難であったため、取りあえず一〇億円を支払い、残金二五億円は後日支払うことにし、また、前記八億二〇〇〇万円については、許の要請どおり二月末までに支払うことにし、被告人伊藤が、許にその旨伝えた。
許は、同年二月二三日ころ、髙に指示して、「花明り」及び「花の雲」をイトマン大阪本社に搬入させて納品するとともに、関西コミュニティ名義で右代金三五億円の請求書等三通を作成させ、櫛田に届けさせた。これを受けて、同月二三日、イトマンから、右絵画代金のうち一〇億円が、許の指定する預金口座に振込送金され、残余の二五億円については、四月一〇日になって、振込送金されたが、被告人伊藤は、許に、右二五億円の融通方を申し入れて、その了承を得、右同日、右関西コミュニティの預金口座から協和の預金口座に二五億円の振込送金を受けた。また、同年二月二八日には、「坂のある道」が納入されただけで、「白く咲く」及び「月光山嶺」は未だ納入されていないのに、それらの代金として八億二〇〇〇万円全額が、許指定の預金口座に振込送金された。
3(一) 第二回目から第一〇回目までの絵画取引(番号2から10の取引)の状況も、概ね第一回目と同様であり、被告人伊藤は、別紙一覧表(二)「請求書の年月日」欄記載の年月日ころ、許から、イトマンで同表「絵画類点数」欄記載の点数の絵画等を同表「代金額」欄記載の代金で購入し、すぐに代金を支払ってほしい旨の要請を受けるや、加藤と協議して、許の要請どおりの金額で右各絵画等を購入する旨決定し、代金の支払時期についても、許の要請どおり、できる限り速やかに支払うようにしていたこと、許は、被告人伊藤から、要請どおりの金額で絵画を購入する旨の連絡を受けると、髙に指示して、別紙一覧表(二)「売主」欄記載の会社名義で右同額の請求書を作成させたうえ、イトマン大阪本社の櫛田の下に届けさせ、既に許の手元にある絵画等については請求書と同時に、また、仕入先への支払が済んでおらず、絵画の引渡を受けていない絵画については引渡を受け次第、イトマンに納入させていたこと、そして、イトマンから、許の指定した預金口座に、別紙一覧表(二)「代金の支払い」欄記載のとおりの金額が振込送金されたこと、被告人伊藤は、イトマン名古屋支店の資金調達の都合上、許の望む時期に代金を支払えない場合には、しばしば、許の依頼を受けて、協和から資金を融通し、イトマンから支払われる絵画代金によって、その返済を受けていたことが認められる。
なお、番号3(四月二日付け請求分)の絵画取引については、同年三月末ないし四月初めころ、至急資金が必要となった許が、被告人伊藤に連絡を取ろうとしたものの、連絡が取れなかったため、直接加藤と連絡を取り、絵画六点を二七億円で購入するよう要請し、加藤が了承したものであるが、被告人伊藤も、同年四月二日、櫛田から、右絵画六点がイトマンに納入されたことやその代金額について報告を受けたうえ、同月三日ころ、許と会った際、加藤に直接連絡した経緯を聞くとともに、右絵画代金二七億円を直ちに支払うよう要請されるや、加藤に右要請を伝え、協議のうえ、同月三日に九億円、同月六日に一八億円を支払うこととして、被告人伊藤が許にその旨を伝えた。
(二) イトマンが許側から購入した絵画の保管状況等について見るに、当初は、取りあえず、大阪本社一三階の顧問室に搬入されて保管されていたが、保管管理上問題があるとして、加藤の指示を受けた名古屋営業会計課長谷島博が、大阪市西区にある住友倉庫に保管委託することとし、同年三月二二月、櫛田とともに、その時点までに引渡を受けていた絵画一八点(「花吹雪」及び「花びら」各四点を含む)を同倉庫に搬入し、以後、イトマンが、許グループ企業から購入し引渡を受けた絵画等も、同倉庫に寄託してイトマンにおいて保管料を支払っていた。また、イトマンでは、同月二二日、その時点までにイトマンが関西コミュニティから購入していた絵画二二点(前記一八点及び引渡未了のビュッフェの絵画四点)について、大正海上火災保険株式会社との間で、イトマンを被保険者とする動産総合保険契約を締結し、以後、番号8(六月一日付け請求分)の絵画まで、同様の保険に加入し、その保険料を支払っていたが、その後は、保険料が高額になるため、住友倉庫の保管状況への信頼もあって、加入していなかった。
(三) 被告人伊藤及び加藤は、河村から、絵画について百貨店の鑑定評価書を入手するよう指示されていたので、被告人伊藤は、許に、百貨店の鑑定評価書を提出するよう再三要請していたところ、同年三月下旬ころ、前記絵画二二点につき、西武百貨店塚新店美術部の肩書で福本玉樹の個人印が押された絵画の価格評価書が絵画リストとともに提出された。右価格評価書(作成日付は全部同月二三日)は、表紙や表題もなく、「作者名」「タイトル」「サイズ」「画歴」及び「評価額」がワープロで打たれて、絵画のカラーコピーと一緒にビニールケースに入れられたもので、許が、かねて懇意の西武百貨店塚新店の外商担当課長福本に依頼して作成させたものであった。しかし、被告人伊藤及び加藤は、その体裁や福本個人の価格評価書であったことから、櫛田を介して、許側に、カバーを付けるなどの体裁の整った西武百貨店の鑑定評価書を提出するよう再度求めた。そこで、許は、福本に、西武百貨店名義の鑑定評価書を作成するよう指示し、福本をして、教育センターの大阪事務所として使用されていた大阪ヒルトンホテルの一室で、許がイトマンに売却した絵画につき、鑑定評価書を順次作成させた。右鑑定評価書は、「株式会社西武百貨店塚新店美術部」と記名され、その名下に「株式会社西武百貨店関西」の印が押捺されているもので、あたかも西武百貨店が作成したかのような外観になっており、記載の評価額も、許のイトマンへの売却額を超えるように記載されていた(ただし、三月一九日付け請求にかかるレオナルド藤田の「シャム双生児」の評価額は請求額と同額になっているが、これは、当初の請求書には請求額二四億円しか書かれていなかったところ、鑑定評価書作成後に、イトマン側から、絵画一点ずつの金額を明らかにするよう求められ、右二四億円を各絵画に適当に割り振ったためと推認される。)。被告人伊藤らは、同年四月下旬ころ、許から青色のカバーに入れられた福本作成の西武百貨店塚新店美術部作成名義の鑑定評価書の提出を受けたが、青色カバーの体裁がよくなかったことから、再度、体裁を整えるよう許側に要請し、同年六月ころ、右青色カバーに替えて表紙に金色で「鑑定評価書」と記載された緑色のカバーの提出を受けるに至り、以後その体裁の鑑定評価書の提出を受けるようになった。
(四) 被告人伊藤は、ロートレック・コレクション等の取引を通じて、西武百貨店系列の株式会社ピサの事業本部美術事業部長齋藤剛と面識があったことから、同年四月二日ころ、櫛田に指示して、許側から受領した同日付け請求書の写しを齋藤にファックスで送らせ、番号3の絵画取引にかかる絵画の価格を照会したのを皮切りに、以後、何度か、齋藤に請求書の写しを送付して絵画の価格についての意見を聞いていた。同月一六日、齋藤から初めて回答が返ってきた同月一三日付け請求書にかかる絵画(番号4)の小売価格には、許の請求金額の三分の一あるいは四分の一程度のものもあり、合計一二億六〇〇〇万円から一六億円程度であったうえ、「あくまでも、見ないで値踏みする予想値ですので、物によってはそれ以上値が付くものもあります。」との記載がある一方で、「この小売価格の六〇パーセントから五五パーセントが業者交換会値です。」「現在日本画は値崩れ傾向が出ていて、頭打ちの状態ですので危険感を持って臨んでください。」などとも記載されていたのに、被告人伊藤及び加藤は、許の納入価格の相当性について何ら調査検討することなく、予定どおり請求金額を支払うこととし、イトマンから、許指定の預金口座に、同年五月一日に一〇億円、同月七日に二七億五〇〇〇万円をそれぞれ振込送金させた。また、五月一六日付け請求書にかかるモジリアーニ作の「婦人画」(番号7)については、同月一八日ころ、齋藤から、「カタログレゾネ(チェロニー版)に記載されていません。記載漏れの場合は、将来転売されたり、オークションに出品されるときに問題となったり、オークション出品拒否に会います。」「モジリアニの作品には贋作が多く、チェロニー版レゾネに出ていない場合は、まず避けられることを第一にして下さい。」「この絵は、直感ですが、『何となくモジリアニらしくない』と思います。眼の描き方、首が不自然で全体がアンバランスの様な気がしますが」との回答を得たのに、被告人伊藤及び加藤は、右絵画の真贋等について何ら調査検討することなく、予定どおり、同年六月四日、イトマンから許指定の預金口座に右絵画代金一六億円を振込送金させた。さらに、六月一日付け請求書にかかる絵画(番号8)の価格については、齋藤から、同月二日ころ、「一括して買われる場合、三〇億円前後が適当でしょう。」との回答を受け、同月一二日には、右各絵画の写真を見たうえで、「推薦買取価格は合計二三億円から二五億円」であり、「現在市場(業者)や一般マーケットはやや上昇気味ですが、逸品は上昇し、並品以下は下落と極端に動いています。」「海外物はくれぐれも慎重に。」「写真の範囲では、有本、加山と小磯の『人間の構図』が一級品です。二級品は杉山、他は三級品なので買わない方が良いと思います。買われるならば一級品のピックアップをされたらいかがですか。」などの助言を受けたのに、被告人伊藤及び加藤は、許の納入価格の相当性について何ら調査検討せず、また、購入すべき絵画の選別についても何ら考慮することなく、予定どおり許に代金を支払うことにし、イトマンから許指定の預金口座に同月四日に四五億円、同月一五日に三億五〇〇〇万円をそれぞれ振込送金させた。
(五) 番号9及び10の絵画等取引の状況について見るに、被告人伊藤は、同年六月初めころ、許から、韓国の国宝級で大変な値打ちのあるものとして、額装した「金板経」二点を代金合計三四億円で購入するよう要請され、加藤と協議のうえ、許の要請どおりの金額で右「金板経」二点を購入することにし、同月一五日、イトマンから許指定の預金口座に右売買代金三四億円が振込送金された。次いで、同月中旬ころ、被告人伊藤は、許から、「金板経」一点とビュッフェ作の「ピエロ」、「自画像」及び「ナントの大聖堂」、森本草介作「裸婦」並びに絹谷幸二作「裸婦」の絵画五点を代金合計二六億五〇〇〇万円で購入するよう要請され、加藤と協議のうえ、許の要請どおりの金額で右各絵画等を購入することにし、その旨許に返答した。ところが、被告人伊藤が、櫛田に指示して、右絵画等の価格について齋藤に照会させたところ、同月一八日ころ、「金板経は日本の奈良平安のものは文化財登録で市場評価されています。それでも一点につき二〇〇〇万円から三〇〇〇万円です。コレクターも少なくなり、マーケットも極めて少ないマニアックなものです。韓国ものはコピーも多く、たとえ本物だとしても市場性は全くありません。むしろ取り扱わない方が良いと思います。買っても売るとき市場評価がゼロに近くなるものです。」などとの回答を得た。そこで、被告人伊藤は、加藤と協議し、許に右「金板経」を絵画と差し替えるよう要請していたところ、同年七月二七日ころに至り、許も右「金板経」一点と絵画三点(小磯良平作「着物少女」、佐伯祐三作「白い道」、前田青〓作「蒙古襲来」)との差し替えに応じ、同日、請求書が差し替えられるとともに、右絵画三点が住友倉庫に搬入され、右「金板経」は搬出された。被告人伊藤は、同年六月二五日ころ、齋藤から、当初納入された絵画五点につき、写真を見たうえでの価格に関する回答を受けたところ、その合計額は四億八〇〇〇万から五億五五〇〇万円であり、許の請求金額合計九億五〇〇〇万円と比べて相当低かったのに、被告人伊藤らは、許の納入金額の相当性につき何ら調査検討を加えることなく、許の要請どおりの金額を支払うこととし、「金板経」差し替え前の同年七月二四日に一二億円、差し替え当日の同月二七日に一四億五〇〇〇万円を許指定の預金口座に振込送金させた。なお、被告人伊藤は、加藤と協議のうえ、許に番号9の「金板経」二点についても絵画と差し替えるよう要請したが、結局、差し替えはなされなかった。右「金板経」二点は、許が差し替えに応じた「金板経」一点と併せて合計二億円で入手したものであるが、本件捜査の過程において、奈良国立博物館の関係者らにより、「統一新羅時代から高麗時代にかけての遺品ではなく、近時の制作と考えるのが順当である。」旨の鑑定結果が出されており、市場価値がないことが明らかになった。
4 判示第七の二の絵画取引(七月二六日付け請求分)に至る経緯及び取引状況について見るに、同年六月下旬ころ、その時点までの許との取引額が、「花吹雪」及び「花びら」の取引を含めて三〇〇億円を超えていたこと、許との絵画取引については、売買契約書の作成があいまいなままとなっており、このままでは、監査法人から指摘を受けるおそれもあったことから、被告人伊藤及び加藤は、売買契約書を整備する必要があると判断し、許にその旨申し入れた。許は「分かった」と言っていたものの、結局、売買契約書の作成には応じず、かえって、許グループ企業の経理や決算・申告を担当する田中東治が、同年七月一九日ころ、イトマンと関西コミュニティとの絵画取引が、絵画購入資金のファイナンスを目的とした譲渡担保の趣旨で行われたことを確認する旨の確認書案を被告人伊藤に渡して押印を求め、許も再三にわたり被告人伊藤に押印を求めたが、イトマン側はこれに応じなかった。かかる折りの、同月上旬ころ、被告人伊藤は、許から絵画三七点を代金合計一二三億五〇〇〇万円で購入するよう要請され、売却予定の絵画リストの提供を受けたが、櫛田らを介し、齋藤に右各絵画の価格につき照会したところ、許の請求額を大幅に下回る約三一億から四六億円にすぎなかったこともあって、被告人伊藤は、加藤と協議し、売買契約書の作成を待って右絵画取引に応じることにし、許にその旨伝えた。
ところが、同月下旬ころ、被告人伊藤は、許から、イトマンで絵画二五点を代金六三億円で購入するよう要請され、当時、許の紹介で、イトマンの子会社のエムアイギャラリーがキョートファイナンスから資金を借り入れる話が進んでおり、許の要請を断りにくい情勢にあったことから、加藤と協議のうえ、エムアイギャラリーを取引当事者として、許の要請に応じることにした。そして、同月三〇日、エムアイギャラリーは、キョートファイナンスから、被告人伊藤及び許を連帯保証人とし、イトマンの保証予約で一〇〇億円を借り入れ、同月三一日、その借入金の中から右絵画代金六三億円を許指定の預金口座に振込送金した。なお、被告人伊藤は、許から依頼を受け、同年六月八日に二〇億円、同年七月二六日に九億円を融通していたが、右絵画代金が支払われた同月三一日、許から右二九億円の返済を受けた。
5 番号11の絵画取引状況について見るに、被告人伊藤は、同年八月上旬ころ、許から日本レース株式会社の株式八〇万株を担保とする一〇億円融資の申込みを受けたが、先に、イトマンが日本レースと提携するため、イトマン及びその子会社名義で日本レースの株式合計二五〇万株を富国産業から購入していたことから、加藤と協議のうえ、許から申し出のあった同株式八〇万株についても、イトマンにおいて代金一〇億八〇〇〇万円で購入することとし、イトマン内部の手続が済むまでの間、右一〇億八〇〇〇万円は仮払金として出金することにした。ところが、被告人伊藤が、許にその旨伝えたところ、同株式は売却しないので絵画の売買に切り替えたい旨要請されたため、加藤と協議し、許の要請どおり絵画の売買に切り替えることにした。そして、被告人伊藤及び加藤は、仮払金として出金予定の右一〇億八〇〇〇万円を絵画代金に充てることにし、許にその旨伝えたところ、許は、絵画五点の代金を一七億三〇〇〇万円としたうえで、髙に指示して、富国産業名義の請求書を作成させ、絵画五点とともにイトマン大阪本社に届けさせた。右請求書受領後、被告人伊藤が、櫛田に指示して齋藤に価格照会させたところ、同年八月一四日、櫛田から齋藤の評価額は絵画五点で合計五億九五〇〇万円であるとの報告を受けたにもかかわらず、許の要請どおりの金額を支払うことにしたが、イトマンでは、一〇億八〇〇〇万円を仮払金として出金する準備を進めていたことから、取りあえず、許から請求された絵画代金のうち右金額のみを支払うことにした。
6 番号12の絵画取引に至る経緯及び取引状況について見るに、
(一) 被告人伊藤及び加藤は、同年八月中旬の時点で許との取引総額が四〇〇億円を超えるに至り、許がどこまでイトマンから資金を引き出すつもりか不安を覚えたうえ、このまま許と請求書のみで巨額の絵画売買を続ければ後日その不当性を問題とされるおそれもあったため、取りあえず、あいまいなままになっていた売買契約書の作成をする必要があると考え、同月二三日、イトマン名古屋支店において、許と売買契約書の作成につき協議したが、許が急に絵画の所有権が自己にある旨主張し、また、先に被告人伊藤が齋藤の価格評価回答書を許に見せて、納品価格が高いのではないかなどと指摘したことなどに関して許と被告人伊藤が口論になって、一時気まずい雰囲気となった。そこで、加藤が「取りあえず五〇〇億円の取引枠までは野村会長と絵画の取引をさせてもらいます。」などと言って、その場を取りなし、被告人伊藤も、特に反対の意思を表明することはなかった。なお、加藤がその場を取りなしたのは、このとき、同年九月末の中間決算時に、許が被告人伊藤に提供したプロジェクト(野尻湖案件)で一五億円の企画料を計上することについて、許の承諾を求めており、今後とも、決算対策上の利益計上のため許を利用したいと考えていたこと、許の斡旋により同月末にエムアイギャラリーが東邦生命から融資を受けることが決まっており(同月三〇日に八〇億円の融資実行)、その後も同社やキョートファイナンスから直接融資を受けることを期待していたこと、さらに、イトマンには絵画を販売するノウハウも人材もなく、許から購入した絵画を販売するに際しても同人の助力を得る必要があったことなどから、許との協力関係を維持したいと思ってのことと推認される。
(二) 被告人伊藤は、同年八月二七日ころ、許から、「月末に資金繰りの関係で一五〇億円くらい必要だから、これまで明細を渡していた分を含めて、全部で約一五〇億円の絵画の取引を頼む。」などと要請されたが、許の要請額が約一五〇億円と巨額であったうえ、これに応じれば、五〇〇億円の取引枠も超えてしまうことから、許の要請どおり右絵画を購入することをためらい、加藤に許の要請を伝えるとともに、契約書の整備をするまで契約はしないと言ったらどうですかなどと勧めたものの、許と二人で会うことを避けたまま、事後の処理を加藤に任せ、同月三〇日、日本を出国してハワイに向かった。一方、許は、被告人伊藤が具体的な返事をしないまま、出国してしまったため、直接加藤に右絵画代金を請求することとし、同年九月三日ころ、当時イトマンに出向させていた関西新聞社代表取締役の池〓一寛及び髙をイトマン名古屋支店に赴かせた。そして、許の指示を受けた池〓が、加藤に対し、被告人伊藤との間で同年八月末に代金を支払う約束があったが、同被告人が不在であるため加藤のところに持っていくよう言われたなどと告げ、いずれも同月三一日付けの請求書四通(絵画合計一〇四点、代金合計一四九億七四一〇万円)を手渡した。加藤は、右絵画を許の要請どおりの金額で購入することにしたが、そのころ、イトマンの資金繰りが極度に逼迫していて、一五〇億円近い巨額な現金を準備することは困難であったため、その大部分を約束手形で支払うことにした。しかし、その決済資金を調達できるか否か不安になり、当時、ロンドンに出張していた財務担当副社長の髙柿に電話で打診したうえ、池〓に、現金で一〇億円、約束手形で一三九億七四一〇万円を支払うと返答し、そのころ、許は、池〓から、その旨の連絡を受けて了承した。
そして、右額面の約束手形は、同年九月四日、イトマン大阪本社において、イトマン経理担当者から、池〓及び同人とともにイトマンに出向していた関西コミュニティ代表取締役の佐藤雅光に交付され、その後、髙を介し許に渡された。また、現金一〇億円についても、右同日、イトマンから許指定の関西新聞社文化事業部名義の普通預金口座に振り込まれた。右絵画一〇四点のうち、許が三越百貨店から購入した川端龍子の作品六五点は同百貨店に保管のままであったが、残り三九点の絵画は、同年九月三日、住友倉庫へ搬入され、関西新聞社の名義で寄託されたうえ、翌四日、寄託者がイトマンに変更された。なお、右川端作品について、イトマン名古屋支店の谷島は、三越に対し、イトマンの商品として保管してほしい旨要請し、寄託契約書案を送付して押印を求め、許もこれを承認していたが、許の三越への支払はイトマン振出の前記約束手形でなされ、未決済であったため、三越はイトマンを直接の当事者とする契約書への押印を拒否し、結局、川端作品六五点は、手形決済後の平成三年一月八日に住友倉庫へ搬入された。
(三) 一方、平成二年九月三日に帰国した被告人伊藤は、加藤から許の要請どおり約一五〇億円の絵画を購入することにした旨聞かされたが、何らの対策を取ることもなく、そのまま加藤に代金の支払を委ねた。そして、同月四日か五日ころ、櫛田に指示して、住友倉庫に寄託された前記三九点の絵画の受領書を作成して、髙に交付させた。また、櫛田を介して、名古屋支店から取り寄せさせた請求書の写しに基づき、同月三日ころ、齋藤に対して、川端龍子の作品六五点を除く右各絵画の評価を依頼し、同月五日ころ、その回答を得、さらに、同月六日ころ、再度、右各絵画のポラロイド写真を送付したうえで評価を依頼し、同月一一日ころ、標準小売価格三九億七五〇〇万円との回答を得ていた。ちなみに、許の請求額は右三九点の絵画につき合計一二〇億六〇〇〇万円であった。
7 最後に、本件取引後の状況等について見るに、
(一) まず、同年九月に入ると、加藤は、被告人伊藤に絵画取引を企画監理本部で引き取るよう強く求め、その了解を得たうえ、同月二〇日付けで名古屋支店の在庫を同本部都市開発部に移管したが、同部は兼務の部長がいるだけの形ばかりの部署であり、絵画関係の事務手続や管理は、その後も名古屋支店で行っていた。
被告人伊藤は、同月二〇日すぎころ、髙柿に対し、「売買を融資に切り替えさせてほしい。売買だと相当多額の利益が出て、その利益に対する税金を負担するものがいない。」などと申し入れたが、髙柿は、同月中にイトマンから子会社へ絵画を転売し、名古屋支店が負担していた在庫商品にかかる資金の金利、倉庫料・保険料等の経費を転嫁して名古屋支店の利益を確保することで、既に加藤と打ち合わせ済みであったことなどから被告人伊藤の申入れを断った。すると、被告人伊藤は、同月二九日、イトマン名古屋支店に赴き、加藤や小西に対し、「仕入先が、利益が出すぎて税金問題で困っている。」「これだけマスコミに騒がれたら、もう絵では商売はできない。イトマンが売りに出した絵というだけで買手もつかないだろう。これまでの金利と保管料を取って仕入を取り消し、絵を返すしかない。」などと提案したが、子会社から買い戻してもらうのが一番よいと反対され、加藤から電話で報告を受けた髙柿らからも拒否されたため、結局この日は、イトマンから子会社に転売した後、許側に売り戻すことになり、被告人伊藤が絵画リストにマーカーで色分けして、エムアイギャラリー等三つの子会社への絵画の振分け作業をした。(なお、この点について、被告人伊藤は、本件絵画等取引を合意解約したいと言い出したのは加藤であり、自己は何ら関与していないとして、「九月二九日の一、二日前に、加藤から、譲渡担保の契約書を出すことを条件に、許側が解約に応じてくれたと聞き、解約手続をするので来てくれと言われて、名古屋支店に行ってみたら、加藤は、エムアイギャラリーに売却したものを、エムアイギャラリーから許の方に引き取ってもらえるといいというような話をしていた。」(2343裁面調書5丁)、「九月下旬に加藤が大阪ヒルトンホテルの被告人伊藤の部屋に来たときに、加藤は手形の回収をしたいという話のほか、合意解約したいという話もして、許と連絡を取ってほしいと頼まれた。同月二九日に名古屋支店に行ってみたら、加藤の言う解約というのは、イトマンからすると売り戻す、許側からすると買い戻すという意味だった。このとき、自分は仕入の取消という話をしたわけではなく、譲渡担保契約書を作らずに、売り戻しても問題ないのか、仕入という形を取り消しておかないと向こうに迷惑がかかるんじゃないかという話をした。」(2344裁面調書20丁)などと供述する。しかしながら、この点に関する被告人伊藤の供述は、尋問者が代わるごとに合理的な理由のない変遷を繰り返しているのみならず、内容自体不自然不合理であり、前記認定に沿う髙柿、小西、谷島らの第一二刑事部における各証言に照らしても到底措信し難い。)
ところが、同年一〇月上旬には、本件取引に関する記事が雑誌に掲載されるなどマスコミが同取引を取り上げて報道するようになったため、加藤及び被告人伊藤は、河村と協議のうえ、絵画等の売買契約を解約して、許グループ企業に支払った巨額の資金を回収する方針を固め、同月六日、イトマン名古屋支店で、被告人伊藤が同社の顧問弁護士松本久二に事情を説明し、合意解約書等の作成を依頼した。同月一二日、大阪ヒルトンホテルにおいて、イトマン側は被告人伊藤(途中で退席)及び小西、許側は佐藤及び髙が出席し、合意解約書等の調印が行われたが、松本弁護士らが用意した合意解約書には、関西コミュニティ等許グループ企業側が「平成三年四月末までに清算金及び違約金を支払うことができないときは、本合意解約は当然に失効する」旨のイトマン側に不利な条項が含まれていたので、小西が削除を求めたところ、右条項は、前夜、被告人伊藤が松本弁護士の法律事務所に電話を掛けてきて、挿入させたものであることが判明した。そこで、小西が被告人伊藤と、髙が許と連絡を取り、各々の承諾を取り付けたうえで、これを削除した合意解約書に調印した。その際、合意解約の前提となる日付を遡らせた売買契約書にも押印された。
(二) イトマンでは、平成二年二月下旬、「花吹雪」及び「花びら」の取引につき、仕入としての処理を行い、その後、許グループ企業から購入した本件各絵画については、当初から仕入として経理処理され、同年三月期の決算でも、仕入として処理されていたが、同年九月期の中間決算では、絵画取引にかかる許グループ企業に対する支払は短期貸付金として計上された。これは、絵画売買契約の合意解約後、中間決算の確定作業が行われ、右合意解約については財務諸表に反映されるべき後発事象とされたので、本来なら売買契約を合意解約したことから生じる代金相当分の未収入金として処理されるべきところ、その額が総額五〇〇億円を超える余りに巨額なものであったため、信用不安を来すおそれもあり、また、絵画の購入代金として巨額の約束手形を振り出したため、当時マスコミの注視を浴びていたイトマン側としては、マスコミへの対応もあって、監査法人側の了解も得て、決算上目立たない貸付金勘定で処理したためであった。
他方、関西コミュニティの手形受払帳の平成二年九月五日の欄に、前記イトマン振出手形二一通に関する記載があるが、その摘要欄に「絵画代金として受取」、上段欄外に「絵画代金 伊藤萬より一四九億七四一〇万円の代金として 手形受取分一三九億七四一〇万円 C(キャッシュ)三/梅新文化事業一〇億円」と、いずれも鉛筆書きで記載されているほか、同年一〇月二九日と一一月一日の両日、教育センター東京事務所で、許を始めグループ企業の主要な構成員や顧問弁護士が出席して、協和に対する債権の回収につき協議するための会議が開かれた際、右会議用に田中東治が作成した資料のうち、イトマンとの間の絵画取引で入金になった資金の一部を協和側に貸し付けていたとする部分には、田中の筆跡で「絵画代金の内仮払い七九億円」「関西コミュニティが伊藤萬、MIギャラリーに売却した絵画代金のうち、協和に振込貸付した金員に対する保全四七・九億円」などと記載されていたのみならず、田中は、会議の席上でも、イトマンとの絵画取引について売買である旨発言したが、許を始め他の構成員は、これに対して何ら異議を述べなかった。
三 以上の事実関係に基づき、争点について順次判断する。
1 本件絵画取引の法的性格について
共犯者の許は、絵画を担保とした融資であり売買ではない旨弁解し、被告人伊藤も、特に許の面前においては、「加藤は『譲渡担保の形を作っていきたい。』と言っていた。」(第101回公判59丁)、「自分は『ローンの変形』という認識しかなかった。」(第126回公判89丁)などと許の弁解に沿う供述をしている。
しかしながら、この点に言及した被告人伊藤の供述は、尋問者に応じて合理的な理由のない変遷を繰り返しているうえ、「加藤は、『絵画は短期譲渡の問題もないので、転がすのには土地より便利ですね。』『これからも野村会長の方と絵画取引をしていくことになるから、絵画取引は売買にして、イトマンで絵画を仕入れ、それを野村会長に販売してもらったり、イトマンの子会社にはめ込みをするなりして、絵画で名古屋支店の利益ノルマをこなしていきたい。』と言っていた。」とも供述していて、これらの発言からは、加藤が譲渡担保による融資と考えていたとは受け取れないことなどに鑑みると、到底措信し難く、前記認定のとおり、被告人伊藤及び加藤と許との間で本件絵画の取引を売買とする合意が存したこと、本件絵画取引は、いずれも、許側からイトマンないしエムアイギャラリー(以下「イトマン等」という。)宛の代金請求書が発行されるとともに、取引対象絵画がイトマン大阪本社あるいは寄託先の住友倉庫へ搬入され、これに対して、イトマン等から許側に請求金額どおりの絵画代金が支払われるという形態で行われており、正に売買の取引形態であること、イトマン等における絵画の取扱状況、すなわち、許グループ企業から購入した本件各絵画は「仕入れ」として経理処理されているうえ、イトマン名古屋支店名義で住友倉庫に寄託して保管料を支払い、また、イトマンを被保険者とする動産総合保険に加入してその保険料も支払っており、あるいは、子会社への転売をイトマン側で独自に決定して実行するなど、絵画の所有権を有することを前提とする取扱をしていることのほか、取引関係清算の態様や許グループ企業側の記帳状況等に照らしても、本件取引が絵画の売買であることは明らかであり、かつ、被告人伊藤を含むイトマン側関係者のみならず許側も、当然その旨認識していたものと認められる。
2 本件絵画取引における被告人伊藤の地位について
被告人伊藤の弁護人は、同被告人は、決定権を有する加藤の下で補助ないし取次をするにすぎなかったもので、河村から、許との間の絵画取引の責任者に指名されたことはなかった旨主張し、被告人伊藤及び許も同旨の弁解をしている。
しかしながら、被告人伊藤は、平成二年二月一日付けで理事・企画監理本部長に、同年六月二八日には当初からの予定どおりイトマン(常務)取締役にそれぞれ就任したほか、同月二九日付けでエムアイギャラリーの代表取締役にも就在しているところ、企画監理本部新設に当たりイトマン内部で配布された資料の記載として、都市開発の中のビル運営の多様化と事業多角化の一つとして絵画、骨董品販売を掲げていたことのほか、加藤作成の「既往案件」「新規案件」と題するメモの「新規案件」の中に、「5絵画」として企画開発名古屋第二本部の担当する絵画取引について、企画監理本部では事業開発部が担当する旨の記載がなされていること、事後のことではあるが、同本部都市開発部に業務を引き継ぎ、在庫を移管していることなどに鑑み、そもそも絵画取引は、都市開発事業の一環として、企画監理本部で所管し得る業務であったと認められるばかりでなく、前記認定のとおり、河村は、イトマンで新規に絵画事業を始めるに当たり、それまで絵画を取り扱った経験もなく、その知識を有する者もいなかったことから、絵画取引関係者をよく知っていると思っていた被告人伊藤に、絵画の仕入と販売については責任を持って行うよう指示し、絵画代金の調達等を行う加藤と十分打ち合せて絵画事業を進めるように命じたのであるから、被告人伊藤は絵画事業についてイトマンの委任を受け、特に仕入と販売に関しては、これを管理統括する地位にあったと認められ、取締役に就任する前には、商法四八六条一項所定の「営業ニ関スル或種類若ハ特定ノ事項ノ委任ヲ受ケタル使用人」に当たるというべきである。
なるほど、弁護人が主張するとおり、本件絵画取引の大部分は、まず許から被告人伊藤に購入の要請がなされているものの、被告人伊藤は必ず加藤と協議をしていること、平成二年四月二日付け及び同年八月三一日付け請求書にかかる取引(番号3及び12)は、直接許から加藤に要請がなされて、まず、加藤が要請に応じていることなどが認められるが、支払資金の調達をするのは加藤であったから、被告人伊藤が必ず加藤と協議していたからといって、加藤に決定権があったことにはならないし、右二つの取引については、いずれも被告人伊藤が追認したものと認められるうえ、被告人伊藤と加藤による本件絵画取引の実際を目撃していた者、例えば、秘書室長の小野信一は、「絵画事業については、被告人伊藤が買うと意思決定し、代金の支払業務は名古屋でやるという関係だと理解していた。絵画取引の主導権を握っていたのは被告人伊藤である。加藤は、後どれくらい絵が入ってくるのか不安げに話していたことがあり、仕入を決定していたのは被告人伊藤であって、加藤は支払業務だけと思っていた。売ることについても、加藤はどうなるかなと常々言っていたので、被告人伊藤がすると思っていた。」旨供述し(12部第62回公判50丁)、また、河村も、捜査段階では、一貫して、「絵画事業の責任者は被告人伊藤であり、加藤はその補助者であって、取引の窓口となった名古屋支店で事務方として働く者であった。」旨供述していることなどに徴すると、右例外的な事例を根拠にしての弁護人の主張には与し難い。
なお、番号12の絵画取引について、被告人伊藤が必ずしも積極的でなかったことは認められるものの、前記認定事実によれば、平成二年八月二七日ころ、許から絵画取引の申入れを受け、加藤にも伝えていたところ、同月二三日の会談状況を見ても、加藤一人で許の申入れを拒絶することなどできないことは明白で、そのまま放置しておけば、先の一連の絵画取引に引き続いて今回も取引が行われる可能性が極めて高かったのに、自ら許と対決することを回避し、いわば加藤に責任を押しつけた形で出国したのみならず、同年九月三日に帰国して、加藤から取引に応じたと知らされてからも、同日時点においては、未だ代金支払はなされておらず、住友倉庫に搬入された絵画三九点の寄託者も関西新聞社のままであったから、被告人伊藤としては、加藤を説得し、許に申入れを行って、取引を中止させることも可能であったのに、何の対策も取ることなく、かえって、櫛田に指示して、絵画の受領書を発行させるなどの取引を追認する行動を取っており、犯行阻止に十分な措置を取るなど真摯な努力をしたとは全く認められないのであるから、共同正犯関係からの離脱を認める余地はなく、被告人伊藤も共犯者としての責任を免れない。
3 任務違背及び損害発生の認識について
(一) 被告人伊藤の弁護人は、同被告人及び加藤は、西武百貨店の鑑定評価については何らの疑義も抱かず、一連の絵画取引は、右の適正なる評価額を基準にして、その六掛けないし七掛け程度の金額で取引されているものと考えていたもので、自己らの行為が任務に違背しているとの認識はもちろんのこと、イトマン等に損害を加えるとの認識など全くなかった旨主張する。
ところで、前記のとおり、被告人伊藤は、イトマン企画監理本部長としての所管業務である絵画事業を統括するとともに、社長である河村の特命を受けた同社の絵画取引の責任者として、加藤は、河村から絵画取引の窓口として実務を取り扱うように指名された同社代表取締役名古屋支店長等として、加えて、被告人伊藤及び加藤は、エムアイギャラリーの代表取締役として、イトマン等の利益を図り、同社等に損害を加えることのないようにその職責を忠実に遂行すべき任務を有していたものである。すなわち、当然のことながら、許から商品たる絵画を仕入れるに当たっては、専門家による真贋鑑定や価格評価を行うことはもとより、仕入れ原価をできる限り廉価にするなど仕入れに伴う無用な経費の支出を極力避けて、同社に損害を加えることのないようにすることが求められ、さらに、商品として仕入れた絵画の販売態勢を整え、販売先の目途をつけるなどその事業の見通しを立てるとともに、その販売がスムーズに行われるように作品を購入すべき配慮が求められる。特に、絵画の売買において当然なされるべき真贋の鑑定や価格の評価は、相当の専門的知識と経験がなければできない性質のものであるうえ、その価格は需給関係や経済情勢に影響されて推移するので、価格の動向についても十分な情報を収集する必要があるなど、いやしくも業として絵画の売買を行うに当たっては、絵画の専門家をスタッフとして配置するか、少なくとも専門業者と提携するなどの措置が必要であったというべきである。すなわち、絵画についても、ある時期をとらえれば、一定の価格が存在するのであって、専門業者の交換会を中心とする、その時の市場によって形成される百貨店又は画廊等の小売価格がそれであるが、素人にも簡単に分かるというたぐいのものではないから、個人が趣味として収集するのであれば格別、商品として大量に仕入れる以上、少なくとも専門家に直ちに問い合わせることが可能な態勢を取ることが不可欠であったといわなければならず、この理は、バブル経済下で絵画価格が上昇していた当時の経済情勢を考慮に入れても、何ら変わるところはない。
しかるに、被告人伊藤及び加藤は、前記認定のとおり、絵画の専門業者でも小売業者でもなく、一収集家にすぎない許から高価な絵画を多量かつ継続的に仕入れるに当たり、その入手先や入手経路等の十分な情報収集等をすることなく、絵画の知識、経験を有する担当者も置かず、また、事業としての採算性を全く検討しないまま、約六か月間にわたり、二一一点もの多量の絵画等を巨費を投じて仕入れていたもので、しかも、被告人伊藤らは、前記認定のとおり、許から絵画代金の請求書を受領するや、その絵画の真贋や価格について専門家の意見を徴することなく、また、許と価格について減額交渉をするでもなく、許の請求金額どおりの代金の支払を直ちに決定するとともに、取引対象である絵画の作者や画題、来歴等への考慮あるいは保存状態等の確認もせずに、許が一方的に選別してきた絵画をそのまま購入しており、さらに、前記認定のとおり、被告人伊藤らは、許に対する代金の支払についても、名古屋支店の資金調達が可能な限り、許の要請に応じて極めて短時間のうちにその支払をなし、意図的といえるほどに許の資金的便宜を図っていたことが認められるのであって、被告人らは、かかる異常な形態、方法で絵画売買を行うことが被告人らの任務に違背するものであることを、当然認識していたものと推認できる。
(二) 被告人伊藤らは、西武百貨店の鑑定評価書によって、許の請求額が高額でないと認識した旨弁解するが、前記認定のとおり、そもそも、右鑑定評価書は、売買取引終了後にイトマン側に提出されたもので、取引後に作成されたものもあるうえ、被告人伊藤及び加藤が、許との間で絵画の売買取引をする際の代金額の決定資料としては一切使用されず、見た目のもっともらしさにのみ着目して作り替えさせたその作成経緯や常に代金額より相当程度高い評価額が記載されていたことから見ても、イトマン内部における監査法人対策用にいわば形だけ必要だったものといわざるを得ない。加えて、被告人伊藤は、平成元年五月ころ入手した絵画リストにより、許がイトマンに相当高い金額で絵画を売りつけようとしていることを認識し得たばかりでなく(右リストには一七六点の絵画が載っており、平成二年二月二二日ころ許から申し出のあった絵画と平成元年五月に受領した右リストの記載とを直ちに結びつけることは困難かもしれないが、右リストの欄外には、アイチの森下が値踏みしたと推認される数字が記載されており、しかも、いずれも許側の評価額の六分の一ないし七分の一といった低い数値になっていること、被告人伊藤は、「花吹雪」及び「花びら」の売買契約書作成にかかるやり取りの中で、許が税金対策に気を回さなければならないほど相当多額の売買差益を取得したことを知ったことなどからすれば、許がその購入価格に相当多額の利益を上乗せした価格でイトマンに絵画を売り込もうとしていることは、十分認識し得たものと認められる。)、本件絵画取引に至る経緯や許が売却益に課税されることをおそれていたことなどからも、同人が自己の資金需要に応じ、必要な資金を絵画代金として請求してきているのであって、仕入価格に相当多額の利益を上乗せした金額を請求してきていることを十分認識していたと認められること、前記認定のとおり、許から申し出のあった絵画につき、齋藤に価格を照会し、番号4の絵画取引以降、許の請求額よりかなり低い金額の回答を得ていたところ、齋藤の評価は、売買の対象とされた絵画を直接見ていないことから一定の限界があったことは否めないものの、同人は、西武百貨店や系列の美術商で約二〇年間にわたり絵画の仕入や販売に携わってきたもので、長年の知識や経験に加えて、自ら収集した情報に基づく判断は、許から絵画を購入する際、価格について交渉するための有用な資料であったと認められるのに、被告人伊藤及び加藤は、具体的な値切り交渉はしておらず、許の言い値のまま購入を続けていたこと、仮に齋藤の価格評価を全面的に信用していなかったとしても、許の請求金額と余りに大きな違いがあるのに、他の専門業者に確認することすら一度もしていないことなどに鑑みると、被告人伊藤及び加藤は、許が高額な利益を上乗せしてイトマンに絵画を売りつけていることを認識しながら、その資金需要に応じるため、本件一連の絵画取引を行ったものと認定するほかなく、自己らの任務に違背し、イトマン等に損害を加えることを認識していたことは明らかというべきである。
他方、許永中は、本件絵画取引をイトマン側から巨額の資金を引き出すための手段として使っていたと認められ、イトマンに絵画を売却した資金によって、絵画を次々に購入し、それをまた同社等に多額な利益を上乗せして売却していたのであって、同人は、少なくともイトマン等にその差額分等相当巨額の損害を与えていることは当然に認識していたものであり、また、前記異常な取引形態等からして、被告人伊藤と加藤がその任務に背いて自己に資金的便宜を図ってくれていることを十分認識していたものと認められる。
4 図利加害目的及び共謀について
被告人伊藤の弁護人は、同被告人は、許永中及び加藤と共謀した事実はなく、また、図利加害の目的もなかった旨主張し、被告人伊藤及び許も同旨の弁解をしている。しかしなら、前記認定のとおり、被告人伊藤と許は、平成元年一月ころ、雅叙園観光の経営権をめぐって面識を得た後、互いに資金を融通し合う密接な間柄となり、本件犯行による資金が入金されることを当てにして、被告人伊藤が許に短期間資金を融通することなどを繰り返していたもので、しかも、両者間には、金銭消費貸借契約書の作成もなく、金利等の定めも担保の提供もなく、互いに巨額の資金を融通し合っていたことからすると、被告人伊藤は、許の資金が潤沢になれば自己の資金需要を満たすことが可能となり、逆に許の資金事情が逼迫すれば、被告人伊藤自身の資金繰りにも大きな影響を及ぼすことから、イトマンが許から多額の利益を上乗せした価格で絵画を購入することは、許の利益を図ることであるとともに、自己の利益を図ることでもあり、その反面、イトマン等に損害を加えることを認識認容しながら、本件各絵画取引を行ったものと認めることができる。
また、加藤についても、許との間で絵画取引を行うことによって、同人から提供を受けるプロジェクトによりこれまでと同様、今後も多額の決算対策用の利益を計上できることや、同人の仲介により、キョートファイナンスや東邦生命等から巨額の資金を調達できるとの思惑などもあって、許の利益を図り、その反面、イトマン等に損害を加えることを認識認容しながら、本件各絵画取引を行ったものと認めることができる。
そして、前述したとおり、被告人伊藤と加藤は、許から要請された本件各絵画の取引について、その売買代金が通常の小売価格より相当高額であり、請求どおりの金額で購入すればイトマン等に損害を加えることになることを認識しながら、許の資金調達の便宜を図るため、専門家による真贋鑑定や価格評価をしなかったばかりか、価格についての交渉すらせず、許の要請どおりの金額で購入し、直ちにその代金を支払ったものであり、他方、許も、被告人伊藤らが自己の意図を察しながら、前記思惑から、請求どおりの金額で絵画を購入してくれるものと考え、同被告人らに対して異常に高い価格で絵画の売買を申し入れ、その承諾を得たものであって、被告人伊藤、加藤及び許の間に本件犯行の共謀が存したことは明らかである。
5 損害額について
(一) 検察官は、専門業者の交換会を中心とする、その時の市場によって形成される百貨店又は画廊等専門業者の小売価格、すなわち「通常小売店頭表示価格」(以下、単に「通常小売価格」という。)とイトマン側の支払価格との差額をもって損害額と認定すべきである旨主張するとともに、通常小売価格の具体的な認定方法としては、許グループ企業の仕入時期と仕入先の組み合わせにより、(1)絵画価格が概ねピークにあったと認められる平成二年一月以降に専門業者から仕入れた絵画は、その「仕入価格」、(2)平成元年中に専門業者から仕入れた絵画は、「専門家による価格評価」と比較し、仕入価格と同程度の評価又はそれ以下の評価がある場合は「仕入価格」、仕入価格が専門家の評価よりも相当低いときは「専門家による価格評価」、(3)昭和六三年一二月以前に専門業者から仕入れた絵画と時期にかかわらず個人ないしブローカーから仕入れた絵画は、「専門家による価格評価」によるものとし、かつ、「専門家による価格評価」について、本件においては、鑑定人澤野芳男(伏見画廊)の「澤野評価(平成二年七月時点における店頭小売価格)」、中宮時男(中宮画廊)の「中宮評価(同月時点における百貨店の店頭表示価格)」、洋画につき日下部裕(梅田画廊)の「梅田評価(同月時点における交換会価格で評価しているので、別表では二倍して百貨店の小売価格に換算)」、洋画につき長谷川徳七(日動画廊)の「長谷川評価(同月時点における画廊の店頭表示価格で評価しているので、別表では一・三倍して百貨店の小売価格に換算)」、加山又造作品につき富塚茂雄(村越画廊)の「富塚評価(同月時点における交換会価格で評価しているので、別表では一・五倍して百貨店の小売価格に換算)」、積田政宏(ギャラリーT)の「積田評価(同月時点における百貨店の店頭表示価格)」が存在するが、まず、積田は、自己の思い入れの強い絵画については高額な価格と評価し、逆の場合は低額な価格と評価する傾向が認められ、商品として多量に仕入れる場合の絵画の価格の認定証拠としては必ずしも適切でなく、また、捜査段階で価格評価の根拠として供述していた絵画の評価が西武百貨店の実際の店頭表示価格と異なるなど、その信用性に疑問を残す評価もあるとして、積田評価は全部除外し、他方、許の専門業者からの仕入価格を加え、極端に高額な評価や低額な評価は除き、複数の比較的近い価格のうち最も高額な価格(別表の「検察官認定」欄)をもって、その絵画の当時の通常小売価格(百貨店の店頭表示価格)を示していると認定するのが合理的である旨主張する。そして、各請求日ごとに、通常小売価格を合算して百万円以下を切り上げ、イトマン側の支払価格との差額を算出したうえ、百万円以下を切り捨た金額をもって損害額とし、以上によれば、イトマンに対し合計約二九七億四〇〇〇万円、エムアイギャラリーに対し約四五億七〇〇〇万円の損害を加えた旨主張する。
(二) そこで検討するに、前記のとおり、ある時期をとらえれば、絵画にも一定の価格が存在するのであって、専門業者の交換会を中心とする、その時の市場によって形成される百貨店又は画廊等専門業者の小売価格が右価格であると認められるところ、イトマンは、将来絵画売買等を事業として行うために、許から絵画を多量に購入していたのであるから、その損害額を算定するに当たっては、右小売価格を基準とすることが相当であり、したがって、検察官の主張のうち、通常小売価格とイトマン側の支払価格との差額をもって損害額と認定すべきであるとの点は、正当である。しかしながら、通常小売価格の具体的認定方法に関する検察官の主張は、一見精緻ではあるが、余りにも技巧的といわざるを得ず、許が平成元年中に専門業者から仕入れた絵画について、価格が低めに認定される傾向があること、平成二年一月以降に専門業者から仕入れた絵画についても、当時、絵画価格が非常に大きく変動していたことからすれば、一律に仕入価格をもって通常小売価格と認定するには疑問が残ることなどに鑑みると、仕入時期及び仕入先にかかわりなく、全部について、専門家による評価価格及び許の専門業者からの仕入価格を比較対照すべきである。また、積田が、まず、自分であればこの値段で落札するという交換会価格を考えて、その二倍の金額をもって百貨店における小売価格としており、このため、評価額が比較的高めあるいは低めに出ていることは、検祭官指摘のとおりであるが、いかに専門家とはいえ、絵画の評価にある程度の幅があることはやむを得ない面もあり、積田が経験豊富な画商であり、自ら東曄会という交換会も主催していることを考慮すれば、明らかに根拠を誤ったと思われる平山郁夫の「法隆寺の月夜」(平成二年三月三日に東曄会で一億三〇〇〇万円で落札されたのは、同じ平山郁夫でも別の絵画と認められる。)はともかくとして、積田評価を完全に排除してしまうことは相当でない。さらに、ある専門家の価格評価が、果たして極端に高額あるいは低額であるのか、相当な価格帯に含まれているのかの判定は、一見して明白とまではいえず、恣意的な取捨選択がなされるおそれを完全に否定することはできないから、結局、本件では、積田評価を含む専門家による評価価格と許の専門業者からの仕入価格を対比し(ただし、平山郁夫の「法隆寺の月夜」につき、積田評価を除く)、最も高い価格(別表の「最高価格」欄)をその絵画の価値の上限と見て、各請求日ごとに合算して百万円以下を切り上げ、イトマン側への納入価格との差額を算出したうえ、百万円以下を切り捨てた金額をもって、少なくとも同額の損害をイトマン側に与えたものと認定するのが相当である。
そうすると、別表「認定損害額」欄記載のとおり、イトマンに対し、合計約二二四億三〇〇〇万円、エムアイギャラリーに対し 約四〇億四〇〇〇万円の損害を加えたものと認められる。
第七 被告人伊藤に対する府民信組案件
一 被告人伊藤の弁護人は、本件は、南野が、雅叙園観光の倒産を防止し、府民信組の経営危機を回避するべく、資金提供してゆくことを決断し、そのための便法として協和の名義を利用してこれを借主とする形を取りながら、資金提供を実行していった事案であって、被告人伊藤としては、本件各融資が南野の任務違背によって行われるものとの認識は全く抱くことがないまま、南野の要請に応じて手形を貸し、乱発手形の処理に協和名義を利用させていたというにすぎず、共謀共同正犯はもとより幇助犯としての刑事責任も問われるべき筋合いはない旨主張するとともに、本件貸出金は、雅叙園観光の債務弁済により解放された担保株式等により回収可能であった旨の主張もする。
そこで、以下、右主張の当否について判断する。
二1 なるほど、関係各証拠によれば、南野は、かねてその経営する新千里ビルを一部上場企業にしたいとの願望を抱いており、昭和六三年一二月ころには、同社を雅叙園観光と合併させれば、一部上場企業にすることができるし、東京都目黒区所在の雅叙園観光ホテル敷地の払下げを受けて再開発すれば多額の利益が見込めるなどとして、雅叙園観光を経営することに意欲を示し、府民信組や新千里ビル等の関係者にもその旨話していたこと、同月中旬ころには、自ら右ホテルを視察して立地条件等を確認するとともに、腹心の部下である山田に指示して乱発手形の調査に当たらせ、併せて同社の代表者印や銀行取引印等を持ち帰るよう指示していたこと、平成元年一月上旬、被告人伊藤から内容証明郵便が送付されてきたこと等を契機として、許に代わり、今後は協和が雅叙園観光の乱発手形の処理をするよう話を持ちかけたのは、南野の方であること、手形割引の方式を取り、いくつかのルートを使い分けたのは、もっぱら府民信組側の事情によるものであり、手形の振出及び差入れについて、協和側は府民信組側の指示に従っていただけであること、府民信組本店の協和の普通預金口座は、あらかじめ白紙の預金払出票に押印させたものを徴求するなどして、府民信組側で管理していたばかりでなく、本件貸出実行当初は、右口座から直接三井銀行目黒支店等の雅叙園観光の口座に、手形決済資金が振込送金されていたこと、南野は被告人伊藤に、府民信組で割り引く協和ないし関連会社振出の約束手形は、取立てに回さない旨約束しており、現に、支払期日が到来すると、手形の差し替えが行われていたことなど、弁護人の主張に沿うかのごとき事実が認められないわけではない。
2 しかしながら、他方で、被告人伊藤は、平成元年二月一〇日ころ、本件貸出金の一部を協和の資金繰りに使いたい旨申し入れ、南野の了承を取り付けたうえ、大信ファイナンス経由で三〇億円の貸出枠を設定してもらい、同月一五日には、大和銀行八重洲口支店の協和の口座に五億円を振込送金してもらったこと(別紙一覧表(三)番号5の貸出)、本件貸出金のうち右五億円を含む二二億円余りは協和の資金繰りに使われており、逆に、本件貸出期間中に、協和が他から借り入れて雅叙園観光の手形決済資金に充てたものもあったこと、被告人伊藤は、同年二月下旬ころ、南野に、雅叙園観光振出手形が突然取立てに回されて決済が間に合わないときがあるから、ある程度まとまった資金を協和の右口座に入金しておいてほしい旨依頼し、これについても同人の了承を得て、同月二七日ころ以降の貸出金は、二、三の例外を除き、府民信組本店から大和銀行八重洲口支店の協和の口座に振込送金され、そこから雅叙園観光の口座に送金されるようになったこと、そのころから、協和の経理課長である畠山仁が、雅叙園観光の財務部次長鈴木孝治から月次の支払予定表を受け取って被告人伊藤にも渡し、その指示を受けて、雅叙園観光の口座に手形決済資金を送金していたこと、協和から雅叙園観光に対しては、乱発手形の決済資金以外に本来の運転資金も送金されており、雅叙園観光側では、これをら協和からの借入金として経理処理していたこと、雅叙園観光の代表者印、銀行取引印及び小切手帳は、平成元年二月ころから、東京都中央区八重洲二丁目の協和の事務所で保管されており、雅叙園観光で小切手を振り出す場合には、右鈴木が明細を持参して畠山に見せ、小切手用紙と銀行取引印等を借りて、畠山の前で作成していたこと、手形用紙についても、あらかじめ被告人伊藤から銀行に連絡を入れてもらわなければ、雅叙園観光側に交付されず、この状態は、同年五月二五日の株主総会で、協和の取締役会長で被告人伊藤と親しい関係にある山本満雄及びその知人が雅叙園観光の取締役に選任されるまで継続したこと、これに対して、南野の関係者は雅叙園観光の役員に一切就任していないこと、同年五月ころ、南野、許及び被告人伊藤が、雅叙園観光と株式持合関係にあった日本ドリーム観光の近藤専務に会って、協力を依頼した際、近藤から、被告人伊藤が雅叙園観光を経営するというのであれば、日本ドリーム観光の子会社ドリーム開発株式会社所有の雅叙園観光株式三〇〇万株を時価で買い取ってほしい旨の申入れを受けてこれを承諾し、協和で代金二七億円を支払ったこと、山本は、雅叙園観光の社長就任後、被告人伊藤の意向を酌んで、雅叙園観光ホテルの土地建物の貸主である細川一族と和解し、敷地の大部分を占める国有地の払下げを受けられるよう方策を練っていたことなどの事実も認められ、これらの事実関係に照らすと、協和すなわち被告人伊藤が、南野から府民信組の資金の提供を受けて、雅叙園観光を実質的に経営していたものというべく、協和は単に南野に手形を貸しただけの名義上の借主にとどまるものでないことは明らかというべきである。
3 そして、被告人伊藤は、捜査段階においては、「諦めていた池田に対する債権のうち一〇〇億円も返ってくるばかりでなく、南野はホテル経営については素人だから、実質的には自分が雅叙園観光ホテルを経営していくことになり得ること、再開発利益があり、冠婚葬祭事業とタイアップすることにより、自分の事業を発展させることができること、表面的な経営者とはいえ、一部上場企業の経営者になることは、対外的にも自分の評価が上がることなど雅叙園観光を経営すること自体にも魅力を感じて、南野や許の申入れを承諾し、府民信組から多額の金を借り入れて雅叙園観光の乱発手形等の処理をするようになった。」旨明確に供述していたところ(1286、1287検面調書)、前記認定事実に加えて、被告人伊藤は、平成元年一月中旬か下旬ころ、山本に雅叙園観光の社長に就任するよう要請した際、「府民信組の南野理事長から雅叙園観光の建て直しに協力してほしいと言われている。雅叙園観光を建て直せば、池田に貸した金の半分は回収できる。雅叙園観光を建て直して経営してみたい。再開発に成功すれば大きな利益が出る。協和は結婚式場も経営しているし、雅叙園観光と業務提携したら双方にとってプラスになる。」などと言って説得したことに鑑みても、被告人伊藤の右供述は十分首肯できる内容であって、その信用性は高いものと認められる。
そうすると、被告人伊藤は、南野から、雅叙園観光の乱発手形の決済資金は府民信組から出すとして、その経営を依頼されるや、自己及び協和の利益にもなるとの考えの下に、積極的に右申入れを承諾し、府民信組には形ばかりの担保を差し入れただけで、商取引の裏付けのない金融手形の割引により多額の融資を受けたのであるから、南野の任務違背を認識しつつ、協和及び南野の利益を図る目的をもって、本件犯行に及んだものと認めることができる。
三1 次に、本件貸出金は十分回収可能であった旨の弁護人の主張について順次検討するに、まず、弁護人は、大信ファイナンス、大信リースを介してなされた融資のうち、一部上場会社の株式が担保として入れられていたものがあり、右株式の処分によってその回収は可能であった旨主張するところ、別紙一覧表(三)番号5及び7の貸付にかかる府民信組の禀議書には、担保有価証券として「日貿信二万五〇〇〇株、オーミケンシ一〇万株、京都銀行五二万五〇〇〇株」との記載が、同表番号31の貸付にかかる禀議書には、協和が差し入れた相武カントリークラブの株券及び預託金証書のほかに「持田製薬七万株」との記載がある。しかしながら、右各株式は、府民信組が大信ファイナンスないし大信リースを介して協和以外の貸出先に融資を行うに際し、その貸出先から担保として徴求していたもので、形式的には、大信ファイナンスないし大信リースが府民信組に差し入れた担保有価証券に当たるため、貸出禀議書に記載されていたにすぎず、大信ファイナンスないし大信リースが、法令や定款上、府民信組から直接貸出を行うことができない相手に対して貸出を行うに際し、その窓口として使っていたダミー会社であったことに鑑みると、右株式を協和に対する本件貸出金の担保として評価することはできない。
2 また、弁護人は、本件貸出と同時期に、株式会社大信リサーチないし株式会社東邦産商を経由して協和になされた貸出については、平河町のマンションないし物産セパック株式会社の物件が担保とされているところ、右貸出金合計三二億六六〇〇万円について起訴されていないのは、右担保物件に十分な担保価値が認められたからと思われ、仮に、本件貸出金が右ルートを経由して行われていれば、被告人伊藤は背任罪に問われることはなかったはずである旨主張する。しかしながら、右担保物件は、いずれも、府民信組の貸出金により、雅叙園観光の簿外債務を回収した債権者から、根抵当権等の譲渡を受けたものであるから、本件貸出金を右ルートを経由して行うことなどできず、弁護人の主張は、前提を欠くものである。
3 さらに、弁護人は、本件貸出金の使途先には、担保株式が入れられていたから、貸出実行後、雅叙園観光の債務弁済により解放された担保株式で回収可能であった旨の主張もする。しかしながら、本件貸出金により雅叙園観光の簿外債務を返済した先には、株式等の担保は提供されていないか、提供されていたとしても、本件貸出金により返済されたのは、債務のうち利息等一部にすぎず、債務を返済することによって府民信組側が担保株式を取得した事実は認められない。すなわち、第一相互銀行に対する債務は、平成元年六月二七日ころ返済され、担保として差し入れられていたタクマ一〇〇万株、金門製作所一〇〇万株を山田が受領しているが、右は、本件貸出とは別に、府民信組が雅叙園観光から代金二二億円で右各株式を購入することとし、その代金で雅叙園観光が第一相互銀行に債務を返済したものであり、東京佐川急便に対する債務四〇億円も、本件犯行後の平成元年一二月二〇日ころ、許永中側でキョートファイナンスから一二〇億円を借り入れて返済したもので、担保に差し入れられていた雅叙園観光一〇〇万株、新井組七〇万株及び四国銀行五〇万株も許側で受領したことが認められ、本件貸出金が使用されたものではないから、本件とは直接関係がない。また、松本祐商事に対する債務についても、南野が本件貸出金とは別に、元金五〇億円を弁済したものであり、丸益産業については、本件犯行後の平成二年四月二五日にも元金一二〇億円に対する金利二三五万円を支払っており、本件貸出金により返済されたものではなく、本件とは直接関係がないことが明らかであるから、いずれにしても弁護人の主張には理由がない。
四 なお、検察官は、手形金額合計二七〇億九七三五万五七二七円をもって府民信組の損害額である旨主張するが、府民信組側では、年八パーセント程度の割引料等を控除した金額を協和側に送金しており、現実に貸し出されたのは、別紙一覧表(三)の貸出(送金)金額欄の合計二六七億一七四五万〇六九四円であるから、右金額をもって、府民信組の損害額と認めるのが相当である。
第八 被告人伊藤に対する偽造案件
一 被告人伊藤の弁護人は、判示第九の一(株券偽造、同行使)の事実について、本件で同被告人が偽の株券を作成することについては、イトマン名古屋支店長で名古屋伊藤萬不動産の代表取締役社長でもあった加藤が承知していたことであり、かつ、それら株券は、少なくとも、イトマン内部において、加藤よりも上位者に回付されることは想定されていなかったから、被告人伊藤には、行使の目的に該当する認識はなかったというべきである旨主張し、被告人伊藤も、公判廷においては、「一一〇億円融資の担保としては、関ゴルフ場用地に根抵当権を設定することで、相武の株券を差し入れる話は一旦取りやめになったが、間違って相武の全株式四万株を買収する旨の禀議文書を上げて決裁を得た加藤から、平成元年八月末ころ、『相武の株券を一応預からせてもらいたい。譲渡承認も受けていないから表には出ない。』旨言われ、加藤の手元に置いておくという意味に理解して、加藤の顔を立てるつもりで株券を作成したものである。」旨供述する(第163回公判21丁)。
しかしながら、加藤が、禀議書の記載誤りをごまかそうとしていたというのであれば、むしろ、イトマン本社の管理部門や決裁権者に本件株券を見せることが想定されていたというべきであるし、そもそも、相武カントリー倶楽部買収資金として一一〇億円を融資するに当たり、取得済みの株券を預かりたいとの申し出が、債権保全の趣旨であることは容易に認識し得るところであって、加藤が手元に置いておくだけだと思った旨の被告人伊藤の公判供述は、内容自体不自然で疑わしいばかりでなく、第94回公判調書中の中村証人の供述部分によれば、加藤は、本件株券を受け取るに当たり、部下の中村に指示して、株券の現物と明細表を入念に照合させていること、その後、保管場所が名古屋支店から東京本社法務部に移されることになった際にも、加藤に特段あわてた様子はなく、銀行の貸金庫に保管されることになるから安心できる旨言っていたことなどに照らしても、加藤が未必的にせよ偽造株券と知って交付を受けたとは認め難く、被告人伊藤に、本件偽造株券につき行使の目的があったことは明らかである。
二 弁護人は、判示第九の二(有印私文書偽造、同行使)の事実について、加藤が事情を承知していたから、その部下である中村は独立した行使の対象とは評価し得ない旨主張するところ、本件買付証明書は、イトマンが名古屋伊藤萬不動産を介して雅叙園観光に融資するに当たり、その写しを入手して審査し、限度決裁書ファイルに編綴して保管することが予定されていたのであるから、仮に加藤自身は偽造文書であることを知っていたとしても、名古屋伊藤萬不動産総務部長の中村が、写しを作成するために提示を受けた時点で、イトマンの審査担当者らの閲覧し得べき状態に置いたものとして、既に文書に対する公共の信用性を害するおそれが発生しており、同人が行使の相手方に当たることは明らかである。
(法令の適用)
被告人両名の判示第二ないし第四の各所為は、いずれも平成七年法律第九一号による改正前の刑法六〇条(第三の許、第四の崔との各共謀につき、更に同法六五条一項)、平成二年法律第六四号による改正前の商法四八六条一項に、被告人河村の判示第五の所為は、包括して平成七年法律第九一号による改正前の刑法二五三条に、被告人河村の判示第六の所為は、行為時においては、包括して同法六〇条、平成九年法律第一〇七号による改正前の商法四八九条二号に、裁判時においては、平成七年法律第九一号による改正後の刑法六〇条、平成九年法律第一〇七号による改正後の商法四八九条二号に該当するが、右は犯罪後の法令により刑の変更があったときに当たるから、平成七年法律第九一号による改正後の刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、被告人伊藤の判示第七の一及び二の各所為は、いずれも(第七の一については包括して)平成七年法律第九一号による改正前の刑法六〇条(許との共謀につき、更に同法六五条一項)、平成二年法律第六四号による改正前の商法四八六条一項に、被告人伊藤の判示第八の所為は、行為時においては、包括して平成七年法律第九一号による改正前の刑法六五条一項、六〇条、平成三年法律第三一号による改正前の刑法二四七条、同改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号に、裁判時においては、平成七年法律第九一号による改正後の刑法六五条一項、六〇条、二四七条に該当するが、右は犯罪後の法令により刑の変更があったときに当たるから、同法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、被告人伊藤の判示第九の一の各所為のうち、各有価証券偽造の点は平成七年法律第九一号による改正前の刑法六〇条、一六二条一項に、各偽造有価証券行使の点は同法六〇条、一六三条一項に、判示第九の二の所為のうち、有印私文書偽造の点は同法一五九条一項に、偽造有印私文書行使の点は同法一六一条一項、一五九条一項に、それぞれ該当するところ、判示第九の一の偽造有価証券の一括行使は、一個の行為が三九個の罪名に触れる場合であり、有価証券の各偽造とその各行使との間にはそれぞれ手段結果の関係があるので、平成七年法律第九一号による改正前の刑法五四条一項前段、後段、一〇条により結局以上を一罪として犯情の最も重い別紙一覧表(四)番号27の偽造有価証券行使罪の刑で処断し、判示第九の二の有印私文書偽造とその行使との間には手段結果の関係があるので、同法五四条一項後段、一〇条により一罪として犯情の重い偽造有印私文書行使罪の刑で処断することとし、判示第二ないし第四、第六ないし第八の各罪について、各所定刑中いずれも懲役刑を選択し、被告人河村について判示第二ないし第六の罪、被告人伊藤について判示第二ないし第四及び第七の一ないし第九の二の罪はいずれも同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により、被告人河村につき最も重い判示第五の罪の刑、被告人伊藤につき最も重い判示第九の一の罪の刑にそれぞれ法定の加重をした刑期の範囲内で、被告人河村を懲役七年に、被告人伊藤を懲役一〇年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中各一八〇日をそれぞれその刑に算入し、被告人伊藤から押収してある買付証明書一通(平成四年押第五二号の213)の偽造部分は、判示第九の二の偽造有印私文書行使の犯罪行為を組成した物で、何人の所有をも許さないものであるから、同法一九条一項一号、二項本文を適用してこれを没収し、訴訟費用のうち別紙訴訟費用負担一覧表記載の一の分は、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条により被告人両名に連帯して負担させ、同法一八一条一項本文により、同記載二の分は被告人河村に、同記載三の分は被告人伊藤に負担させることとする。
(量刑の理由)
一 本件は、被告人両名の瑞浪、さつま、アルカディアの各案件の特別背任事件、被告人河村の業務上横領及び自己株取得事件、被告人伊藤の絵画案件の特別背任事件、府民信組案件の背任事件、有価証券偽造、同行使及び有印私文書偽造、同行使事件から構成されているところ、右のうち特別背任事件は、いずれも、一部上場の中堅商社であったイトマンを舞台に敢行され、被告人河村及び被告人伊藤らがその任務に背き巨額の会社資金を流出させ、許永中らが自己の必要資金を引き出したとして、巷間イトマン事件と称され社会の耳目を集めた事件であるが、犯行の動機、規模、損害額、社会に与えた影響等のいずれの点から見ても、この種事案としては他に類を見ないほど重大かつ悪質な事件である。
このうち、瑞浪案件は、イトマンから被告人伊藤が代表取締役である瑞浪ウイングに二三四億円という巨額の不正貸付をしたというものであり、また、さつま案件は、イトマンから許が実質的経営者であるさつま観光に二〇〇億円というこれまた巨額の不正貸付をしたというものであるが、その経緯等は、いずれも、判示のとおりであって、イトマン代表取締役社長であった被告人河村は、在任期間が相当長期に及び、その経営手腕にも陰りを見せ始めていたことから、メインバンクの住友銀行によって後任社長を送り込まれ、退任せざるを得なくなることを痛く危惧し、社長の地位を保持するためには、見せかけの利益を計上してでも公表予想経常利益額を達成しようと思い定め、当面の決算対策用の利益計上の材料捜しに躍起となっていたところ、雅叙園観光及び協和の資金繰りが逼迫し、経営危機状態にあって新たな金主を捜していた被告人伊藤と出会ったことで、被告人伊藤は、被告人河村の面識を得たことを好機と考え、同被告人に取り入ってイトマンから事業資金を引き出そうと企図する一方、被告人河村は、被告人伊藤のプロジェクトから企画料等を引き出して見せかけの利益出しに利用することを考え、イトマンが将来事業として取り組む場合の採算性等の調査、検討をすることなく、同プロジェクトを丸抱えするとの方針の下にこれを採用するとともに、被告人伊藤を企画監理本部長に据えるなどして、同被告人と深く癒着し、瑞浪案件及びさつま案件を敢行するに至ったもので、瑞浪案件では一〇億三〇〇〇万円、さつま案件では三〇億円という多額の企画料が一旦は利益計上されて見せかけの利益出しに責献したものの、事業の成否を顧慮することなく、十分な担保も取らずになされた不正融資に基づく当該プロジェクトは、結局は、イトマンの利益とはならず、同社に巨額の不良債権を抱えさせて両案件で合計三三〇億円近い損害を与えたものである。被告人河村は、このことを十分承知しながら、自己保身の動機から、企画料欲しさに被告人伊藤や許の利益を図って本件各行為に及んだもので、その利己的な犯行動機には酌量の余地なく、その背信性には著しいものがあって、厳しい非難を免れ得ない。
また、アルカディア案件についても、被告人河村らは、マスコミから不動産関連投融資に急傾斜した自己らの経営姿勢を指弾される中で、本来不正な要求に対しては、毅然としてこれを拒むべきが当然であるのに、かえってブラックジャーナルを主宰する崔を味方につけてマスコミ対策に利用しようと企て、墓地開発資金名目で一〇億円の融資を決定し実行したもので、これまた被告人河村の社長としての地位と名声に傷がつかないようにしたいという利己的な動機による犯行であって、当時極度に資金繰りの逼迫していたイトマンに、一〇億円近い損害を与えており、その犯行動機と結果の重大さにおいて、前同様厳しく非難されるだけでなく、融資金の大部分が暴力団関係者に流れていたことから、社会的非難も免れない。
他方、絵画案件は、被告人伊藤が、被告人河村の信任を得てイトマン企画監理本部長の地位を与えられ絵画事業について特に委任を受けながら、その任務に背き、自己と資金的に密接な関係にあった許の便宜を図り、約半年の間に、前後一三回の多数回にわたり、イトマン及びその子会社に、許の言いなりの価格で絵画等を買い取らせ、少なくとも二六四億七〇〇〇万円の損害を与えたもので、結果の重大性はもちろんのこと、その裏では、イトマンから支払われた高額な売買代金を許から自己の資金繰りに融通してもらうなどしていた経緯や、唯々諾々と許の言い値で多数の絵画を買い続けるなどしていた犯行態様などに徴すると、被告人伊藤には、イトマンの理事ないし取締役企画監理本部長として求められる同社への忠誠心のひとかけらも窺えず、許と結託してイトマンを食い物にしたといっても過言ではない。
そうすると、被告人らの敢行した特別背任事件は、いずれも任務違背の程度が著しく、また、イトマンに巨額の損害をもたらし、遂には、住金物産株式会社との合併消滅へと追い込むに至った点で、その責任には極めて重大なものがある。とりわけ、被告人伊藤は、瑞浪案件では巨額の利得を直接得ていること、また、絵画案件では、積極的に自己の財産的利益を図る目的も看取することができることなど、厳しい非難がなされてしかるべきである。
二 次に、その余の案件について見るに、被告人河村の関係では、業務上横領の事犯は、イトマン等が保有する傘下の立川株をアイチに譲渡することについて秘密協定を締結したことに伴い、売買代金の一部に充当する趣旨で預かった多額の現金を、ほしいままに領得して自己の株式運用等に充てていたもので、イトマン社長たる自己の地位を悪用した悪質な犯行であり、自己株取得案件についても、巨額な出資の払戻となってイトマンの資本の維持を害し、かつ、業績悪化の表面化による株価の急落によって、イトマンに二重の損害を与えることにもなったもので、証券市場に対する一般の信頼を裏切り、証券業界に及ぼした影響も軽視できない。
また、被告人伊藤の関係では、府民信組に対する背任の事犯は、協和の利益を図る目的で、それが南野の任務に違背することを知悉しながら、南野から無担保同然といってもよい有利な条件で多額の融資を受け、その結果、府民信組に対し、合計約二六七億円という巨額の損害を与えたもので、その責任の重大性はいうまでもなく、偽造案件も、いずれもイトマンから融資を受ける過程でなされたもので、目的のためには手段を選ばない悪質な行為といわざるを得ない。
三 以上の次第であって、被告人河村は、長年イトマン社長の地位にあるうちワンマン体制を敷き、自己保身の動機や公私の混同から、判示各犯行に及び、イトマンに合計約四〇〇億円近い損害をもたらしたばかりでなく、有能な社内スタッフの諫言に耳を貸さず、被告人伊藤をイトマン内部に引き入れて絵画案件を敢行させ、これが一因となって同社を合併消滅へと追い込んだもので、多数の従業員、株主及び取引先に多大な迷惑を及ぼしたその社会的責任にも大きいものがある。しかるに、被告人河村は、業務上横領案件について、時価約七億三〇〇〇万円相当の株式を返還した以外、何らの被害弁償をしておらず、また、公判廷においては、自己弁護に終始しており、反省悔悟の情も見られない。
そうすると、被告人河村の本件各犯行のうち、特別背任事件は、犯行の主な目的、動機が自己保身と被告人伊藤や許らの利益を図ることにあったことは、前記のとおりであるが、それを超えて、自らの私腹を肥やすとかイトマンに積極的に損害を加えるとかの動機、目的はなかったこと、昭和五〇年に、当時経営危機に瀕していたイトマン社長に就任して以来、同社の再建とその後の業績伸長に尽力し、当初その経営手腕は高く評価されていたこと、本件の責任を問われて同社代表取締役社長の地位を解任されたほか、いわゆるイトマン事件としてマスコミ等で喧伝され、物心両面で打撃を受けるなど既に相応の社会的制裁を受けているともいえること、前科前歴は全くないこと、その他年齢や健康状態など被告人河村のために酌むべき事情を最大限考慮しても、主文の刑はやむを得ない。
四 被告人伊藤は、被告人河村の信頼を得てイトマンに迎えられ、一定の任務を与えられたにもかかわらず、絵画案件にそれが顕著に認められるように、イトマンを裏切り、また、被告人河村をも裏切っていた点で、その著しい背信性は強く非難されるべきである。そして、被告人伊藤がかかわった本件各犯行によりもたらされた損害額は、合計約八六八億円の巨額にのぼり、その結果、イトマンのみならず、府民信組も、被告人伊藤及び許のグループ企業に対する債権回収ができないまま、折からの経済環境の悪化も加わって吸収合併に至ったもので、その社会的影響も大きい。
そうすると、被告人伊藤の刑事責任は重大であり、本件一連の犯行のきっかけとなる雅叙園観光の簿外債務処理については、許及び南野に誘いこまれたという側面がないではないこと、さつま案件及びアルカディア案件について、直接自己の利益を図る目的があったとまでは認められないこと、イトマンから、被告人伊藤の関連会社に対する債権を譲り受けた肥後橋中央産業等との間で、平成一〇年八月以降、毎月元本に五〇万円ずつ弁済する旨の合意が成立し、弁済を継続していること、府民信組の協和に対する債権については、南野の関連会社が全額引き受け、同社等との間で、和解金一億一三八五万円を支払うことで訴訟上の和解が成立していること、これまでさしたる前科がないことなど、被告人伊藤のために酌むべき情状を最大限考慮しても、その任務違背の程度の著しさと惹起させた損害の重大さに徴すると、主文の量刑はやむを得ない。
よって、主文のとおり判決する。
(求刑 被告人河村 懲役一〇年、被告人伊藤 懲役一二年)
別紙 訴訟費用負担一覧表
一 被告人両名に連帯負担させるもの
証人大野斌代、同西河英雄、同伊藤泰治、同大坪郁夫、同鈴木一夫、同近藤勝重、同赤崎重夫、同秋元泰寛(平成六年二月八日、同年三月一一日各請求分)、同髙柿貞武(平成六年二月八日、同月二二日、同年三月一一日、同月二二日、同年四月一五日、平成七年八月八日、同年一〇月三日、平成一〇年六月三〇日、同年七月一四日、同年九月一日各請求分)、同今村元秀、同髙橋博安、同水野弘志、同松井鐵夫、同山本忍、同小野正治、同市川淳、同大上信之、同宮本雅長、同飛世真治及び同藤垣頼母に支給した分
二 被告人河村に負担させるもの
証人信川雅洋、同井上豊次、同畠山仁、同小山信夫、同迫田正髙、同渡部彰、同秋元泰寛(平成六年一月一四日請求分)、同田中博文、同髙柿貞武(平成六年一二月二〇日、平成七年一月三一日、同年二月二八日各請求分)、同宮尾達、同山本満雄、同小野信一、同並木俊守及び同小林英明に支給した分
三 被告人伊藤に負担させるもの
証人井狩好彦、同柿沼孝明、同前田泰之、同澤野芳男、同櫛田章博、同富塚茂雄、同森口博直、同吉田修一、同尾﨑稔、同川原俊明、同積田政宏及び同木下和政に支給した分
別紙一覧表(一)
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別紙一覧表(二)
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別紙一覧表(三)
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別紙一覧表(四)
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別表
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